ラード

「松野くん、一緒に帰らないか?」
そう声をかけてきたのは、クラスメイトの九十九英一(つくも)だった。
「ああ、もちろん。」
俺は当然のように了承した。

彼と知り合ったのは、高校の入学式の日だった。彼は、俺と陽介が廊下で話しているのを見て、話しかけてきたのだった。
「はじめまして。」
声のする方を見ると、そこには、身長は平均よりやや高いくらいだが、とても恰幅のいい眼鏡をかけた男が立っていた。
「僕、同じクラスの九十九英一と言います。漢数字で九十九、と書いて、つくも。よろしくね。」
彼は続けてそういった。俺はその言葉を聞いて、少し不思議だけど面白そうなやつだと思った。
「はじめまして、僕は菅原陽介。こっちは幼馴染みの……」
「松野勇樹です。よろしく。」
「菅原くんと松野くん。二人ともよろしく。」
九十九くんは笑顔でそう答えると、静かに教室に戻っていった。

「今日は菅原くん休みだったね。」
「ああ。なんか体調が悪いらしい。」
「そうなんだ。早く良くなるといいね。」
「まあすぐに元気になるさ。」
俺は九十九くんとそんな何気ない会話をしながら、駅に向かっていた。
「松野くん、このあと時間あるかい?」
「ああ、あるけど。」
「見たい映画があるんだけど、よかったらどうかな?」
「映画か。なんてやつ?」
「リンゴノマチ、って言うんだけど。」
「おお、俺もちょうど見たかったんだよ。」
「本当?!じゃあ一緒に見ようよ!」
九十九くんはとても喜んだ様子でそういった。

「映画、面白かったね。」
「そうだね。」
 映画を見終わった俺たちは、コンビニでジュースを買い、近くの公園のベンチに座りながら話した。
「俺、原作も好きだったから、半分怖いもの見たさみたいなところもあったんだけど、思ったよりもよかったわ。」
「ね!僕も原作ファンだったからやっぱり怖くてさ、一人で見に行く勇気がなかなかなかったんだよね。」
「ああそうだったんだ。」
「だから松野くんがオッケーしてくれて本当に良かったよ。」
「俺も見たかったから。むしろ、誘ってくれてありがとう。」
 そう言ってから俺はジュースを飲み切り、席を立とうとした。
「待って、松野くん。」
「どうした?」
「本当にありがとう。」
「ん、うん。何だよ、改まって。」
「僕さ、昔はよくいじめられてたっていうか、からかわれてたんだ。」
 俺はしっかりと座りなおした。
「こんな体形だから、小さい頃は豚とか何とかいわれてね。」
「ありがちな悪口だな。面白くもなんともない。」
 九十九くんは笑った。
「こんな体形だからすぐ汗かくだろう。そうすると、ラード出すなよ、とか言われたり。授業中に手を上げたりすると、前足あげんなよ、とか。」
 俺は無言で頷く。
「でも言われっぱなしなのも嫌だし、何より、自分がいじめられてる、なんて思いたくなかったからさ、それから色んな勉強したんだよ。」
「色んな勉強?」
「うん。はじめは豚について。」
「すごいな。」
「調べてみるとさ、意外なことに、豚って全然太ってないんだよ。」
「ああ、そうらしいな。」
「だから豚って言われるたびに、その話をしたんだよ。」
「なるほど。」
「そしたら、こいつちょっと面白いぞ、って思われるようになって、それからはいじめられなくなったんだよ。」
「おお、よかったじゃないか。」
「でもいじられ続けてはいたからさ、なんていうか、対等な関係の友達が欲しかったんだよ。」
 それだけ言うと、九十九くんは黙ってしまった。
「安心しろ、その悩みはもう解決した。」
「え?」
「一緒に映画を見て、その感想を話し合う。これこそ対等な関係だろ。」
「松野くん……!」
 九十九くんの目は輝いていた。
「やめろ、そんな目で見るな。そんな目で俺を見てくるのは、あいつだけで十分だ。」
 九十九くんは笑っていた。
「松野くん、ありがとう。」
「おお。」
「今度はさ、菅原君も誘って三人で遊ぶってのはどうかな?」
「ちょうどあいつの面倒を一人で見るのは大変だと思ってたところだったんだ。」
 九十九くんはまた笑った。
「じゃあ菅原君がよくなったら、今度は三人で。」
「もちろん。」
 夕焼けの公園。普段と違う過ごし方もなかなか悪くないな、と思うのだった。

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