ルーレット

 授業が終わって生物準備室に戻り扉を開けると、そこにはすでに先客がいた。
「早くないか。」
「ちょっと早く終わったんだよね。」
「そうか。」
 会話が止まる。
「直先生、可愛い生徒が遊びに来たのにその態度はなくない?」
「大桃さん……」
「ごめんってば、樽井先生。」
 僕は少しため息をついてから彼女に尋ねた。
「で、今日はどうかしましたか?」
「お医者さんみたい。」
 大桃さんは笑いながらそう言った。
「つい最近親戚の子が遊びに来てね、超久しぶりに人生ゲームやったの。」
「へえ、今の時代にテレビゲームじゃなくてボードゲームですか。」
「私ゲームとか持ってないもん。」
 今どきの子にしては珍しい気もするが、確かにそういう子もいるのだろう。
「私も子供の頃以来だから意外と楽しんじゃったんだけど、改めてみると結構ハチャメチャなこと書いてあるよね。」
「ああ、確かにそうだったかもしれませんね。」
「まず職業が豊富でしょ。医者とか弁護士とかパティシエとか、公務員なんて書いてないもん。」
「そりゃあまあ、ゲームですから。」
「それに、やれ宝くじに当たっただ、油田を掘り当てただ、そうかと思ったら交通事故にあったり、お金だまし取られたり。」
「うーん確かに。そんなマスに止まるたびに、そんなことあるわけないのに、って思っちゃいましたよね。」
「え、先生って結構冷めた子供だったんだね。」
 あれおかしい、同意したはずがなぜか責められている。
「でもね、私ふと思ったんです。」
「何をですか?」
「確かに人生ゲームに書いてあることはちょっと極端ですけど、意外と人生なんてそんなもんだよな、って。」
 達観している。
「急に大人びたこと言いますね。」
「でもそうじゃないですか?」
「まあ、その……」
 答えに詰まってしまう。
「先生は小さい頃から先生になりたかったんですか?」
「僕の場合は、違いますね。」
「先生になるなんて子供の頃は夢にも思ってなかったわけですよね?」
「まあ、そうですね。」
「ほら、そういうことですよ。」
 何とも言えなくなってしまった。
「でも私はそれでいいと思ってます。だってずーっと平坦じゃつまらないじゃないですか。」
「それはそうですよ。凸凹な道があるからこそ人は成長するんですから。」
「なんか先生っぽいこと言いますね。」
 大桃さんがクスッと笑う。
「大桃さん、忘れてるかもしれませんが、僕は先生ですよ。」
「あそうだった。ルーレットで六を出したんですもんね。」
「具体的な数字は知りませんけど、それは人生ゲームの話でしょ。」
 大桃さんがけらけらと笑った。
「あでも私一つだけ納得いかないことがあるんですよね。」
「なんですか?」
「人生ゲームって、絶対結婚しなきゃいけないじゃないですか。あれって今の時代的にはどうなのかな、って。」
 そういわれてみると結婚して子供を産んだり、それこそ男が働き女が家庭に入るなんていうのは前時代的かもしれない。
「うーん、今どきのは分かりませんけど、ああいうのって世相をちゃんと反映してそうですし、そういうところにも留意してるんじゃないですか?」
「でもそういうのってどこまで考えるんですか?」
「え、どこまで、ですか?」
「だってどこまで考えたって批判してくる人はいるじゃないですか。」
「まあそれはそうですね……あちらを立てればこちらが立たずとも言いますし。」
「先生、ああやってなにかと批判してくる人は結局何をしたいんですか?」
「それは、そうですね……」
 ぐるぐると頭を巡らす。下手な回答はできないが、だからといって何も答えないわけにもいかない。
「粗さがしをしてるだけの人も確かにいますけど、基本的にはみんな自分が正義だと思って疑わないんだと思います。」
「正義、ですか。」
「まあ正解なんてあるかわからないですからね。先生が言ったことだって間違いかもしれませんし。」
 そういって苦笑いを浮かべることしかできなかった。
「樽井先生、私も今のが正解かはわからないですけど、樽井先生は先生になって正解だったと思いますよ。」
 大桃さんはそれだけ言って生物準備室を後にした。
 まだ二時間目の終わりだというのに、どっと疲れがこみあげてくるのだった。

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