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フリーランス生活が楽しくて楽しくて仕方がないぼくの話を聞いてほしい



2017年1月からぼくはフリーランスとして会社に所属しない生活をはじめた。


といっても途中でお金がなくなってアルバイトを始めたこともあるし、ウーバーイーツ配達員をしていたこともある。


「右肩上がりで上手くいっています!」と言えるほど順調ではない。


なので厳密には「(気持ちは)2017年からずっとフリーランスです!」ということになるのだけれど、まあそういうことにして欲しい。


ぼくはこのなんでも自分で決められるフリーランスの世界が大好きだ。こんなこと言ったら怒りだす人もいるかもしれないけど。


あくまでこれはぼくの感想。参考までに聞いてほしい。


フリーランス生活の最高なところは忖度しなくていいところ。付き合う人を選んでいい。理不尽な人間関係がない。


近づくにも離れるにも理由がある。これがとても嬉しいし楽しい。


空気を読んで嫌いな人とでもなんとなく上手くやれる人より、振り向かせたい相手を振り向かせられる人が強い。


ぼくは前者より後者のコミュニケーションが得意な人間だった。敵も作るけど熱心な味方もいるタイプ。


今日はそんな「ぼくがやっと見つけた生きやすくて仕方がない世界」の話をさせて欲しい。


そして無責任に「フリーランスはいいゾ」と言わせてほしい。


聞きたい人だけ、聞いていってね。それではスタート。



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「正解ありきのコミュニケーション」がとてもとても苦手



ぼくは忖度がとても苦手だ。


『面接官がどうぞと言っても椅子に座ってはいけない』とか『「夜ご飯は食べてきましたか?」と聞かれたら気を使わせないために「食べました」と言うのがマナー』とか。


そういう形式的なコミュニケーションが大の苦手。裏の意図みたいなものがとにかく読めない。(読む気がないのかも)


あっちの集団では『常識』とされていたことが、こっちの組織では『非常識』だと言われたりする。


理由を聞くと「それが常識だから」と返ってきたりするものだから、もうお手上げである。


社会生活を送る上でこれは『あって当たり前の理不尽』なのだろうけど、ぼくはどうもダメ。


「どうして?」という質問が封じこめられた世界では息ができない。心が死んでいく音がする。「みんな我慢してる」とか関係ない。ぼくには無理。


なぜそんなことを感じるような人間になったのだろう。少し振り返ってみると幼少期から受けてきた『両親の教育方針』にヒントがありそうだ。


ここからは少し昔話をさせてほしい。ぼくの受けてきた教育の話。



「俺を納得させてみろ」とよく言った父



ぼくの両親はぼくに正解を押し付けない人だった。ぼくが何かをやりたいと言えば「なぜやりたいのか」を聞いてくれた。


父は「どんな答えでもそこにお前なりの理論があればいい。俺を納得させてみろ」とよく言った。それが父の教育方針だった。


そのおかげで「いかに屁理屈をこねて自分の主張を通すか」という習慣が身についた気がする。(もちろんいい意味で)


印象に残っているのは小学4年生の頃にお小遣いをあげてもらう交渉をしたときの話。


当時読んでいた雑誌で『お小遣いをアップを企む小学4年生の男の子が母に粘り強く交渉する話』を読んだ。


「よし、いっちょやってみるか!」と実際に母に交渉をしてみることにした。そして月のおこづかいを2.5倍にすることに成功する。


小学4年生の「おこづかい2.5倍プレゼン」



作戦は簡単なものだった。


雑誌の話に登場する人物のことを「クラスのみんな」と置き換え、さもクラスの大半が月に1000円のお小遣いをもらっているといった風にプレゼンした。


嘘を一切つかずに「小学4年生のお小遣いは1000円が妥当である」という結論に母親をミスリードさせた。我ながらこざかしいガキである。


母の「みんなそうなら1000円にしてもいいわね」という言葉を勝ちとることに成功した。


だがリッチな生活は数ヶ月と持たなかった。小細工がバレたのである。


同級生のケンジくんのママの「うちのケンジは400円よ、マサシくんもジュンくんもよ」というタレコミによって。


結果として「1000円のおこづかいを貰っているのはクラスメイトではなく雑誌の登場人物であった」という事実が母に伝わってしまったのだ。


その日の夜、ぼくは母親にこってり絞られた。「ネタは上がってる」と言わんばかりの母親からここぞとばかりに詰められた。


そこから1年間はペナルティとして『学年が上がっても400円で固定』というルールが課せられた。


ぼくはそこで「うまく言いくるめて相手を説得してもあとで手痛いしっぺ返しを食らう」と言うことを学んだのだった…



「お前の意見は聞いていない」と言われないこの世界はとても優しい



思い出ばなしはこのへんにして。ぼくは「お前が考えていることを聞かせてみろ」と言われて育った。


その場の空気を正確に読めることよりも、『その結論を導き出した理由』を問われてきた。


いい意味でも悪い意味でも理不尽を知らない幼少期を過ごしたのかもしれない。


だからこそ集団生活のなかでの「ダメったらダメ」「お前の意見は聞いていない」という空気がとても苦手になった。


最初に挫折を感じたのは小学生の頃だと思う。自分のポジションをうまく見つけることができずいつも浮いていた。


人気者の後ろについていって、いつもいじられて、楽しくもないのにヘラヘラしていた。


(思い出しただけでも悲しくなるからもうこの話は辞めておこう…)



