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ゆとり故の心の広さ

小さな事でも幸せに感じられることが一番幸せ。楽しくないことも楽しく感じるようになる。自由に暮らしているから常識なんで全く知らない。でも、他の人達からはたくさん可愛がって頂いている。何もしなくても会話の中心になれる。そして、私自身をその方達が説明してくれる。その方法を自分なりに解説していく。

私は一人っ子であった為、もともと、とても親から甘えさせてもらいながら育ってきた。自分の買いたい物、自分がやりたいことは何でもやらさせてくれた。別にお金持ちでも何でもなくて、ありきたりなことをやらさせてくれていた。

しかし、それが故に私自身決断力は全くと言っていいほどない。自分が言ったことに責任が取れない為、他の人の助けを必要とする。一人で仕事の事を決めることは苦手である。だが、それは私は悪い事ではないと思う。シンプルに騒いで巻き込んで他の人も巻き込めばいい。人はコミュケーションを取らないと生きていけない。困ったときはお互いに支えあったり、手助けがないと一人で抱え込んでいては悩みが解決しないであろう。みなさんは一人で考えすぎていないだろうか。

私が人との関わりで大切にしていることが2つある。

私がやっている事の一つ目
・基本相手の事を優先にする
相手の気持ちを深読みすれば、声をかけるタイミングや流れを把握できるはずだ。

自分の意思決定がない以上、それしかできない訳でもあるが別に苦ではない。

メリット
・人の趣味を学べる
・基本話をきくので情報も入る
・相手の考える事の先読みができる
・人間観察が上手になる

デメリット
・人によって考え方の誤差が生まれる
が挙げられる。

私はずっと小学生から大学生までずっとテニスを続けていた。競技者からインストラクターに変化していったのだが、考え方が丸っ切り異なっている事に気がつけた。

二つの考え方を見ていく。

・競技者だ。競技者はもちろん自分ファースト主義で、自分の練習の為に時間を使いたい。監督の言う事を聞くことも難しい。自分が勝つ事しか考えていないマインドである。要するにプライドが高い。

・インストラクターとしては相手がうまくなるように指導をする。相手ファースト主義である。少しでもうまくなってもらおうと、癖を探してそれをコーチングする。心は落ち着いたままプレーができるので荒れることがなくなる。

どっちがいいか悪いかではないが、私は自由主義者である為、後者のインストラクターのマインドが強い。波がない為、相手がいくら強かろうがうまく対応できるのである。なので、ころっと勝ってしまうことが多かった。しかし、勝った気はあまりない。努力している競技者の方が何倍も高いと思う。余談であるが、強さより技の方が好きだった。スポーツでも考え方がゆとりがあったのだと今も思う。

体験談して思ったことは、インストラクターをしていてほとんどのアドバイスを競技者の方は聞けないことだ。自分も競技者時代は、プライド高くて、監督のアドバイスを聞く時間があったら練習がしたいと考える程だった。今思えば、客観的に見えている他者の評価も取り入れた方がよかった気もする。その経験もあり学べたこともあった。それを実際私が教える立場になり、その状況で教え続けることに挫けることはあったがやってメンタルは鍛えられた。
しかし、面白いことがある。相手が本当に気にしている癖や考え方の本質な部分に気がつけば、アドバイスを聞くことだ。インストラクターはレッスンのメニューを決めることができる。そこで、相手の気にしている点を中心にレッスンを行うと聞いてないことが嘘だったかのように、頷いたり、リアクションをとってくれる。その核心に迫ってしまえば、信頼を得ることができ、またこのコーチに習いたいというマインドに変化する。

名門コーチもそうだろう。上を目指す競技者プロの選手を輩出している実績のある人間を頼りする。その環境に足を突っ込みたくなるだろう。しかし、その名門のコーチでも、核心を着くまでに相当な苦労をしていると思う。私自身も1レッスン90分の中で10人以上の競技者を見ていた。その時間テニスをするが、終わった後、プライベートでもこの人のこの癖をどう直したら上手くなれるのかはイメージトレーニングは毎日行っていたし、学校の授業中にも考えていたりもした。それが人間観察の先を見据えていたのかもしれない。そして、レッスンテーマを自在に操って競技者の心を操るスキルもついた。これが相手の考える先の事をやる事で心を掴めた実体験である。このおかげで誰とでも話すことも可能になった。相手と会話する中でもどんなことが喜ばれるのかを考えられるようになり、お互いがWIN-WINになるような会話ができる。
人の見方を様々な視点で観察してほしい。それは街中で歩いている人でも可能であると思うし、先輩や友達との会話でも改めてマインドを変えて話すことで意外な一面にも気がつけるかもしれない。

