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-2063年

今、僕は20歳で年金を払いはじめなければいけなかったり、選挙にいかなければいかなかったり、これからの人生のために就職について考えなければいけなかったり、夢を諦めるか夢を追うか今が別れ道の時期になったり。

40になったら死ぬ

20歳になって日本で生きる大人の一員になったことで今後を考えることが増えた。
僕はずっと小さい頃から40歳になったらかっこいい死に方だけ選んで老後とか定年とかのことは考えずに人生の幕を閉じようとおもってた。
環境問題、経済問題、人口問題、そういうのも大学で軽く学んで余計長く生きる理由がないと思ったし、生きても死ぬのが怖いだけで無理して生きるんじゃないかなと。
別にいまはずっと楽しくて病んでるわけじゃないしどちらかというと楽観的で目先のことはずっと楽しくなるように考えて生きている。けど楽しいのが終わることが怖かったり、楽しくなくなるのが嫌で見ないようにしているのかもしれない。

僕は結婚して幸せな家庭を夢見ることがあるし、どんなおっさんになってるかも気になる。孫の顔が見てみたいというのもわかる。けどいまは現実的なものじゃなくてふんわりとしたビジョンで今すぐ手にしたい幸せではない。40になったら世界は混乱して日本も住みづらいはずだとか勝手に思ってるし、40になったらパートナーともそれなりに慣れてる日常を過ごすだけなのかなとも思う。もし子供がいたらその子が自立できるくらいで勝手に僕は死んでもいいかなとか昔から考えていた。

でも大切な人や仲間を取り残して困らすのは良くないし、もし自分が取り残される側なら絶対に止めるし嫌だと思う。自分が取り残す側でこの世から突然消えてしまい、僕のことを想ってくれる人が辛い思いをするならダメだと良心が語りかけるに違いない。

夢を見れる環境で育ったからこそ夢と希望は抱き続けるべき。

日本というこの国で生まれて二十年間育ってきたし、幸い周りにも恵まれて死にたいと思ったことは一切ない。けど不透明な未来を見据えるとやっぱり長く生きる理由もないのかなと思うこともある。けど幼稚園の頃から人は人に「将来の夢はなにですか」と聞く。すると大半の人が夢を語る。確かにない人も少なからずいるが「死ぬこと」と答える人はあんまり聞いたことがないしずっと自分の幸せを追い続けながら夢を模索する人がほとんどだ。20年も生きてくると絶望することもあるし夢が無理だと思うことも何度かあるだろう。
でも夢を叶える人もいる。大きな夢は叶えれなくても目先の小さな目標は達成できる人はたくさんいるし、絶望からの這い上がり方も覚える人もいる。
僕は絶望という絶望にぶち当たったことがないからまだ体験してないから夢を見続ける人間だろう。
僕は今悩みも正直あまりないしあったとしても数日したら忘れるようなちっぽけなものだ。
夢を見てられるうちは夢を見てたいし叶えてみたい。恵まれた環境にいることはもちろん理解している前提で。

最近考え方が変わった

将来的な家庭に関しては諦めたことないし40で死ぬとなっても自分の子が自立してからと言ってるようにその環境を叶えれるものだと思っている。別によくよく考えたら死にたいわけじゃない。自論ではあるが「介護されるくらいなら死にたい。」「死ぬのが怖くて無理やり生きてるくらいなら死にたい。」と思っているくらいであると最近気づいた。しつこく生きる気もないがどうせなら40でも夢を目先と小さいものでもいいからそれを見つけて生きたいと思えるように過ごしたい。自分は世界のヒーローでもないし自分一人でなにかを救えるとは思わない。けど自分のことは自分で救って、自分に頼ってる人くらいは助けたい。そんな考えすら浮かび始めたのが最近この頃。

老後はどんな風に過ごしたい?と聞かれることがあった。僕は昔から海の見えるとこでゆっくり過ごしたいとか自然の中で野菜でも育てたいなとゆるーい答えを「そこまで生きてるかな〜」と頭に浮かべなら言っていた。けど映画の「ショーシャンクの空に」のラストのシーンである主人公が海辺で船を磨いているシーンと主人公の「希望はいいものだよ」というセリフで僕はまだ希望持って生きたいと思ってしまった。その上取り残して行きたくない人に早いよ、一緒に過ごそうという不透明ではあるが間違いなく明るい未来の提示によって考え方が変わった。

この文を書いてて思ったが僕は絶望をしても、苦しくても40では死なないと思う。ずっと勝手に想像して40で死んでいいだろうと思ってそれが染み付いていただけで別に考え方は変わるし影響は少なからずなにごとからも受ける。今は60じゃなくてもいいからもうちょっと長く生きて不透明な未来をいつか澄んだ現実になる日まで生きてもいいのかなと希望をもち始めた。

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