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9月に読んだ本から〜前半はヤギの”カヨ”、後半は”アラン・チューリング”で頭がいっぱい

9月は超個性派の著者のエッセイがとてもよかったので、ノンフィクション部門を独立させてみました。

■ノンフィクション

・『カヨと私』   内澤旬子
・『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2』  ブレイディ みかこ
・『面食い』   久住 昌之
・『ヴィオラ母さん 私を育てた破天荒な母・リョウコ』   ヤマザキマリ

まずは今月私に強烈なインパクトを与えたこの1冊から。

新聞の書評コーナーで知り、図書館で借りました。農業酪農の棚にあってちょっとビビる。2022年7月発行のまだ新しい本で、装丁もとても美しい(さらに文章も詩的で美しい)。たぶん、エッセイだと思います。

小豆島に住む著者の元へやってきた雌の白ヤギ ”カヨ”。当初は家の周りの草を食べてもらう目的で飼い始めたらしいのだが、カヨは嫌いな草は食べようとしない。想定外❗️

つんと澄まして首を立て、左右の前脚を一本線上に揃えて歩く姿は優雅でランウェイを歩くファッションモデルのよう。

ところが、カヨは21日ごとに発情し、近親相姦もお構いなし。1匹が7匹に!
ヤギだってそれぞれはっきりとした個性があり、いじめや妬みなどの関係性もある。ヤギの世界も面倒臭いんだなぁ〜、と同情しました。

あとがきを読んで、著者には若い頃から隠遁生活への憧れがあったと知りました。とはいえ通じ合いたい気持ちもあり、それは人間でなくてもよかったということなのかもしれません。

早く、一刻も早く人生の晩年となって荷風のように暮らしたいのに、私の人生にはこれから仕事を見つけたり結婚したり出産したりと、成さねばならないらしきことが山積みで、どれも全然できる気がしない。自由に暮らせる家一軒すら手に入れられるとは思えない。建設的な打開策ではないのは百も承知だが、どこかに一人で逃げ出してそのまま消えたいと思いはじめていた。

『カヨと私』
あとがき カヨと私とプラテーロ

文章もイラストも素敵で、内澤旬子さんに興味津々。でも文章とブログの写真のギャップにちょっと私の理解が追いつかない感じも…。

「ブレイディみかこ」さんと「ヤマザキマリ」さん。
どうしても私の頭の中で二人が同一人物化されてしまう。
カタカナの名前、国際結婚、息子がいる、の共通点のせいでしょうか?

『ぼくはイエロー…』はまぁおもしろかったんだけど、前回ほどのインパクトがなかったので感想は割愛させていただきます😌

一方、『ヴィオラ母さん』はとにかくぶっ飛んでいます。

音楽家、シングルマザー、勘当、とビンボーの要素しかない状況でちゃんと二人の娘を育てたリョウコさん。

音楽だけで生計を立てるなんて、高度成長期で日本の地方でもバイオリンを子どもに習わせたり、クラッシックコンサートに出かけたりするような余裕が一般家庭にもあったということでしょうね。
もちろん、リョウコさんの確かな技術やバイタリティあってのことだとは思いますが。

ところで、この本の所々にマリさんの漫画が挿入されています。が、そのリョウコさんの絵がどうしても写真や文章から受けるイメージとあまりに違いすぎて、脳内で結びつきません。
お嬢様育ちで、ヴィオラを演奏し、「暮らしの手帖」を熟読するような女性が、どうしてこの鬼のような容貌になるのか?最後まで違和感を拭えないままでしたね〜。

ご本人とのギャップといえばこちらもそう。
あのいつもニコニコしたイメージの久住さんと、この表紙とのギャップもかなりなもんです。


『面食い』と書いて『ジャケ食い』と読みます。
ミュージシャンでもある(切り絵師でもある?)著者が「食べることと懐かしいレコードジャケットへの愛を込めて」名付けたそうです。

たくさんお店情報は載っていますが、グルメ本ではありません😊

店の前で彼なりの吟味をしながら、いちいち「勝負だ!」と言って暖簾をくぐる(暖簾好きとみえる)。営業しているかどうかさえ怪しい店が多い。そういう意味では確かに勝負だ❗️

