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「当たり前」って何だろう

ケイです。ここ数日、急に冷え込んできましたね。
今日みたいに寒い日には、ゆっくりと湯船につかって温まりたいものです。

生徒たちの会話から

以前、生徒たちの何気ない雑談の中でこんな会話がありました。
「〇〇(ある国の名前)では毎日風呂に入らんらしい!!」
「えー!?そんなん信じられへん!!」

日本人の76%が毎日風呂に入ると言われているので、彼らからすれば確かに“信じられない”のでしょうが、世界は広い。

中国の内陸部に暮らすある民族は一生に3度しか風呂に入らないというし(生まれたとき、結婚式の前、死んだとき)、アンデスに住むインディオは風呂の存在を知らないということです(アンデスの乾燥した高地では、体の垢はこすると落ちるそう)。

古代ローマでは浴槽につかる豊かな風呂文化がありましたが、それはもう過去のこと。キリスト教の広まりとともに風呂文化はすたれてしまったらしい…(キリスト教が入浴を快楽としているため)。現在の欧米では洗顔や歯磨きと同じ衛生行為という感覚で朝にシャワー浴をするのが一般的だそう。

最近では日本人でもゆっくり湯船につからずにシャワーで済ませてしまうひとが多くなってきているような気がしています。
参考図書:宇田川勝司(2016)『なるほど世界地理 気になる疑問から学ぶ地理の世界』ベレ出版


風呂の話でも確認したように、場所が、国が、文化圏が異なれば、自分が持っている「当たり前」「常識」「普通」といった感覚が通用しなくなる。この事実は多くの人が知識として持っていることでしょう。

ただ、同じ場所で、国で、文化圏での「当たり前」「常識」「普通」については、漠然と“簡単には揺らがないだろう”と思ってしまいがちです。

衝撃的なツイート

数年前にTwitterであるツイートがタイムラインに流れてきました。それを見て衝撃を受けたことは今でも忘れられません。
そのツイートがこちらです。

いかがですか?私はめちゃくちゃ衝撃でした。
「海外では毎日髪を洗わない」という話を聞いたことはありましたが(水質の影響で髪や肌に負担がかかるため)、日本国内でのこのような事実は全く知りませんでした。

単純に考えて、50年間で15倍髪を洗う回数が増えていますよね。(朝シャンが流行った時期には朝晩洗っていたと考えると30倍??)ツイートに掲載されているのは花王のシャンプーの広告ですので、花王のウェブサイトを見てみると「髪と頭皮のお手入れの歴史」が紹介されていました。一部引用させていただきます。
引用元:https://www.kao.com/jp/haircare/history/14-1/


上記URLより転載

平安時代の年1回という話は、思い起こせば高校の時の古典の授業で教わり絶句した記憶があります。それにしても、ほぼ毎日髪を洗うようになったのがこんなに最近だったことはかなりの衝撃です。

詳しくは前述したウェブサイトを見てみてほしいのですが、洗髪頻度が週2~3回になるまでは、クシやブラシでとかすことで対処していたそうです。
とかして髪の汚れを落とす。毛流れを整え結ってまとめる。頭皮の皮脂を積極的に毛髪に移して、頭皮への刺激・匂いを抑える。抑えられない匂いはお香でごまかす。
髪に移した皮脂は髪を束ねることに利用され、まとめたり結ったりするためにさらに油を足していたそう…。(サラサラヘアーとは無縁の世界だったようです。)

学生の時に読んだ有吉佐和子の『紀ノ川』にあった、文緒が見合写真を撮るために母である花に日本橋の三越に連れていかれ、その美容室で「フケをとるとき櫛に弾かれて虱がフケ受けの上にパラパラ落ちるのに冷汗を流した。」という描写(大正時代後半頃)を思い出しました。十分ありうる話だなぁと納得です。(笑)

洗髪の頻度が大きく変化した要因は大きく二つ。内風呂の普及と液体シャンプーの登場だそうです。風呂付住宅が普及し始めたのって1960年代なのですね。これも、思っていたよりも最近の話です。家に風呂がない人たちは銭湯に通っていたようですね。ただ銭湯も町にはたくさんありますが田舎にはそんなになかったとか。

補足しておくと、洗髪にはたくさんのお湯が必要なため、江戸時代の銭湯では髪を洗うことは許されず、洗髪は自宅で行うかなり大変な作業だったそうです。昭和にはいってからも、これまたたくさんのお湯を使うことから、銭湯で髪を洗う人は洗髪料という追加料金を払わなければならなかったとのこと。

この先の時代を生きていくために

話は戻りますが、“毎日髪を洗う”という「当たり前」が、30年ちょっと前までは「当たり前じゃなかった」。こういうことって、日ごろは意識していなくてもたくさんあると思うのです。自分が「当たり前」「常識」「普通」と思っていることは、実はものすごく脆いのだと感じました。

同じ文化圏の中に居続けても、時の流れや時代の変化とともに「当たり前」はめまぐるしく変化していき、その速度は今後一層増してくることでしょう。

そんな脆い「当たり前」「常識」「普通」に自分を縛り続けることって、実は結構危険なのでは?世界や環境の変化に適応できる柔軟性って、実は超重要なのでは?と最近めちゃくちゃ思います。
生き物が種を存続させたり、絶滅していったりすることを考えると、環境に適応できる柔軟性こそが生き抜くために必要な能力なのかもと思ったりします。

以前ナッツさんが書かれていた記事に、今回の内容につながるものを(一方的に)感じたのでリンクを掲載しつつ、

今回はこれでおしまいです。


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