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「夢」と「理想」の違いについての個人的見解

私は自分でも思うくらい変わり者である。その一例として挙げると、私は「夢」をいう言葉が嫌いなのだ。これは22年たった今でも思っている。
私たちは「将来の夢を考えよう」「夢を持って生きろ」といった言葉を定期的に言われながら育っていったことだろう。
この言葉に私は一種の嫌悪感を抱いている。あまりにも軽々しく感じるその言葉、「夢」に対して。
最初のうちは少しの違和感から始まったものだった。それが次第に膨らんでいき、今では「嫌い」という感情にまで発展してしまった。
これだけを聞くと、消極的な考えしかないのかといわれる時もあるがそうではない。私は「理想」という言葉に関しては良い印象を持っている。
なぜこうなったのか。今回は「夢」と「理想」についての個人的見解を書いていこうと思っている。

「夢」

そもそも皆さんは「夢」の語源の意味を考えながら使ったことはあるだろうか。調べてみるとこう記載されている。

ゆめ
【夢】
1 睡眠中に、あたかも現実の経験であるかのように感じる一連の観念や心像。視覚像として現れることが多いが、聴覚・味覚・触覚・運動感覚を伴うこともある。「怖い夢を見る」「正 (まさ) 夢」
2 将来実現させたいと思っている事柄。「政治家になるのが夢だ」「少年のころの夢がかなう」
3 現実からはなれた空想や楽しい考え。「成功すれば億万長者も夢ではない」「夢多い少女」
4 心の迷い。「彼は母の死で夢からさめた」
5 はかないこと。たよりにならないこと。「夢の世の中」「人生は夢だ」→夢に →夢にも

「夢」はいわば、地に足がついていない不安定なもの。現実と比べた時に差があり、不確かな物という印象が私には感じられる。それを持てと言われても、「持って次はどうするんだ」と構えてしまう。
今「夢」を見たところで世間知らずの大馬鹿者だ、と揶揄されるだろう。人は地に足をついた生き方をしなければならない。
それは質素な暮らしをしろという意味ではなく、自分にふさわしい生き方をしろという意味合いだ。
わざわざ非現実な妄想に浸り続けることに、果たして価値はあるのだろうか。

「理想」

よく「夢と理想は一緒だろう」と思う人もいるだろうが、少し意味合いが変わってくる。
「理想」とは、

りそう
【理想】
1 人が心に描き求め続ける、それ以上望むところのない完全なもの。そうあってほしいと思う最高の状態。「理想を高く掲げる」⇔現実。
2 理性によって考えうる最も完全な状態。また、実現したいと願う最善の目標あるいは状態。

どうだろうか。「理想」はいわば目標、達成すべき壁の一つと見受けられる。先ほどとは打って変わり、地に足を付けた確かな物といった印象が感じ取られる。
自らのレベルにほど遠いものではなく、頑張れば到達ができるものがこちらの「理想」に位置づけられる。
後はそこから具体的に計画を練って、あとは行動を起こすのみとなる。
むやみやたらに妄想に浸るより、確かな現実に向けて歩みを進めることがどれほどの意味を持っているだろうか。

まとめ

私たちは、「夢」を「理想」へと変化させることに慣れさせないといけない。
いつまで経っても淡い幻想しか見ない人に、これからの現実に対処できるほどの器があるとは到底思わない。
今現在、出来ることの範囲は格段に広がっている。逆にせまく感じている人は、ただ単に自分の見ている世界が小さすぎるのだ。
理想まで持ってこれたのなら、あとは行動あるのみだ。
行動する人のもとには必ず未来は開かれている。臆せず進め。

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