丘のうえのハウゼン博士 その3
「藍美、藍美…寒いよ。傍にきて温めてちょうだい」
メアリーが星の瞬くそとを眺めながら、わたしにそっと助けを呼んだ。
「メアリー、窓を閉めましょうね」
そう言って大きな出窓を閉めて、わたしは触れられないメアリーの頬に手をあてた。
燻んだオレンジ色の屋根と、漆喰の白い壁。
ここは丘のうえにあるハウゼン博士の家。
ハウゼン博士とその妻メアリーは、
この丘のうえの洋館に住んでいた。
メアリーはもうこの世には生きていない。
生きていた頃の記憶を思い出して、残像として存在しているだけだ。
戦後間もなく生きたいと思いながら、亡くなってしまったメアリーは今も病弱なまま、この世に彷徨い続けている。
そのことをわたしも、ハウゼン博士も知っていた。
ハウゼン博士はメアリーのことを、
とても愛していたし気にかけていた。
だからきっと本当のことは、メアリーに伝えられなかったのだと思う。
けれどもっと残酷だったのは、当のハウゼン博士も既にこの世のものではなかったことだ。
本当はもっと早めに伝えるべきだったのかもしれない。
けれどそれを本人に伝えてはいけないと、
ハウゼン博士に初めて会ったときに直感的に思った。
当のハウゼン博士はその事に気づいていない。
それはメアリーを想う心の強さでもあったし、
メアリーを思うが故に、看病の途中亡くなってしまったので、ハウゼン博士も死んでしまっていることに気付いていなかった。
メアリーが亡くなったのを隠すために、ハウゼン博士も亡くなってしまったのだった。
あれは中学のときのことだ。
学校の休み時間、
転校してきたばかりのわたしの席の近くで、クラスの男子が騒いでいた。
「なぁなぁ、お前知ってる?丘のうえのオレンジ屋根の洋館、あそこ出るらしいで?!」
「え、出るって何が」
「アホか、決まってるやろ。幽霊ってやつが…」
「マジか…知らんかったわ。
けどさ、なんで解んの?幽霊が出るって」
「だってあそこ、ひと気がないのに灯りがついたり物音したりしてるから…」
そんな話しが聞こえてきた。
丘のうえの燻んだオレンジの屋根
漆喰の壁
それはわたしが無意識のうちに惹き寄せられて、辿り着いたあの家のことだった。
そのときの感情は複雑だった。
産まれつき霊感が強かったわたしは、
転校した先々で不思議な現象と出逢うことが多かった。
学校の裏庭で用務員さんと信じて話していたら、「え、あの子誰と話してんの?気持ち悪い」と言われたことも珍しくない。
子どもの頃は話しているその人が、
生きているひとなのかそうではないのか判別がつかなかったが、
そっとお小遣いを貯めて購入したクリスタルクォーツをキーホルダーとして身につけるようにしたら、それがひとではないと分かるようになってきた。
クリスタルクォーツは魔除けとしても、役にたち禍々しいものからわたしの身を守ってくれた。
そんな中で出逢ったハウゼン博士達は決して悪いものではないことがわかる。
だからわたしはハウゼン博士の家に遊びにいき、見えるけれど決して飲めない紅茶をいただき続けた。
ハウゼン博士の力になりたかった。
そんなとき、ハウゼン博士がわたしにお願いをしてきた。
「藍美、メアリーの様子が良くないんだ。
出来たら少しの間で良いから、傍にいてやってくれないか」
わたしはハウゼン博士の頼みが断れなくて、
その日からずっとハウゼン博士の家に寝泊まりをしている。
だけど、困ったなぁ…
わたしはまだ生きているから、水も食事もハウゼン博士の家では取れないのだ。
ハウゼン博士がだしてくれる豪華な食事も笑顔で食べるけれど、わたしの口には実際に入ってきていない。
かろうじてハウゼン博士の庭にある井戸からは、水が湧き出ていたのでそれをくんで飲んでいたけれど…
このままご飯をずっと食べられないとなると、わたしは倒れてしまうのではないかと思った。
「羽…どうしてる?」
わたしはクラスメイトの酒井羽(はね)を思いながら、メアリーが眠るのを待って自分も床へついた。
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