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新海誠と田中圭の乳首

2022年11月11日、新海誠監督最新作『すずめの戸締まり』、公開。
それまでに、この話をせねばと思う。

それは、(田中圭の乳首に)”さよなら”を言うための旅。

新海誠監督と田中圭の乳首

2019年7月19日、新海誠監督作品『天気の子』が公開された。
 空前の大ヒットとなった2016年『君の名は。』の監督次回作ということで社会的にも大きな関心が寄せられていた本作、当時大学4年生だった僕は就職内定を持ちつつも卒業が危ぶまれる状況にあったが、2013年に高1で『言の葉の庭』に撃ち抜かれ卒業研究にまで選んだ強火ファンとして、翌日の期末試験を無視して朝一で劇場へ向かった記憶がある。

≪天気の子について書いた記事は↓から是非!≫

そんな『天気の子』がとある悲惨な事件を引き起こしていたことはあまり知られていない。というか知られているわけがない。それは僕に起こった事件で、人に知られたくなくてひた隠してきたからだ。

しかし、既にあの日から3年以上の月日が流れ、いまや次回作の公開も目の前。長い長い小田急線の列車が踏切を通り過ぎ、遂に前へ進む時が来たのだろうと感じる。
だから、いま書こう。いい加減に大人になれよ、成年。

付いた異名は”台風の子”

この世に「晴れ女」や「雨男」と呼ばれる人たちがいる。
(知らない?さては『天気の子』を見てないな? サブスクも解禁したそうなので是非見ろ)その「雨男」をさらに悪化させて、嵐やら台風やらにばかり遭う人間を想像してみてほしい。最悪だと思う。それが僕だった。

僕はダイビング(空から飛び降りるやつじゃなくて、海に潜る方。マリンダイビング)を趣味にしていて、学生時代はよく島に行っていた。そしてお祓いを勧められるレベルで台風や嵐に遭い、島流し状態になっていた。

大学1年生の夏には台風で予定していた小笠原諸島へ行けず、冬の久米島からは帰りの船が出なくなり辛うじて飛行機で帰った。
2年生の時は与那国島で大時化を食らい、3年生では八丈島から帰りの船どころか飛行機までも欠便して何もできないまま延泊。再びの宮古島も半分ほど台風で宿にカンヅメ。
4年生でも再びの久米島で嵐に遭いカンヅメ&前倒し撤収をしたり、神津島(穂高の故郷!!)から帰れなくなりかけたり、社会人になってからも台風で3回連続でクローズ(ダイビング不可の判断になる事)を食らったりピンポイントで避難指示が出たりととまあ散々な状況。
ちなみにダイビング以外でもデートに行って大雨警報が出たり避難勧告が出たりということは1度や2度ではなかった。

やがて人は僕をこう呼び始めた。”台風の子”と。

ーーーーねえ、今から荒れるよ!

そんな”台風の子”の最大の島流し、2019年8月の小笠原諸島で事件は起こったのだった。

巨大すぎる台風が、茫漠とした低気圧が、横たわっていた。

運命の期末試験と『天気の子』の公開を終えた僕は、大学最後の夏休みに小笠原諸島は父島へ来ていた。
この小笠原というのはなかなか厄介な離島で、飛行場はなく片道24時間の船旅でしか行くことはできない。またその船すらも週に1回。夏場のハイシーズンには増便するものの、やはり1週間以上が基本単位の旅行になる。
正直、普通の勤め人をやっていると行くことすら難しい。そんなわけで僕は親友を巻き込みつつ7月末に衝動的に小笠原行きを決めたのだった。

結論、10日の旅の間に僕は台風2つに遭遇し、5日間の延泊を余儀なくされたのだったが。

当時のメモが残っていた

その間、亜熱帯気候により台風が頭上で勢力を弱めないまま無限に停滞したり、島中から生鮮食品が無くなりスーパーが臨時休業し始めたり、後半10日ほど空が1ミリも見えなかったりと様々なことがあったがここでは割愛する。

ちなみに3日ほど遅れてきた同行者は来てすぐに台風タイムが始まり殆どダイビングもできずに延泊となっていて本当に申し訳なかった。
怖くていまだに当時の感情を聞けていない。一緒にいてくれてありがとう。

本土でやり残したこと

そんなこんなで素敵な離島ライフを満喫していた僕だったが、気がかりなことが1つあったそれが出発前に買いそびれていた雑誌『anan』だった。

2019/8/7号は7/31の販売開始。ややこしい……

僕はそれまでの関わる機会の無かった『anan』という雑誌に対して、「おしゃれ目な女性向けファッション系雑誌」という雑な印象しか持っておらず、この表紙と特集をかなり意外に感じた記憶がある。

しかし媒体が何であれ監督に直接取材をして情報を体系的にまとめた資料は貴重だ。個人的には今夏のマストバイアイテムの扱いだったので、本土に戻ったら早々に手に入れようと思っていた。(島のスーパーの雑誌コーナーには在庫が無かった)

そんなことを考えていたら始まってしまったのが台風遭遇(1個目)。
「もしかして、本土帰還、間に合わないのでは?」という不安が生じ始めた。
(今考えればこの時点でAmazonで購入すればよかった)

そんな時に、家族LINEグループに一本の連絡が。『今度イオン行くけど欲しいものある?』という内容だった。
そこで僕は渡りに船とばかりに、問題のananの調達を依頼したのだった。

8月6日。妖怪”新海誠特集なので”じゃん

事件勃発

数日後(8月10日)、親から家族LINEグループに奇妙な返信があった。

8月10日。マジで家族ライン

僕は頭をかしげた。この時僕は雑誌『anan』が週刊誌であるなど全く知らなかったのだ。ただ何の根拠もなく月刊誌なのかなと思っていた。
だから、次号が発売されている可能性など微塵も考えていなかった。

僕(純真)「そうか、新海誠特集が第何号なのか伝える必要があるのか」
僕(無垢)「ところで、はばかられる内容とは何だろう……」
……

田中圭(全裸)「やあ!」

問題の2163号。8月7日発売

田中圭(愛とSEX)「こんにちは!」

おい……

田中圭の乳首「やあ!」

やめろ……

田中圭の乳首「よろしく!!!!!!!!!」

やめてくれ……

田中圭の乳首(ビショ濡れ)
「や!!!!!!!あ!!!!!!!!」

やめろおおおおおおお!!!!!!

田中圭のプリケツ
「ぼくもいるよ!!!!!!!!!!!」

両親が見てんだぞ!!!!!!!!!

………………
………………………………
…………………………………………


こんなもん家族LINEグループで
親に頼むわけないだろ!!!!!!!

この時ばかりは心の底から「帰ったら東京、沈んでてくれないかな」と思ったのだった。

……
……
……
……
……

以上が、僕を襲った『新海誠と田中圭の乳首』事件だ。

関係ないように思える新海誠監督と田中圭の乳首の間には、実は複雑で有機的な因果があり、波と風があり、メラミン色素と低気圧があった。

そうして僕の大学最後の夏は、日本上空と田中圭の胸部に渦巻く3つの円によって、それは大いにかき乱されたのだった。

……なおこの話、3年経って流石にもうネタに仕えるまで消化できているかと思ったが、過去のLINEを検索したあたりでかなりしんどかったです。

あぁ、「大丈夫」になりたい、「大丈夫」になりたい……

後日入手出来ました

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