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コーチである僕のお金の流れについて話す


世界は愛で溢れている。
と感じる。


僕たちが思いつくような事はきっと
僕たちより先の時間を生きていた人が
思いつくことであるし、


頭の良い人たちのそのうち何人かは
思いついたことを僕たちに届くように
必ず残してくれている


僕たちはそれを受け取るだけで
いいのかもしれない。


僕は今、しまむらの駐車場にいる



そんなことを思っている僕は今
『ファッションセンターしまむら』という
施設の駐車場に停めた車の中にいる。


僕が乗っている車は
マツダのCX-5という真っ赤なSUV。


僕はこの車を自分のコーチングセッションを
売ったお金で買った。


見るたびにうっとりする僕の愛車だ。


『おはなし号』と名付けて
雨が降るたびに洗車場に通っている。


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でも、僕はこの車について
詳しいことを何も知らない。



この車のボディーがどんな金属で
作られているかもわからない。



『マツダレッド』と呼ばれる
うっとりするような赤色の外装が
どのように塗られているか、見当もつかない。



『おはなし号』はアクセルとブレーキと
ハンドルを操作するだけで
僕の行きたいところに運んでくれる。



だが、どういう原理で
この金属の塊が進んでいるのか
また、止まっているのかを知らない。



知らないけれど、僕は愛車を愛でる幸せを
感じることができているし、
快適に移動をすることもできている。



これは、先人が残してくれた『愛』を
僕が受け取っているに過ぎない。



車という概念を作った人。
マツダという会社を作った人。


CX-5の設計図を書いた人。
僕に車を売ったディーラーの神田さん。



膨大な数の人の功績を
僕は受け取って、今この駐車場にいる。



僕がこの車を所有できているのは
車の代金を支払ったからなのだけれど



そのお金はどこから来た?と考えると
さらに面白い。


そのお金はどこから来た?



僕は商売をして稼いでいるから
これも結局、自分よりも先を歩いている人が
残してくれた知恵を使わせてもらっている。



自分の価値を商売にする方法を学び
お金を手に入れたに過ぎない。



多くの人は『お金=労働の対価』だと
考えているだろうが



僕はこの車を手に入れるために
一切の労働をしていない。



この車は2020年の6月に
東京から地元に戻りたい一心で、
たまっていたお金で一括払いをし、購入した。



ローンを組んでいないので
完全にこの車の所有者は僕だ。



僕は車を所有している。
車は現金一括で購入している。



車と引き換えに手元から無くなった現金。
この現金は労働して得たものではない。



じゃあこの現金は、どこからやって来た?


こんな事を考えると
どうしようもなくワクワクしてしまう。



交換で世界をみること



この資本主義社会を生きているほとんどの人は
交換と言う概念で世界を見ている。



何かを得るためには
何かを差し出さなくてはいけない。



だが、交換という概念だけだと
説明がつかないことがある。



小さかった僕たちは親の愛によって
育てられたが、その愛は一体
何と交換したというの?



僕たちは
交換と言うものをわかっているようで
わかっていないのかもしれない。



先日読んだ本に、親が子に注ぐ愛について
こんな風に説明している表現があった。



けれども、「無償の愛」という表現には、誤解が含まれています。どいういうことか。贈与の宛先である子供からの見返りを期待しない、という点では正しい。ですが、無から生まれる愛、というのは誤解です。

(中略)

