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映画作家としての北野武:『その男、凶暴につき』

 ビートたけしといえば、ピコピコハンマーを持ったコマネチのおじさん。物心がついた時からこのイメージは強固に結びついていた。いつもふざけていて、ひょうきんで、キャラクターのようなおじさんだと思っていた。
 ハリウッド・ザ・コシショウがたけしのモノマネをするらしい。「なんかいいと思ったら、黒澤さんのアングルなんだよなぁ」というモノマネは、ビートたけしの方じゃなくて北野武の方の真似をするというのが味噌である。そう、彼は映画監督なのである。

 レンタルビデオ屋にて、『3-4×10月』『ソナチネ』『その男、凶暴につき』の3本をレンタルした。『3-4×10月』のギャグ的なシーンを淡々と映しており、コメディチックで安っぽい喜劇になることなく、それでいてシュルレアリスムのような空気が満ち満ちている。そして花冠をかぶって花畑に鎮座している北野武のイメージが鮮烈だ。この記事の見出し画像は『3-4×10月』のこのシーンのものである。
   『ソナチネ』における石垣島での爽やかなロケーションと、ヤクザたちの冷徹さの調和は、日本のヤクザ映画において稀に見る芸術的傑作である。


 そして何よりも『その男、凶暴につき』だ。捜査のためなら暴力を行使することも躊躇わないほど気性が荒く粗暴な刑事をビートたけし(監督は北野武で主演はビートたけし。クレジットの表記は区別がなされていた)が演じる。そんな性格のためか、同僚からも敬遠され、上司からも腫れ物扱いされる。それでも気の許せる友人はいるわけで、友人が捜査中の容疑者が怒鳴って暴れようとすれば、ビートたけしが廊下の奥から現れて、その容疑者を殴って蹴る。ビートたけしの会話らしい会話の相手は、大半がこの友人の刑事である。ビートたけしが演じる刑事の人間関係といえば、あとは精神疾患を抱えている妹の面倒をみるくらいだろう。

 刑事とヤクザとの間で正義と仁義(?)によるバッチバチのバトルが繰り広げられるのだが、何しろ暴力に次ぐ暴力なもので、どちらが刑事側でどちらがヤクザ側かわからなくなるほどだ。どちらもヤクザだ。ヤクザ対ヤクザの映画を見ているように鮮烈な視覚的イメージを放っている。痛々しいという感じはないが、かといって痛快ということもない。ビートたけしの冷徹な表情は恐怖をも感じる見事な演技である。

 この映画のラストシーンはたけしvsとあるヤクザの因縁の対決である。たけしが親しかった友人が、色々あってヤクザに殺される。いや、映画の中で殺されることが明示されているわけではないのだが、たけしはそう思い込んで、ヤクザへの復讐を誓う。捜査の中で幾度か対峙する度に殺す/殺されるの駆け引きを経る。その中での過激すぎる暴力によって刑事をクビになったたけしは、復讐だけを目的にヤクザのアジトのような倉庫にやってくるのだ。ヤクザの元へ歩み寄りながら銃を撃つたけし。それに応じるヤクザ。セリフのない撃ち合いによって、傷を追いながらも復讐という目的を遂げる。
   すると、背後からたけしの妹が出てくる。ヤクザに捕らえられ、ヤク中となり、目の前にいる自分に気がつかず薬を探す妹、そんな妹を残酷にも無表情で打ち殺すことで、抱えているものを全て手放し、自分と決別する。そしてその場を後にしようと、倉庫の出口へと向かっていく途中に、他の人間によって頭を撃ち抜かれ、それまでの全てが精算される。こうして『その男、凶暴につき』の物語は幕を下ろし、たけしの頭を撃ち抜いた男がまた新しい物語を始めることが暗示されている。この冷淡で鮮やかで無駄のない流れが非常に格好よくて素晴らしくて唸った。


 僕がこれまでに見てきた芸人としてのビートたけしと、映画作家としての北野武は全くの別人であったが、「バカヤロゥ」の言い方はずっと変わらない「バカヤロゥ」だ。


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