ルビー

僕は昔から人間が嫌いだ。奴らは聞いてもいないのに何かを訴えかけてくる。
でも植物は違う。彼らはいつも静かに微笑んで、僕の話を聞いてくれる。
ああそうだ。僕も、そんな人間に過ぎないのだ。
 
 卒業後の進路として研究職を考えたこともあったが、そこまでの覚悟はなかった。
つぶしがききそうという理由だけで教職を選択していた僕だったが、教師になる気などさらさらなかった。でも就職を真剣に考える時期になって、高校時代の社会科の先生のことを思い出した。
 
 平川先生は日本史の先生だった。長身で細く、モデルみたいなスタイルだと言われていたが、いつもけだるそうな表情を浮かべていて授業以外の話はしないのでお世辞にも好かれているとは言えなかった。そんな平川先生が一度だけ授業と関係ない話をしたことがあった。
 テスト範囲も終わったテスト直前の授業。何か質問はないか、という平川先生の問いかけにクラスのお調子者が手を挙げた。
「先生はなんで教師になったんですか?」
 そんなこと聞いてどうすんだよ、という空気がクラスを流れた。しかもよりによってあの平川先生だ。そんな質問に答えるわけがない、と。
 しかしみんなの予想に反して、平川先生は答え始めた。
「歴史が好きだからだ。教師ならずっと好きな歴史の話をしてられる。担任なんか持った時には面倒だが、そうでもなきゃ意外と楽なもんだ。」
 クラス中がどよめいていたのを今でも鮮明に思い出す。
 
 そんな平川先生の言葉を思い出し、僕は気づいたら高校教師の道を歩んでいた。
 
 平川先生の言う通りかはわからないが、自分の好きな生物を教えられるこの仕事は意外にも楽しかった。平川先生ほど不愛想ではない僕は、年が近いこともあり生徒たちとも割かし良好な関係を気づけていた。しかし平川先生があの時に教えてくれなかったことが一つある。他の教師との関係だ。ある程度の予想していたが、職員室という空間は予想以上に居心地が悪く、基本的には生物準備室で過ごしていた。
 その日も必要最低限の用事だけを済ませようと職員室に寄ったところで、教頭から死刑宣告を言い渡されたのだった。
 
 生物準備室に戻ってすぐ、僕は愛すべき植物たちに愚痴をぶちまけた。
「来月から地学の授業もやらなきゃいけなくなった。産休代替とはいえ、地学は専門外だぞ?」
「でもやるしかないでしょ、直(すなお)先生。」
「大桃さん、頼むから下の名前で呼ばないでくれ。僕はあんまり好きじゃないんだ。」
 振り向きながら僕はそういった。
「はーい、樽井先生。」
 くすくす笑いながら彼女はそう答えた。
 大桃ほのかはいつからだったか生物準備室に入り浸るようになった。少しミステリアスな雰囲気を纏っている彼女は、誰かと特段仲良くしているようには見えず、そんな彼女にとっての居場所にでもなればと、ここに入ることを認めていた。
「でも先生が地学教えるんだ。」
「それもまだ聞かなかったことにしてくれ。」
「どんな授業にするの?」
「それもこれから考えるんだよ。」
 ふーん、と彼女は言った。
「先生の授業、結構面白いから期待してるよー。」
 僕の授業が面白い?確かになるべく興味を持ってもらえるようには心掛けているつもりだが、好きな話になるとついついのめりこみすぎて温度差を感じることもある。
「大桃さん、どう面白い?」
「え、何その質問。」
 大桃さんは笑っていたが、僕の表情を見て話し始めた。
「なんか先生って、興味持ちそうな話から入ってくれるんだよね。」
「例えば?」
「植物の豆知識とか人体の豆知識とか。なんだっけ、サケとマスに明確な区別がない話とか!」
「それだ!」
 僕は思わず大声を出してしまった。
「先生、びっくりするからやめて。」
「ああごめん。」
「どんな話するか決めたの?教えてよ!」
「いやそれはちょっと。」
「なんでよ、せっかく私がヒント上げたのにー。」
 大桃さんは分かりやすく頬を膨らました。
「わかったわかった。実は、サファイアとルビーって、同じ石なんだよ。」
「えー、そうなの!」
 いい反応をしてくれる。
「大桃さんのおかげだよ。ありがとう。」
「どういたしまして、素直な先生!」
 僕は何かを言いかけてやめた。意外と教師も悪くないもんである。

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