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節制のススメ ~一定水準から生活の質を上げてはならない~

どうも、おさです。



今回も節約系の内容で書いていこうと思う。

人は大体お金を手に入れ始めると、自分の生活の質を上げることに専念するだろう。

それ自体は悪いことではない。

生活水準が低すぎると、それだけで自分にとって悪影響でしかなく、それらを改善することは何よりも最重要事項だろう。

だが、単純にそれのみに力を入れすぎるのはあまりよろしくはない。

なぜなら、そればかりにお金をかけすぎると、その生活に慣れてしまい、また満ち足りなくなる。

そうするとまた、生活の質を上げなければいけなくなるのだ。

そうなると、もう負のスパイラルだ。

限界が訪れないものほど、質の悪いものもそうそうない。

そのため、この手のものはある程度の線引きを作り、それ以上の質の向上は避けなければならない。

私としては、ある程度の贅沢であったり浪費は大事であるとは思っている。

だが、何事もやりすぎは本当によくないのだ。

心をただ弄ぶように蝕むだけである。

それらを自分なりに理解することはとても大切である。

私自体は、服や食事にそこまでの興味関心はなく、生きれる程度であれば問題がないと思っている。

その代わり、自己投資であったり、趣味である音楽関係には多少ではあるが、お金をかけてはいる。

これは自分を壊さないようにするため、そして自分の将来に備えてのお金の使い方である。

人によって、何にお金をかけたいかは変わってくるだろう。

今回、私はたまたまこの2つになっているわけで、他の人からすれば旅行であったり、色々とあるだろう。

大事なのは、やりすぎることなく、ある程度にしておけるものであるかどうかである。

体に良いものも取りすぎると体に毒であることと何ら変わりはないのだ。

これからどんな時代になるかは誰にもわからない、そんな中で自分としては、中長期にかけてのキャリアプランであったり、ライフプランは立てるべきだと考えている。

指針がないことには誰もその場から動くことなく、でたらめなことをしてしまうだけである。

その場にあるものに満足するかと思えば、見栄を張り上を上を見てしまう。

果たしてどれほどの差があるのかを推し量ることなく下手なことをしてしまうのだ。

そんな壊れたコンパスではなく、不器用ながらも方向が定まるコンパスの方が良いに決まっている。

だからこそ、ある程度は守銭奴になるべきなのだ。

人に後ろ指さされるほどではない、節約レベルでいいのだ。

そこから、本当の自分探しが始まる。

人を気にすることなく自由に生きれる人生の始まりが。





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