フリーランスの世界にはそんな『読むべき空気』や『踊るべき役』がない。


演じたくもない道化を演じる必要もない。


だからぼくはこの世界が好きだ。


実力社会だからもちろん「みんながみんなぼくの話を聞いてくれる」わけではないけれど、話を聞いてもらえるようにいくらでも努力することはできる。


面白がってくれる人に出会えさえすれば「君の意見をもっと聞かせて」と言ってもらえる。


集団に居場所がなかったぼくにとってこんなに楽しいことはない。控えめに言って最高。



常識は美しいロジックによって簡単にひっくり返る



こうやって自分が考えていることを記事にすることで新しく見えてきたことがある。


ぼくは『自分の考えたことを正解にする作業』が好きなのかもしれない。


たとえば自分のサービスを相場よりもぐんと高い値段で提案するとき。


常識的ではない提案を通すにはそこに『相手を頷かせるだけのロジック』が必要だ。それを作ることができたときぼくは喜びを感じる。


オセロのように常識がひっくり返る瞬間が好き。「逆にそれは買いですね」と言われる瞬間は最高に気持ちいい。


「資格と知識で武装して売れるのなんて当たり前じゃん。丸腰で売れるからこそかっこいいんでしょ」と生意気にも思っている自分がいる。


そんな自分でも受け入れてくれる人がいる。こんなに幸せなことはない。


ぼくはどこまでも調子のりだし、それを肯定できるだけのロジックを作り続けたい。こんな生き方が楽しい。


逆に『正解ありきの議論』は吐き気がするほど苦手だ。「お前は私を満足させられる結論(すでに決まっている)を出せるか?」と試してくる人がいる。



答えありきの縦社会と実力主義の横社会



試すのは別に構わない。ただ『こたえありきの尋問』をするのはやめてほしい。


ぼくはぼくのやり方であなたを振り向かせるから、あなたの狭い視野でぼくを見定めないでほしい。


こんな生意気なことを縦社会の中で言えるわけがない。実力主義の世界は横社会だ。


昔からいる人が偉いわけじゃない。歳が上の人が偉いわけじゃない。おもしろい人がおもしろい。それだけ。


実力主義社会はとても優しい世界だと思う。


会社にいた頃は「若いくせに生意気いうな」と言われていたぼくが、今は「若いのにすごいですね」と言われるようになったのも興味深いできごとだった。


ぼくは何も変わっていないのに。どこで生きるかを変えただけで、生きやすさはグッと変わる。あなたも自分の性に合った世界をぜひ見つけてほしい。


今いるその世界に適応して生きることだけが全てじゃない。少なくともぼくの場合はそうだった。


年功序列が向いている人もいれば苦しむ人もいる。苦しい世界に自分を適応させるのはいい案だとは思えない。


自分から進んで被害者になる必要は、きっとない。



無理にとは言わないけれど、憧れがあるならやってみたらいい。向いてる人間にとってフリーランスは楽しいよ



今日はつらつらと「フリーランスという実力社会の素晴らしさ」を書かせてもらった。ぼくはこの世界が好きだ。


極論だけど、人生で一回くらいはこの「自分で責任を持って全部決める生活」をしてみることをオススメしたい。


だってやってみないとわかんないじゃん。1年くらいやってみてダメだったらまた元いた社会に戻ればいいだけ。


「1回退職して世界一周に行ってくる」みたいなノリでフリーランスに挑戦する人が増えたらいいのに、と思う。


もちろん実力主義社会が向いていない人もいる。でもそれはそれでいいじゃんね、と思う。やってみないと向いてるか向いてないかもわかんないよ。


「ああいつかフリーランスになってみたいな〜」と思いながら会社員を続けるのも1つの選択だけど。


「憧れてたから一回フリーでやってみたけど、全然楽しくなかった!会社員最高!」って開き直れた方が仕事にも打ち込めると思うし、かっこよくない?


少なくともぼくは独立してから「こんな世界があるなんて学校では教えてくれなかったな!!??」と思うことばっかりだったから。


こういうことを書くと「そんなことを言って責任とれんのか!?」と言ってくる人が必ずいるけど、そもそも他人の人生の責任なんて取れるもんじゃないよ。


「挑戦しなかったことで後悔するかもしれない」というリスクも存在するんだよ。リスクを0にすることなんてできないからね。


自分の頭で考えられるようになろうね。



と偉そうに言ったものの、ぼくだって手のひらを返すかもしれないわけで



ひょっとしたらぼくも数年後には「フリーランスはオワコン」なんて手のひらを返して会社員をしているかもしれない。


時すでに遅しで正社員になれなくてアルバイト生活を送っている可能性だって0じゃない。現に一度お金がなくてアルバイトからやり直したこともあるわけで。


どんな未来が待っているかはわからないけれど、少なくともぼくはやりたいことに挑戦できている自分が好きだから、どんな未来になったとしても後悔しない。


『勝ち組として損しない人生』より『挑戦者として後悔しない人生』を選びたい。


そんなことを考えながらコメダ珈琲でブログを書いているおはなし屋なおとなのでした。またね



追記


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ぼくはそれなりにフリーランス生活をエンジョイしているタイプなので「フリーランスの世界は厳しいよ」とは言わないと思います。


実際にフリーランスとして生きている人間の生の話が聞きたい人。もっとフリーランスライフをエンジョイしたい人。なおとと話してみたい人。


つながろうぜ。背中押すよ。


一切の責任は取らないけど、ね!笑


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