親の墓所の愛以前に、何があるか。それは、そのまた親(子から見れば祖父母)からの無償の愛です。

『世界は贈与できている』2020 近内悠太 ニューズピックス



著者はこの後に「無償の愛には必ず
前史(プレヒストリー)がある
」と
述べていて、この表現に僕はハッとした。



親から子に注がれる無償の愛ですら
そこにはエネルギーの流れがあるのだと。


プレヒストリーを商売に当てはめて考えてみた




僕の商売の原点は


『オリンピックを目指すために
メンタルを強化しようと受けた
メンタルコーチング』であるし、


『オリンピックに行くことを断念して
実業団を去った後、借金してまで
必死に学んだブログビジネス』であった。



確かにそこにはエネルギーがあり
力学があった。



僕はメンタルコーチングを通して
自分が考えていることを
言葉で表現する喜びを知った。



自分の考えていることを言葉にすれば
その言語をもとに自分の考えを
組み立てることができる。



今までなんとなく思っていたこと
なんとなく感じていたことを


自分のロジックとして
自分らしさとして
自分の人生の糧にすることを覚えた。




その感動たるや
いまでもありありと思い出せるほど。



自分の言葉で自分の感情が説明できたとき
世界に色がついたような、
そんな気持ちを味わった。



そしてブログビジネスを通して
『勉強代を払うことの大切さ』を知った。



僕はブログ起業のノウハウを教えてくれる
ビジネススクールに324,000円を支払った。



無職だった僕は300,000円を
当時の彼女に借りて支払った。



僕にとってはアスリートを辞めた後の
人生全てを賭けたつもりでいた。



それは当時の彼女にとっても同じだった。



彼女は今、妻として僕のそばにいる。



当時の借金について聞くと笑いながら
こんなふうに言う。



「結婚した後に挑戦したいとか
言われるの面倒だから、失敗するなら
若いうちの方がいいと思って」


今聞くと、笑う。
彼女は僕が失敗することを見越して
お金を貸しれくれたのだそうだ。



たしかに、当時の僕には
本当に後がなかった。



2017年に上京した僕は
スクールの環境をこれでもかというほど
使い倒した。



さらにそこから600,000円ほどの
コンサルティング費用を払って、
個別指導まで受けた。



23歳のキャリーケース1つで
上京した当時の僕には
桁を数えることさえ困難なお金。



お金はエネルギーであるから
このお金は何かと何か別のエネルギーと
交換したものでないとおかしい。



いったいこのエネルギーの出所はどこなのか。
当時は考えたこともなかったが
今は少し、そこに想いを馳せている。



少し話が脱線してしまった。
話を戻す。



僕は『おはなし号』と名付けた
車に乗っている。



この車は持っていた現金と交換したものだ。



現金を得るために差し出したものは?



先ほども言った。
このお金を手に入れるために
僕は自分の労働力を差し出したりしていない。




僕が提供したのは、生き様だ。



「あなたのように生きてみたい」
「私の人生にあなたとの対話を取り入れたい」



そう思ってくれた人から僕は報酬をもらい、
コーチとして商売をしてきた。



僕はスクールでコーチングを学んだり
正しいコーチングを追求していないから



僕の提唱しているコーチングは
世間一般的なコーチングが担うような機能を
持ち合わせているとは思えない。


(そのスタイルが好きだ!と
言ってくれる人を相手にしていたのは
言うまでもないことだが)



僕は一体何を売ってきたのだろう?
何を買ってもらっていたのだろう?



最近そう考えるようになった。



腑に落ちるところと、落ちないところ



僕は情報発信を通じて
コーチングの売り方などを
一生懸命伝えているけれど



どうも自分の経験を発信していると
腑に落ちるところと、落ちないところがある。



それが最近ようやく言葉になってきた。



僕にとってコーチとして報酬を得ることは
なんら難しいことではなかった。



非常に勇気が要ることではあったが、
異常にドキドキすることではあったが、
決して難易度の高いことではなかった。



一方で、どんなに頑張っても
コーチとしてコーチングを売れない人もいる。



たくさんのお金をかけて
長い時間、一生懸命に学んでいるのに、
うまく収益に繋げられない人もいる。



かと思えば、たった一度のアドバイスで
収益を10倍に伸ばしたコーチも
1人や2人ではない。




この違いは一体なに?




いったい僕は何を理解していて
何を理解してないの?




その答えを探している時に
僕は先ほど引用した本を通じて
『贈与』という概念に出会った。



『無から贈与は生まれない』
その言葉で僕の中のピースが
ぶわっと集まり、繋がっていった。



僕は先ほど述べた通り
メンタルコーチングとブログスクールから
多くのものを受け取った経験がある。



「言葉にできるってすごいな」


「お金を払うってすごいな」



僕は経験から知っている。



だから僕はそれを提供したに過ぎない。


『自分より自分のことを
信頼してくれている第3者』が
話を聞いてくれることの価値。



『自分が心の底から尊敬している人』が
自分に時間を使ってくれることの価値。



これが一人の人生を変えるだけの
価値であることを
僕は肌感覚で知っている。



もし、僕があの320,000円のスクールを、
600,000円のコンサルティングを、
無料で手に入れていたら…



たとえお金を払ったとしても
気軽に324,000円が出せるほどの
経済力があの時の僕にあったとしたら…



あれほど死に物狂いで、あれほど本気で、
あれほど捨て身で、僕は学んだだろうか。



『学びにお金を払う』という経験の尊さも
僕は肌感覚で知っている。



僕が高単価でセッションを売ったのは
『人生を変えるための条件を揃えるため』だ。



誤解を恐れずにいうと僕は
「お金をもらってあげている」
思っている。
(ああ…言っちゃった…)



