漢字

学校終わり、目的地までの道は当然知っている、いや覚えているはずなのに、ただただ前を歩く友人の背中を追いかけることしかできない。
「どうしたの、さっきから黙り込んじゃって。」
「ううん、なんでもない。」
必要以上に明るく振舞おうと、いつもと違う言い方になっていたのだろう。彼女は疑問を覚えたのか、優しく問いかけた。
「もしかして体調でも悪い?」
「ううん、そんなんじゃなくて。」
「本当?」
「本当、本当。」
身振り手振りを使って答える。
「じゃあどうしたの?」
「その、なんていうか……」
「言って。ね?」
彼女は昔からこういう優しい目をするのだ。
「その……私、涼ちゃんの家に行くの、久しぶりでしょ?」
「ああ、そうね。小学生の頃はよく行き来してたけど、最近はね。」
「だから、緊張しちゃって。」
「緊張?」
 涼は、信じられないという表情で陽乃を見た。
「そんな、気にする必要ないってば。」
「でも……」
「陽乃もすっかり大人になったと思ったのに、変なところで気を使っちゃうのは昔っから変わらないわね。」
「ごめんなさい。」
「ま、それが陽乃のいいとこでもあるんだけどね。」
「涼ちゃん。」
 陽乃は心なしか嬉しそうな目で涼を見た。
「あれ、なんだっけ……」
「どうしたの?」
「昔私が陽乃の家に遊びに行ったことあったじゃない。」
「それは、あったけど。」
「そのときに、お兄さんのお友達だっていう方もいらしてたのよ。」
「ああ、もしかして松野さんかな。」
「あんまり聞きなじみない気がするけど。」
「昔は、下の名前で呼んでたから。」
「ああ、そっか。」
「で、それがどうかしたの。」
「確かそのお友達の方がお兄さんに、陽介はすぐ変なとこで気を使うんだから、って言ってた気がするのよ。」
「ああ、じゃあ松野さんで間違いないわね。」
 陽乃は思わず笑ってしまった。
「そうなんだ。いやだから、そっくりだなって。」
「そっくりって、何が?」
「陽乃とお兄さんよ。」
「似てない似てない。」
 陽乃はここぞとばかりに強く否定したが、涼はニヤリとして取り合ってくれようとはしなかった。
「そんなことより早く行きましょ。」
 涼はお茶を濁すように、歩くスピードを少し早めた。

「お邪魔します。」
「はい、いらっしゃい。」
 すると、リビングのドアが開き、そこから見慣れた顔が。
「陽乃ちゃん、久しぶりね。」
「お久しぶりです。」
「突然涼が声かけちゃったみたいで、ごめんなさいね。」
「いえ、そんな……」
「今日はゆっくりして言ってね。」
 それだけ言うと、風香はリビングへと戻った。
「じゃあ、部屋に行こっか。」
「うん。」
 そういって階段を登ろうとすると、またリビングの扉が開き、小さな女の子が。涼の妹の楓である。
「陽ちゃん!」
 楓は陽乃を見つけるなり大きな声で叫んで近づいてきた。
「陽乃お姉ちゃん、でしょ?」
「いいよ全然そんな。」
 陽乃は楓にそう言う涼をなだめた。
「楓ちゃん、久しぶり。」
「うん。」
「楓ちゃんは、今何してたの?」
「私?私はね、漢字書いてた。」
「漢字書けるんだスゴイねー。」
「まあね、なんてったって小学生だから。」
 楓はとても誇らしげに言い放った。
「お姉ちゃんたち部屋に……」
「陽ちゃん、知ってる?」
 自分を制しようとする涼のことなどお構いなしに話し続ける楓。
「なになに?」
「数字の1,2,3は、漢字で一本ずつ棒が増えるんだけど、4はこう書くんだよ。」
 そう言いながら楓は手に持った鉛筆で、空中に四の字を書いた。
「へえ、そうなんだ。すごいね!」
「まあね!小学生だから!」
 楓は、さっきよりも一段と誇らしげにそういった。
「じゃあお姉ちゃんたち部屋にいくから。」
「ふーん。陽ちゃん、後で遊ぼうね。」
「うん、遊ぼうね。」
 楓は陽乃にハイタッチを要求してからリビングへと戻っていった。
「ごめんね、楓が。」
「ううん、むしろありがとう!」
 いつも以上に元気な陽乃。
「おーい、変なスイッチは入ってないか?」
「あ、ごめんなさい。」
「いや、いいよ。まあじゃあ、後で三人で遊ぶか。」
「うん!」
 そう答える陽乃の目を見て、なんだか妹が一人増えた気分になる涼だった。

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