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8/27 擬似一人暮らし、最後の夜(コロナ10日目)

疑似一人暮らし最後の夜、一人で大好きなカレーとナンをセブンイレブンで買って食べた。そしたら、昔よりずっと生きることが得意な私を見つけた。

十日前、コロナウイルス陽性になった。2000人ちょいの中に私も加わっていることが、なんか、キモイなあと思った。実感はなかった。コロナになっても、元来インドアだからあんまり変わらなかった。責められることなく家にいられる日々はなんだか、私がずっと欲しかったものみたいだ。とはいえ、コンビニに行けないのは少し悲しかった。夜中に思い立ってコンビニに行くことが一人暮らしの特権なのにも関わらず。そういえば、恋人ができて、ずっと一人が得意になった。そりゃ、恋人といるときが一番楽しいよ、もちろん。でもそれ以上に一人が得意になったことが嬉しい。大人になったのだろうかね。素直に愛されているし、素直に愛している。「あなたと一緒にいることで、一人が得意になった。」と言えるほどに、愛している。

このブログを熱心に書いていた時とは変わって、私はコーヒーを飲んでいる。コーヒーが飲めるようになった時、「お酒を飲めるようになった時より、大人になった気分だなあ。」と思った。実際、そうだと思う。今はあまりお酒を飲まない。白ワインをたしなむ程度に飲む。煙草は相も変わらず吸っている。銘柄はハイライト。水色が注意書きに侵略されてて、いまだに少し悲しくなる。水色は、ゆるめるモ!のあのちゃんの担当カラーだったから好き。私はもう、あのちゃんを見て救われることはないのですが。大森靖子とかね。私、もう、死にたくないのです(慢性的には、ですが)。昔好きだった人に(あなた、とこのブログでは表記していた)、「あなたのこと、殉死する人の気持ちがわかってしまうくらいに好きだったし、信仰していた。」と伝えると、「おつぶだったらやりかねんなあ。」と笑ってくれたことがあったんだけど、もう私、あなたのために死ねないよ。私は、私のために生きて死ぬと思う。(今はだけど)子どもも欲しくない。これは私が「生まれないことが一番幸せなのでは?」と最近思ってしまったからである。子どもを産むということはエゴだなあ、と思うし私の人生に子どもは必要とされない。私は、私と恋人以外の人間のことを愛する懐の広さを持ち合わせていないし、大事なものの範囲が広がるのは怖い。生きててよかった、あの時死ななくてよかった、と思う夜はあるけれど、生まれてきてよかったとは未だに思えない。恋人に対して「あなたと出会うために生まれてきたのね。」とかロマンティックなこと、言えない。でも、「死なずに、生きてて、あなたと出会えてよかった。あなたといると世界が見やすくなった。これから先、私の世界をずっと見やすくしていてほしい、わがままだけど。」とは思っている。なんだか、私はそのほうがロマンティックだと思うのですが。絶対にずっと好きだとは胸を張っては言えない、だけど今、世界で一番愛しているよ。そういう確実さと誠実さを、今は重要としている。なんだかラブレターのようになってしまった。愛しているよ。

全く、反対の私と恋人ですが、それが心地よいのです。見ている世界が2個分になった。恋人はよく私にいろんなことを教えてくれる。その話を聞くのが、私は好きです。恋人のフィルターを付けて見る世界は、私の世界とは違う輝きを放っている。それが奇跡みたいで、嬉しい。(すべての人間は違う世界を見ているというのが私の持論ですが。)この人と一緒にいることで、私の世界は今までよりもっと豊かになるだろうな、と感じている。まあ出会ってやっと一カ月ですが。なんだか、恋人と一生一緒にいるビジョンが見えて、わけのわからない確信めいたものがあって、そういうことを思うとき、まだ少し運命というものを信じそうになる。でも、なんかいろんな偶然が重なって出会えたのって、それはわりと運命じゃないかな。違うかな。私は今仲の良い人間に対して、「出会えてよかったなあ。もし少しでも違う選択をしていたら出会えてなかったかもしれないのに、この人たちと出会える選択をしてよかったなあ。」と思っているような重い人間です。


私が、私として生きてきて、本当に良かった。なんだか話が二転三転してしまったかも。でも、本当に生きててよかったよ。フラカンの深夜高速を聴きながら「私も、探してるよ。」と泣いた日も抱きしめて、包み込めるくらいに、大人になりました。もうすぐ22歳。疑似一人暮らし最後の夜から、愛をこめて。


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