「お金をもらってくれてありがとう。
おかげで本気で学べました」

と自身が思っているからである。



僕はクライアントである時、
コーチにコーチングスキルを求めない。



ただ尊敬できるあなたが
ただ信頼できる第三者であるあなたが
聞いてくれればそれでいいと思っている。



だから僕は初めてのセッションから
450,000円と言う金額を提示して
それを受け取ることができた。



その行為の連鎖が僕に売上を生み、
口座に現金を積み上げ、
愛車の『おはなし号』を買うに至った。



それだけの、はなしである。



お金はエネルギーなのだ



お金が手元にあるということは
そこにあったエネルギーが
どこかに行ったということだ。



どこかに行ったエネルギーがあるということは
そこにエネルギーがあったということだ。



僕は労働力としてのエネルギーはなく
価値としてのエネルギーを提供することで
お金を得た。



お金が入ってくる前の『そこ』には
確かにエネルギーがあったのだ。



僕はどうやってそのエネルギーを生んだのか。



キャリーケース一つで上京した
専門知識も資格もない僕が。



資本主義にバグを起こした



僕がやったことは、説明するとこうだ。



『自分がここに来るまでに感動した経験を
全て相手に与えようとした』



身一つで自分の人生に挑戦している姿。
そして自分の信じるものに
お金を払って良かったという経験。



『自分が信じたものにお金を払う経験』を
相手も経験できるようにした。



その手段として、コーチングを売った。



なぜコーチングを売ったかというと
僕が人生で一番受けてよかったものかつ、
僕にもできそうなことだったからである。



それ以外の理由はない。



こうやって考えていると
僕は経済というものに一種のバグを
起こしているような感覚になる。



『信じたことにお金を払う経験をする』


『あなたにとって僕が信じる値するなら
僕はあなたの大事なお金を受け取ろう』



僕がやることは?



僕のやるべきことは
正しいコーチングを提供することでは
ないように思えた。



『顧客の支払い先に値する人間として存在する』
の一点のみである。



本来お金を使った取引であれば
ありがとうございますと言うのは
お金を受け取った方だ。



だが僕の取引ではお金を払った方も
「受け取ってくれてありがとう」と言う。



もちろん僕も敬意を込めて
「ありがとうございます」と言うが、



それはニヤニヤとこびへつらいながら
両手を擦り合わせる行為ではない。



お金の取引をしながら
あくまでお互い対等な関係を保つ。
そうでないと、意味がないのだ。



僕は『僕という存在』と
『信じたものにお金を払う』という経験を
同時に与えようとしている。



この取引は「これをあげますから
あれをください」という交換の概念とは
少し違うところに存在する。




この行為は、決して労働ではない。
僕にとってはただただ、与える行為なのだ。




理解できない人には理解できないと思う。




だが、実際に僕はこの理屈で
累計2000万円近い報酬を
ここ4年間で得ているのも事実だ。



違和感に気づいた、父



この『労働力ではないものを
一方的に与え、お金をもらう』ことに
違和感を唱えたのが僕の父だった。




父は僕が帰省するたびに聞く。



「仕事ってのは、苦労して我慢して
お金をもらうことじゃないのか?」



「お前はなぜ、苦労していないのに
そんなに豊かに暮らしているんだ」



さすが我が父、感が鋭いなと思う。



確かに僕は4年前には
買えなかったような車に乗っている。
(決して高級車ではないけど…)



