2024年4月1日 愚痴

 今日から新年度が始まった。自分自身、この3月に大学を卒業して、今日から晴れて新社会人となった。本当に、晴れて、やっと、何とか、無事、社会人になることができた。受験も現役で合格したし、留年も一度もしなかった。それでも、やっと、と言いたかった。忘れてしまう前に、ここに書いておきたくて、文字を打ち込んでいる。


 大学の最初の2年間はコロナでつぶれてしまった。家から全くでない日もざらだった。そりゃ、社会人の方々に比べれば、なんてことはないとは思うけど、やっぱりしんどいものはしんどかった。
 
 友達にも会えず、交流する人は全部、画面の向こう。
 個人的にしんどかった受験を乗り越え、その先に待っていたのは、つかみどころのない、あるのかないのかよく分からない日々だった。ふさぎ込む人、鬱になっちゃう人、縁遠かった自分でも、どこかそんな人たちの気持ちが、考えが、少しわかりそうだった(100%分かってあげることなんて絶対無理だけど)。




 それでも社会全体がなんとか頑張った結果、少しずつ猛威は収まり、大学3年になる頃には、登校ができるようになっていった。

 3年生のとき、あるゼミへ入った。学内でも大変で有名なゼミだった。それはもう大変で、週一のゼミの日に向けて、週六日、ゼミの課題に打ち込まなければいけないゼミだった。
 しんどかった。自分で選択したゼミだから、言い訳なんかできるわけない、逃げられるわけない、甘いこと言ってんなよ、勝手に苦しかった。


その時期によく聞いていた曲を、今、聞いても、課題で眠れず、眠い目をこすっていた、通学電車やバスの車窓を思い出す。苦しい、嫌だ、逃げたい、でも結局逃げなかった。逃げれなかった。


 大学3年から大学4年になる時期。後期に行ったフィールドワークの報告書の作業が終わらず、春休みまでずれ込んだ。
 地元の友達の遊びを断る機会が多くなった。ゼミが忙しくて。ゼミのみんなは気丈だったが、どこか疲れていた。




 何とか終わった3月、何度も会う約束を断った友達にお詫びをするために遊びに誘った。コロナ禍でも連絡を取り合い、夜中も電話して、くだらない話ばかりしあった友達だ。快くOKをいただき、迎えた当日。お詫びをし、会っていなかった間の話をした。

 申し訳ないとは思いつつも、ゼミが大変だった、辛かった、という内容になってしまった。
 共感してほしい、同情してほしい、慰めてほしい、自慢したい。そんな風に受け取られてしまったのかもしれない。話を聞いた友達から、


お前と会うと、いっつもそんな話ばっかだよな、お前、本当は忙しくないんだろ。


 その時、何かが切れてしまった。



 半分冗談なんだろうな、と今では思う。しかし、目の前のことで精一杯だった自分には、あまりにも深く刺さってしまった。

あ、そうだよね、もしかしたら忙しくないのかもね。

苦し紛れの一言を返すだけになってしまった。
 
 

 自分で選んで、自分で進んでいるはずなのに、自分の為になるのに、投げ出すことなんてできないのに、自分勝手、ただのエゴなのに、逃げれないのに。



 そのあと、4年生になり、自分の卒論を進めていくときも、何か抜けたような、力の入らない一年間となった。
 その一年間の間にも、何度も友達からの誘いを断った。
 数か月前から決まっていた、ゼミとは関係のない日にスケジュールを組んだ旅行も、一週間前に急に入ったゼミの予定で、ドタキャンをした。


ため息をつかれた。


 全部、自分のせいで、全部、言い訳で、全部、情けないけど、聞きたかった。こんな思いをしてまで、こんなことを経験してまで、もらえるものは一緒なのか。こんな思いをするのが大学生なのか。
 卒業式の時、全く心は晴れやかじゃなかった。解放感もなかった。こんな考え方をしてしまう自分が嫌で、こんな思いしかできなかった自分が憎くて。


 今、苦しい、大変と感じていることは、数年後、笑い話になって、自分の糧になるよ。


ですって。自分の糧にはなるかもしれないけれど、少なからず、絶対に笑い話になんかできないし、輝きもしない。させない。でも、そうなってしまうかもしれない。それがたまらなく憎い。こんな思いをしてまで、こんな考え方になってまで。
 社会人になってどれだけ役に立つか分からない知識と能力と経験を身に付けても、心はざらついてしまった。少なからず、卒業後に、こんなことを書くくらいには。



 ある、アイドルグループのメンバーが、グループの活動と両立してきた大学を、無事卒業できた内容をブログに綴っていた。あまりにもきれいで、まぶしかった。誇りに満ち溢れていた。何とも両立していないのに、こんなことしか書けない自分とは大違いだった。

 でも、だからと言って、この気持ちや思いは、無くしたくない。意地を張ってるみたいだけど、でも、本当に忘れたくない。だから、ここに残しに来た。吐き出しにきた。


 きっとこれからの社会人生活、もっと、もっと、辛い思いをするはずだ。全部、受け止めて、なんとか咀嚼して、でも吐き戻して、そんなことをしないとだめなメンタルになっちゃったけど、がんばっていきたい。その決意も含めて、ここに残します。



櫻坂46 何歳の頃に戻りたいのか?

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