でも結局、この方ビールと焼きそばがあればそれだけでOKらしい。
ビールを飲む久住さんの笑顔を想像してニンマリしてしまいます。

■ 小説

・『博士の長靴』   瀧羽 麻子
・『たんぽぽ球場の決戦』   越谷 オサム
・『声の在りか』   寺地 はるな
・『オリーブの実るころ』   中島 京子
・『月の光の届く距離』   宇佐美 まこと
・『赤と青とエスキース』   青山 美智子
・『お誕生会クロニクル』   古内一絵

小説部門は残念ながら9月は★5つの作品はありませんでした。

越谷オサムさん作品は『陽だまりの彼女』以来です。

かつて「超高校級」ともてはやされたピッチャーの大瀧鉄舟は、肩を壊して野球の道を諦めた。市議会議員の母の計らいで掲載した”軟式野球クラブメンバー募集”の記事から、鉄舟は草野球チームを創設することになる。

集まったメンバーは、挫折やトラウマを抱えた老若男女ばかりというまぁありがちなストーリーではあるかな。

それでもスポーツの楽しさは勝負だけじゃないよなと改めて感じさせてくれる。
野球オンチの私でもそこそこ楽しめました。久しぶりにキャッチボールしたいなぁとむずむずしてきます。


マイブーム”寺地はるな”さん。

小学4年生の晴基とその母親希和。最近息子は何を考えているかわからない。夫はスマホばかり見て会話もない。保護者間でも孤立する。

今のお母さんたちは大変だなぁと、読んでいるだけで息苦しくなる。

なんていうか…子どもを人質にとられているみたいな感覚があるんですよね。親になってからずっと

『声のかりか』 「ウエハース」
希和の言葉から

わかる〜。この感覚父親にわかるのだろうか?

でも実際産んでみると、なにひとつ自分が思ったようにはできなかった。仕事をして子どもの面倒を見て、そんな必要最低限のことをなんとかこなすだけで、毎日が過ぎていく。

『声のありか』 「トマトとりんご」
美亜ちゃんの母の言葉から

勉強ができても仕事ができても、子育ては自分の努力だけではどうにもならないことがある。自分のことさえよくわからないのに、別人格の子どものことなんてわかるわけもない。
みんな同じなんだよと今渦中にある人に教えてあげたい。

ただ、子育て中の人はこういう本を読む暇なんてないだろうと思うと残念😌



こちらも大好きな作家、中島京子さんの短編集。

どの短編もどこか現実離れした不思議で不穏な雰囲気を漂わせているのに、そういうこともあるかもしれないなぁと納得させられます。なんという力技!

白鳥との恋愛を描く『ガリップ』など、その最たるものです。でも不自然じゃない。

「なあ、ひろし。終活というのはあれだろう。心置きなく死ぬための準備ということなんだろう。だからな、お父さん、どうしても終活がしたくなっちゃってね」

「ローゼンブルクで恋をして」

74歳の父が終活をしたいと言い出し、ローゼンブルクで選挙運動のボランティアをしているという。なんてかわいいお父さん。
子どもに迷惑をかけないようにという後ろ向きな終活よりも、自分のための終活が本来の目的なんじゃないかと思いました。

ちなみにローゼンブルクってなんだ?
読んでからのお楽しみです😊


最近かなり人気の高い青山美智子さん。図書館でもなかなか予約が回ってきません…。

今までの青山美智子さん作品とはちょっと違うけど、暖かくてほんのり甘い感じはそのまま。それぞれの短編がバラバラのようで、最後にはピタッとピースがはまりました。

第3章「トマトジュースとバタフライピー」なんて何にも関係なさそうなのに…。なるほどそういうことか!と読んだあと納得。

すべての鍵は「赤と青」です。



■ ノンフィクション

・『音声学者、娘とことばの不思議に飛び込む』   川原繁人

・『はじめての認知科学 』    内村 直之,植田 一博,今井 むつみ,川合 伸幸,嶋田 総太郎,橋田 浩一

・『学びとは何か――〈探究人〉になるために 』   今井 むつみ

言語学がマイブームのため『フリースタイル言語学』に続く、川原繁人さん2冊目です。

表紙やタイトルがキャッチーなため(内容もかなり砕けている)、手に取りやすい本ですが、真面目な本です。

コロナ禍に書かれた本で、在宅で娘さんや奥さんを巻き込みながら実験等をされていた様子がわかります。所々にQRコードが貼り付けられていて、再生すると娘さんの音声などが聞けます!
冷静に聞くと、これは単なる親バカ全開なのでは?とも思えるのですが…。

