9日目:本
最近、この日記を書いていない。書けない理由というと忙しくて……みたいな感じだとソレっぽいのだが、残念なことにその逆である。
忙しいというのは客観視さえできれば、ネタの宝庫なんだな。
とはいえ、あまりに書かないのも暇を助長しそうなのでひねり出してみる。
今までに僕はあまり本を読んでこなかった。
小中学生の頃に読んだことのある本でパッと思い出せるのはハリーポッターくらいしかない。若者の活字離れなんて言われるのも納得である。
なぜ読書がこんなに社会的にチヤホヤされているのか、僕は小さい頃から疑問に感じていた。なぜ漫画ではだめなのか。なぜ読書は高尚な趣味という雰囲気がするのか。
まずなんだ、高尚な趣味って。趣味に優劣なんてつけてい…………………
そんなことばかり考えていたせいで、気づけば読書というイメージ自体が苦手に感じるようになってしまっていた。
今になって考えれば漢字や日本語の表現、想像力なんかが鍛えられるみたいに答えることは可能なんだけど、そんなことは重要ではなかった。
未だに僕の中には‟高尚”な文化に対して嫌悪感は残っている。これが分からない人は下等って言われてる気がするからだ。きっとこれからもその価値観は消えない。
けれど、この外出禁止のおかげで最近本が少しずつ読めている。
高尚っていうのは相対的なものだ。誰かと比べるから、低と高に差が見えてくる(本心では趣味という分野なら低も高もほんとは存在しない‟高尚陰謀論”を唱えたい気もする)。
周りに誰もいなくなる孤立した、いや孤立できる時間だからこそ、ちょっと高そうなハードルに挑戦できる。このハードルに引っかかって跳ぶことを断念しても誰にも見られることはないから。
そうして自分を孤立させられたおかげで少しずつ読書に対する偏見を溶かすことができてきた。
オードリー若林のエッセイ本から読み始めたのも良かった気がする。
完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込
自分と似た考え方をしていたからすんなり文章が頭に入って来るし、エッセイは比較的、文体とかも読書初心者には易しいものになっている。
大学に入って(若林の場合、社会に出て)感じたもやもやとか、強すぎる自意識との付き合い方とか、とにかく読んでて楽しかった。
これだ!本って楽しいから読むのか!そう思えたときに自分の中で一つの問題が解決した気がした。
よく考えたら当たり前だよな。本も娯楽なわけだし。
こんぐらい物事をライトに考えられると、そのうちスタバとかもすんなり入れる日が来るのだろうか。あの意識の高そうな店員と仕事ができそうな客、大学生になっても未だに身構える。
あの高尚さが解けるのは何十年先だろう。そのころまでスタバが生き残ってると良いけど…。
ウンタラカンタラフラペチーノで、って言いてぇーーーー!!
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