フルート

トントン、と扉をノックする音。
「はいー。」
「今ちょっと大丈夫?」
朱里は扉の外からそう尋ねた。
「うん、大丈夫よ。」
雨相はすぐに席を立つとドアの方に向かい、扉を開ける。
「どうしたの?」
「ちょっと、相談したいことがあって。」
「相談?ああ、じゃあリビングで話す。」
「うん。」
二人は連れ立ってリビングへ向かった。
「えっと、コーヒーでも飲む?」
相談という言葉に少し動揺していた雨相はそう提案した。
「ううん。ごめん、相談なんて言ったけど、そんなに大事じゃないから。」
「ああ、そう。それなら。」
二人はダイニングテーブルに向かい合わせで座った。
「実は、これなんだけどね。」
朱里はスマホを差し出した。
「ん?」
雨相が画面を見ると、そこには大人の音楽教室、という文字と、綺麗なレッスンルーム思わしき部屋の写真が載っていた。
「大人の音楽教室?」
「そう、ちょっと通ってみたいなって。」
「へえ、いいねえ。」
「いいの?」
「うん、ダメな理由なくない?」
「そう?」
「うん。」
「じゃあ、通おうかな。」
 朱里は少しはにかんだ。
「改めて、コーヒー淹れてこよう。」
「あ、じゃあ私の分もお願い。」
「オッケー。インスタントでいいよね?」
「うん。」
 雨相はキッチンに向かうと、インスタントコーヒーの袋を取り出した。
「朱里って、昔はピアノ習ってたんだっけ。」
 リビングにいる朱里にも聞こえるように、雨相は少し大きな声で尋ねた。
「うん、高校生のころまでね。」
「結構うまかったの?」
「うーん、どうだろ。まあ最低限は弾けます、ってくらいかな。」
「そっか。前々から習いたいな、と思ってたの。」
 雨相は戸棚から出したお揃いのマグカップにコーヒーの粉を注いだ。
「なんとなくだけどね。」
「あ、これお湯って……」
「ついさっき沸かしたばっか。」
「じゃあ、使っちゃうね。」
「うん。」
 雨相はトクトクとマグカップにお湯を注ぐ。
「熱っ!」
「大丈夫?」
 朱里が少しキッチンの方へ身を乗り出して尋ねてきた。
「大丈夫大丈夫。」
 マグカップを二つ持つと、一歩一歩踏みしめながらリビングに向かう。
「お待たせー。」
「わあ、ありがとう。」
 雨相はマグカップをテーブルの上に置くと、席に着いた。
「音楽教室って書いてあるけど、何の楽器にするの?」
「金管楽器に挑戦してみたいんだよね。」
「へえ、なるほど。具体的に決まってるの?」
「うーん、お話聞いてみたら変わるかもしれないけど、今の第一希望はフルートかな。」
「フルートね、横向きの。」
「そうだけど、全然知らないじゃん。」
 朱里は笑った。
「いや、いいんじゃない。俺もやるか。」
「え、拓夢も?」
「なんか、作品に活かせるかなって。」
「ああ、そういうことね。」
「まあせっかくだから、一回僕もついて行ってみていい?」
「うん、いいよ。いつにする?」
「えっと、手帳取ってくる。」
 雨相はなんだか少しワクワクしながら、部屋へ戻った。

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