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看取りと安楽死について現役看護師さんに聞いてみた

こんばんは!
埼玉県で介護福祉士をしている大西です!

今回のテーマは「看取りと安楽死」について。

現役看護師さんにインタビューしてみたんですね。
結構面白い話が聞けたので、書いておこうと思います。

最近こんな感じの話しばかりですが、お付き合い頂ければ幸いです。

それでは第127弾です、よろしくお願いします。


看取りへの理解が変わってきている

とある看護師さん(特養)に「看取りと安楽死」について聞いてみたんですね。

まずは「死を望む方へ僕たちは何が出来るか?看取りと安楽死は何が違うのか?」と聞いてみました。

すると病院での終末期のケア、最近は看取りに対する理解がある医者もやっと増えてきたように感じる、との話がありました。

今までは病院にいる限り、とにかく延命をしなければいけない、殺してはいけない、が主で延命の末に亡くなってしまう。。

が主だっていたとの事。

もちろん病院にもよるだろうが、、、と。

最近になって「何も望まない人にこれ以上何もする必要はないんじゃ無いか」と話す医者が増えてきたように感じると。

なるほど、なるほど。

以前に「平穏死のすすめ」という映像と本を見ました。

石飛幸三さんの話で、2010年程の出版だったそうですね。

有名な方だそうですが、恥ずかしながらこれを知ったのは一昨年の事でした。

いつを境にかはわかりません、わかりませんがこの石飛幸三先生のようなお医者さんが増えて来ていると思って良いのなら、それはきっと良い事なんだと思います。

看取りと平穏死は似ているような気がします。


亡くなるその瞬間までその人らしい最期が迎えられるように支援する事。

老衰が進んだ時、延命の手段があったとしても何もやらなくていい。何もしない事。


繋がっているように感じました。

ふむふむ。看取りと平穏死。

特養という終の住処、そこに勤める僕たち。そして目の前にいるお年寄り達。

ここの考えはずっと学んでいかなければならなさそうです。


死ぬ権利とは?誰の為?

昨今話題になる安楽死、○○さんとしてはどう思いますか?

と聞いてみたところ、「死ぬ権利は誰にあっても良いと思う。死んでも良いという訳ではないけど、、、」と。

「私たちはその人が望む事に最期まで付き合っていけたら良いんじゃないかな」との事。

確かに。僕もそれは思いました。

例えば以前にも記事に書きましたが、心臓の病気で苦しみ、しかし一命を取り留めたおばあさん。
残念ながら家族の方から延命は希望されず、かといって入院する事も出来ず、ひたすらに「殺してくれ」と叫び苦しむ日々が続きました。

何も出来ませんでした。

本人が望むのであれば、その権利はあくまで本人にある。

なるほどなぁ。

肯定も否定もせず、なんだか深く身体の芯に入り込むようでした。


以前にある記事を読みました。

すご〜〜くまとめるとこんな感じ。

「人は意思が弱い時ももちろんある。『死にたい』という思いは一時的なものの可能性もあり、その言葉が全てと捉えずに本人が希望を持てるような関わりをする事が必要。」

みたいな感じのやつです。書いた人、間違ってたらごめんなさい(笑)

それを思い出し、思ったんですね。
例えばALS(筋萎縮性側索硬化症、徐々に筋肉を動かせなくなる難病)を発症した方がいて、
これから自分がどういった道を辿っていくかを考えた時。

それを予期した時に「元気で綺麗なうちのまま死にたい」と。もし言われたらどうするか?

今後もしかしたら治療の目処が立つかもしれない。
もしかしたら何も進展せずこのままじっくり体が動かなくなるのを見届ける事になるかもしれない。

正直希望があるなら生きていて欲しい、と思うけど無責任に「生きていればきっと大丈夫」とも言えないな、と思ってしまいました。


死に方を選ぶのもある意味本人の決定であるべきなのか?

この人の人生は誰のものなんだろう?

そして自分達に出来ることはなんだろう?

今スイスでは安楽死が認められているそうですね。

まだこれから勉強するところですが、「人の尊厳」や「意思決定」など気になるところです。


まだまだ答えは出ませんが「生きる」と「最期」について、これからも考えていこうと思います。


それでは今回も読んで頂きありがとうございました。

次回もまたよろしくお願いします。

未来を創る介護福祉士 大西

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