なるほどなるほど!と読みはするのですが、まぁ例によってすぐ忘れてしまう私。
一番印象に残ったのはやっぱり ”赤ちゃんはすごい” ということと、「コラム6」「おわりに」でした。

まずは、咲月・実月へ。本書は君たちふたりがいなかったら、影も形もなかったはずだ。コロナ禍が始まり、君たちと基本的にずっと一緒にいることになった。時には、仕事をする一人の時間が欲しくて、イライラしてしまったこともある。しかし、あの一緒に過ごした時間がなければ、実月、君の言い間違いを録音しながら、しっかりと言語習得という問題に向き合うことはなかったと思う。(中略)他の著作はともかく、この本だけはふたりが大きくなったら読んでほしいと思うな。ありがとう。

『音声学者、娘とことばの不思議に飛び込む』
おわりに とーちゃんは感謝したい

読んでない人にはなんてことないあとがきなんですが、なんだかコロナ禍の川原家(ひいては日本中の家庭)を想像して泣けてきました。

また、「コラム6」に女性研究者のキャリアについて書かれています。奥様も言語学者でありながら、子育て中でどうしてもキャリアを犠牲にしなくてはならない。それでも家族揃って学会に出席したり、子どもをおんぶして大学の授業をしたり(←著者が)、と夫婦で奮闘されているようです。感激しました!

もっと子育てに寛容な社会になってほしいと願います。


『はじめての認知科学 』 は共著ですが、『学びとは何か』どちらも今井むつみ先生の本です。
川原繁人さんも今井むつみさんも、慶應の先生だったような。言語学といっても守備範囲は広くて、むずかしいですね〜。

『音声学者、娘とことばの不思議に飛び込む』にも書かれていましたが、日本人の赤ちゃんも生後8ヶ月くらいまでは英語の ”l” と”r” の音素を聞き分けることができるらしい。しかし母国語に必要ないものは捨てていくようにできている。無限の情報の中から取捨選択しているというのです。

そして単語を丸暗記するのではなく、言葉が指し示す概念を自分で推論して学んでいるそうです。
外国語を学ぶ時とそもそも違うということですね。

だから母語ではない英語を学ぼうとすると躓くわけです。
私は中学生になった時、英語とローマ字がなぜ違うのかさっぱりわかリませんでした。英単語の綴りを一つ一つ暗記すると聞いて、途方に暮れたことをよく覚えています。
単語が1対1で対応するものではない、そもそも言語とはそういうものだということすら知りませんでした。誤ったスキーマを克服するのは並大抵のことではないということ。

これをもっと早く教えて欲しかった。岩波新書むずかしい。

ここまで書いて 「アラン・チューリング」のことをすっかり忘れていました。

というのも認知科学の入門書であるこの本、文系アタマの私にはちょっと難しかったので、感想はスルーしようかと思っていました。
となるとタイトルと整合性が取れないので、やっぱり書くことに。

この本の前半にコンピュータ科学のことが書かれており、そのコラムという形で「アラン・チューリング」のことに触れてあります。
ちょうどその頃『ゆるコンピュータ科学ラジオ』でチューリングの生涯と映画『イミテーション・ゲーム』の話を聞いていたので、お〜これかぁと強く反応しました。(ようやく理解できる内容にあたったせいもある)

そして『イミテーション・ゲーム』を再視聴して、41歳で早逝したチューリングのことがしばらく頭から離れなかったというわけです。

私の脳内では
     チューリング = カンバーバッチ
の図式が完全に成立。
長生きして欲しかったなぁ〜。

とまぁ、本の感想とはあまり関係ない話でした。


彼岸花も終わり、金木犀の香りがどこからともなく漂ってきました。
秋🍁かぁ〜😯
暑さを言い訳にできない季節です。
活動せねば❗️

ではまた👋


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