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それでも僕は諦めたくない

こんばんは!
埼玉県で介護福祉士をしている大西です!

今回のテーマは「諦めたくない」です。

ただ嫌だとか悔しいとか、そういった話ではなく「理解は出来る、それでもまだ可能性は無いのか」という苦悩と格好からきたタイトルです。

そんな心情を語る第95弾です、よろしくお願いします。



ぶち当たるのは『人』いう事。


この仕事をしているとぶち当たる壁が沢山あります。

それは「この人の望む事はなんなんだろう?」

です。

介護は「相手の意思を尊重し、その人らしい生活を支える」なんて事は重々承知しています。

では相手の意思がわからない場合は?
体調が下降気味でも家族の意向で病院に行けない場合は?
弱っているのがわかっていて、その人にしてあげたい事と望む事が何かわからない。

口から食べれた方が良いよね

ベッドから起こしてあげた方が良いよね

みんなの顔が見れた方が良いよね

トイレに行けた方が良いよね

一般的には言われる「この方が良いんじゃ無いか?」はあります。
人として、とか。尊厳を守る、とか。

僕もそのように思う、だけどそれが「押し付けになっていないか」「苦痛を与えていないか」

ここが気になります。
相手はロボットでも人形でもありません。

確かにそこには「感情」があって、どこかに『意思』があるのではないでしょうか。

わかりません。

考えても考えても迷宮入りです。

例えば今僕がぶち当たっている壁を紹介します。


『口から食べる』は苦痛なのか

一人のおばあさんです。

猫が好きな人で、猫の人形を見せると優しい笑顔を見せます。

移動は車椅子、以前はトイレにも行けていたし、食事も自分で食べる時もありました。

たまにムセるのでその時は食事を中断したり。


それがこの所一口水分を摂るだけでゴロゴロ、ゴロゴロ。

やめる。



ゴロゴロゴロゴロ。

やめる。

吸引する。

ゴロゴロゴロゴロ、、、

吸引する。

やめる。

栄養が摂れない、体重減少。

食事の形態を変える。

ソフト食、プリン食、ゼリー食。

トロミをつける。強さを調整する。

ゴロゴロ、ゴロゴロ。

吸引する。


マッサージや姿勢、あらゆる事を試す。

自分の意思はハッキリ口にしない。

表情や言葉にならない言葉を聞いて判断していました。

点滴をして、一時はまた口から食べれるようになりました。

しかし今、また食べれなくなってきました。


またあらゆる事を試します。

しかしわからない。


テーブルにいれば食事に手を伸ばす。

(食べたいのかな?)

しかし食べるとゴロゴロゴロゴロ、吸引をする。

STさんに見てもらう事は望まれていない。

介護職で出来る事で対応です。


食べたい意思はありそうだ。

しかし食べる事が本人を苦しめるのか?

僕たちに出来る事は何なのか?


食べれなくなったから終わり

なんて割り切れる物じゃありません。

相手はロボットや人形ではありません。

生きているんです。

手を出せば握るしぼんやりと虚空を見つめている。

老衰だってあると思うし、それはわかる。

本人のしたいようにしてあげたい。

それでも『食べる』が苦痛になるのか。


わからない。

だからずっと出来る限りの手段を考えています。


こうして『食べたい』と『苦しみ』を天秤に掛けています。

その先には『本人の死』が待っています。

中には「無理せず」という人もいるでしょう、当然です。

中には「可能性を探ろう」という人もいる、それも当然です。


皆の想いがあり、本人の望む事を探っていく。

介護です。

これが介護の難しさであり尊さだと感じています。

そんな一日でした。


それでは今回も読んで頂きありがとうございます!
次回もまたよろしくお願いします。

未来を創る介護福祉士 大西


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