だけど苦労していない。
労働力を提供していない。



自分が過去に経験した
感動したできごとを
一方的に与えているだけだ。



父が送ってきた人生では
きっとこの概念を理解できない。



僕も実際に経験するまでは
理解できなかった。



この文章を読んでいるあなたも
もしかしたら、理解できないかもしれない。



というか、理解できなくて当然だ。
経験を伴うことでしか
生きている世界の常識は覆せない。



だけど、実際にこのような経済を回して
僕以上に豊かに暮らしているコーチが
この日本にはたくさんいる。



だからそれで良いのだと思う。



自分らしく生きるために考えた



僕は自分らしく生きたかった。



だからといって、この資本主義社会から
目を背けるのも嫌だった。



「好きなことをしているから
貧乏でもいいよね」とは
口が裂けても言いたくなかった。



だから自分なりのやり方で
資本主義を攻略しようと思った。



お金について自分なりの
攻略法を持とうと思った。



1つ、見つけた。



これが社会的には
バグのような行動だったとしても



間違いなく僕の経済は回っている。



現金で車を変える程度に。



確定申告を専門家に任せられる程度に。



大企業に勤めの父が疑問を持つ程度に。



僕はこの生き方に誇りを持っている。



この生き方に強く心を動かされて、
僕から学ぼうとしてくれる人を
心から応援したいと思う。



だが少なくとも、僕が回している経済は
難しくは無いが常識的ではない。



みんながやっていないことをやるときには、
必ず大きなエネルギーが必要になる。




多くの人間がなぜ常識を信じているか?を
考えてみると、説明がつく。



なぜ人は常識を疑わないのか



それは常識を信じれば
幸せになれると信じているから
常識を信じるのであって



常識と違う方向歩く人は、
周りの大勢の人から見ると不幸に向かって
まっすぐ歩いているように見える。



あなたのことを心配している人ほど
あなたを常識側に引き戻そうとする。



人と違うことをするのは大変だ



大勢の人が通らない道を通る行為。
そこには大きなエネルギーが必要になる。



信じていた人から裏切られたり
自分がいた社会の裏側を見てしまったり



とにかく今まですがっていたものが
大事にしていた物や人との関係が
壊れるような経験が必ずそこにある。



覚醒の条件



ドラゴンボールという漫画をご存知だろうか?
国民的なバトル漫画である。



ナメック星という星で、主人公の孫悟空が
スーパーサイヤ人という『覚醒状態』に入って
大幅にパワーアップするというシーンがある。



そのシーンで孫悟空が覚醒できたのは
敵に仲間を無惨にも殺されてしまい
激しい怒りが才能を呼び起こしたのである。



新しい経済の流れで生きることも
この『覚醒』に近いのかもしれない。


(鬼滅の刃の原作を読んでいる人なら
『覚醒した痣者の出現』と言った方が
わかりやすいかもしれない)



頭で理解したところで
誰にでもできることではない。



今まで生きてきた常識と違いすぎるから
その常識を疑うためには
全てを再定義し直さなくてはいけない。



常識を疑う作業はとにかく大変なのだ。
よっぽどのことがない限り
人はライフスタイルを変えようとはしない。



だが、『覚醒』した世界を経験した人は
必ずこういうのだ。



「やってみなければわからない」
「なってみなければわからない」



僕もこの2年近く、自分が経験している
この経済圏のことを伝えようと
必死になって発信をした。



努力の甲斐むなしく
わかる人にはわかる、わからない人にはわからない
という壁をなかなか超えられない。



だけどたまに、強いエネルギーを持ちながら
僕の門戸を叩いてくる人がいる。



彼や彼女はこの世界を経験して言う。



「この感覚は
経験するまでわからないですよ」



この経済圏に飛び込むには
エネルギーが必要だ。



そのエネルギーはいくら僕が言葉で
説明したところで
あなたに付与することはできない。



常識と違う方向に向かう行為は
いつだって勇気が必要だ。



勇気は何もないところからは
決して湧いてこない。



贈与と同じだ。



ビジネスは力学なのだ




強く感動したこと、
大きく絶望したこと、



深く傷ついたこと、
誰かに励まされたこと。



自分の心が動いたことが原動力になる。



心にともった灯を消してはいけない。



たとえそれが
ネガティブなものだったとしても
向き合いたくなかったものだったとしても



ビジネスは力学であるから
そのエネルギーを使わない手は無い。



何度も脱線して申し訳ない。
話を戻そう。


しまむらの駐車場に、戻る



この原稿を書いている今、僕は
妻が買い物を終えるのを待っている。
おはなし号の運転席で、待っている。



この車は、僕が受け取ってきた価値を
変換して変換して変換し続けて
手に入れたものだ。



メンタルコーチングを
はじめて受けたときの感動と



ブログスクールで払った
324,000円分の決意が



回り回ってこの『おはなし号』という
形になっている。



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(いま外に出て、撮ってきた)



僕は静かな空間で本を読みながら
一息つき、一眠りし



それでも帰ってこない大切な人を
「しまむらで2時間もやることあるかな…」
想いながら待っている。



僕を包んでくれているこの鉄の箱は
僕が過去に感じた『色とりどりの感情』で
できている。



「感動するって、すごいな」



そう思うと、不思議と心が落ち着いた。
1つ疑問が落ち着いたので
僕は文章を書きたくなった。



この文章は、僕の『すっきりした感情』を
言葉にしたものだ。


このエネルギーが誰かの気づきや感動や発見を
つむぎ出してくれればいいなと心から願う。




顔も見えないあなたの幸せを、
僕はしまむらの駐車場から、願っている。


おはなし屋なおと



⭐️追伸


最後まで読んでくれてありがとうございます。
あなたの貴重な時間を使うに値すると評価してもらえたこと、嬉しく思います。


今日の文章は最後まで有料で出すかどうか迷いましたが、「この記事から出会いが始まったらいいな〜」と思ったので、無料記事としてリリースすることになりました。


この文章を書くきっかけになった『世界は贈与でできている』の著者である近内悠太さん、そしてこの本を勧めてくれた大高あみちゃんに、感謝を。


そして僕にいつも安らぎと思考の時間をくれた妻であるまりちゃん。


僕の意志に共感してくれ、大切なお金を託してくれたクライアントのみなさま。


あなたたちに最大の敬意を。


これからも、あなたたちがくれたたくさんのことを、ばら撒いて生きていこうと思ってまーす!以上です!



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