私がやっている事の二つ目は
何でも報告をする事
何でも報告をする事で興味を持ってくれやすくなる。

細かく解説していきたいと思う。

前置として、尊敬する人物に対して私は行動パターンを観察したくなるタイプの人間だ。
観察をして真似をしていいとこを盗むという感じだ。

例えば、仕事熱心で尊敬する上司が居たとする。仕事の内容も、案件もたくさん依頼され、接待もとても上手、その人物がいるから業績が向上していて、周りからの評判も高いという人がいたら間違えなく尊敬するだろう。しかし、プライベートを一切明かさないのはどうだろうか。会社という組織にいる以上、オフィスで顔を合わせたり、飲み会など歓談の場は必ず存在する。そんな中、プライベートを隠す人にもっと距離を詰めたくなるだろうか?

私はそうはなりたくない。
何でも相談してしまう派だ。
仕事もプライベートは馬鹿にされてもいいという考えなのだ。晒しすぎて笑われることも多々ある。別に話しすぎて怒られることもないし、むしろ隠し事をずっと抱えている方がかえって心に悪いと思う。

私自身、入社したては流石に社会人初めてで常識もわからない為、何も話すことができなかった。仕事のミスをしていても隠していたのが正直なところ。しかし、悲劇は起こった。その隠していたことがバレたのだ。みなさんはそんな馬鹿げたことするわけないじゃんと思うかもしれないが、私はしてしまっていたのである。
具体的には、間違えて注文してしまった物の処理を隠していた。まぁバレるよね笑
しかし、相談できなかった自分は正直心が苦しくて表情も強張っていた。ただそこで思ったのが失敗を美味しいと思うこと。その時は確かに隠していたこと、ミスを認められなかったことに死ぬほど怒られた。←当たり前笑
だけど、ミスしたから死ぬわけではない。その出来事は後日笑い話に変えられるかどうかだと思う。よく会社でミスをして死にそうな顔している人が居るが、考え方が重すぎると思う。確かにミスは怖いし、人に迷惑をかけてしまうと感じてしまうかもしれない。しかし正直、人間である以上ミスは付き物である。その都度再発防止に努めるべきだ。最近でも注文をミスってしまうことはある。前回の教訓を生かし、早めに職場の人達にやっちまった〜と言える勇気ができている為、複数巻き込んで協力してくれる。前回の商品より高かったんですよねーなどと前回のミスも忘れていない事も口にすることで仕方ないやつだけど支えてやるかと思ってもらえることもある。まだ、入社が浅いっていうこともあるが。何回だってやり直しは可能。

実体験が仕事の話中心になってしまったが、プライベートも話している。仕事の枠以上の話ができるからだ。仕事とプライベートが違う人間も多数存在する。人を観察する上では両面が必要になる。実際に人生の経験として、キャバクラに行ってきましたであったり、風俗に行ってきましたなど話すことで結構興味を持っていただける。今日もナンパしてきましたなどと言うことでどうだったのと興味をすごく示す笑。とても喜んでもらえる。ただ常に、楽しい事の発信しかしていない。むしろ自分の仕事もプライベートも楽しい事に考えられてきているのだと思う。元々、一人で悩んでいた頃は甘えて生きていたので、社会が辛すぎて家から出たくなかった。でも、失敗があった時に先輩達が飲み屋で反省会をしてくれた。そこから何でも相談していい環境に気がつけたのである。私自身今は、報告が殆どだが相手に対して楽しめたり、喜ばれる事を考える為にどう動くかを考えている。いつもそう言う報告をする事で面白がってくださっている。プライベートも仕事も同じ時間であるんだから、楽しくていいじゃないと思う。歳をとればライフスタイルにも変化が現れると思う。そう言うことも相談できる環境でいたい。深く知って貰うことで見返りが多いこともある。

まとめとして、自分の考え次第で楽しいことは沢山見つけられる。マインドさえ変えられれば、何にでもなれると思う。たまたま私はストレスフリーに楽しく暮らせていのだが、その甘えや何もできないことがかえって巻き込む力に繋がっているのかもしれない。参考になるかはわからないけど、楽しく自分らしく余裕を持って生活も大事ではないでしょうか。

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