風鈴が呼び込む幸福のしるし

チリンチリン…
風鈴が風に揺られて、靡いている。

夏の陽射しが眩しくなり始めたあの日、
いままで大切に育ててきた私の息子が27年という生涯に幕を閉じた。
短いようで長いその人生を振り返って、
あの子はいま何処でなにを想っているのだろう。
産まれて間もなく、
重い心臓病があると分かってから、
何があってもこの子を守ろうと生きてきた。

「あの子の笑顔を守るためなら何でも出来る」
そう思って、これまでやって来た。
だけどそのことが今になって、
本当にそれで良かったのか、
悔やみ考えることも少なくなかった。
それにしても今年の夏は、風がよく吹く。
風通りの良いこの家は、窓を開けておくだけで風が行き交いしてくれる。

これで良かったのか…

あと少ししたら帰ってくるウチの人の準備をしながら、わたしはまた1人考えこんでしまった。

そのときチリンチリンという風鈴の音と共に、玄関のチャイムが鳴り、誰かが来たことが分かった。
我が家はむかしながらの引き戸で、「はーい」と言いながら玄関先に向かい、ガラガラと引き戸を開けた。

引き戸を開けるとそこには、
グレーのポロシャツと、濃紺のパンツをはいたうちの子と同じくらいの歳頃の男の子が立っていた。骨格がしっかりして、体格が良い。

「お久しぶりです。安武亮廣です。」

あの子が亡くなった初盆から、これまでにも生前仲良くしていた知り合いの方々がチラホラとやって来ていた。
「琢磨くんのお焼香あげに来させていただきました」
そう言われるたびに一体いつの間に、
あの子はこんなに慕われるくらい、
色んな人と仲良くなったのだろう。
そう思うことも少なくなかった。

それにしても安武…安武どこかで聴いたことがある

あ!もしかして…

「小学校のとき同じクラスだった安武くん?」
「そうです、お久しぶりです」
安武くんはそう言って深々と頭を下げた。
琢磨とよく遊んでくれた安武くんが、いま目の前にいた。
よく見たらあの頃の面影が少し残っているけれど、20年という月日は彼を見違えるほど大人にしていた。

「琢磨くんが亡くなったことを…高校の同級生の坂城に聞いて。失礼じゃなければ焼香あげさせてもらっても良いですか?」

「え、坂城って優美ちゃん?」
彼の言葉を聴いて、思わず飛び上がるほど驚いた。
「そうなんです、じつは坂城と俺は高校の同級生で、こないだの同窓会でたまたま会ったんです」
「そうだったの…、実はこないだ同じ会社の優美ちゃんから聞いてって、1人男の人もお焼香しに来てくれたのよ。あの子ほんとに愛されてたのねぇ」

彼の言葉に胸が熱くなり、思わず余計なことを言ってしまった。
「そうだったんですか…ほんとあいつは凄いやつですよ」

「わざわざここまで来てくれてありがとうね。
どうぞどうぞ、上がってください。」
来客用のスリッパを出して、安武くんを迎え入れた。

「ありがとうございます。お邪魔します。
これ良かったら、あいつが好きだったお菓子です。」

そこには東京風月堂の菓子折があった。
「小学生のころ、たまたま知り合いからもらったこの菓子を母親が俺らにくれたことがあって、あいつこんなの食べたことない!って凄く喜んでたんで…持ってきました」

そう言われて、我が家では第一に健康志向を優先して甘いものは殆ど出してないことに気づいた。目の前のおそらくゴーフルやラングドシャが入っている菓子折を見つめると、あの子が初めて食べたときはさぞ驚いただろうなと何だかおかしい気持ちになった。

「ありがとう、あの子もの凄く喜ぶと思うわ!
きっとやった!!って思うんじゃないかしら。
ありがたく頂くわね。さぁ、どうぞどうぞ上がって」と言って家の中に招いた。

吹き抜けのリビングと繋がっている、
居間に琢磨の仏壇は置いてあった。
仏壇のまわりには、これまで来てくれたあの子の友達のお供えもので溢れていた。
お花、ゼリーなどのお菓子、中にはライブのチケットなんかも置いてあった。

安武くんはそれを感慨深そうにみて一礼すると、仏壇の前に座り焼香をあげて、ながい間手を合わせてくれていた。

どのくらいのときが過ぎたのか、
「本当にありがとうございました」とそのまま帰ろうとするので、

「待って、もう少し安武くんさえ良かったら
少しここで話していかない?」と引き留めた。

「せっかくだから、いただいたお菓子も食べましょう。きっとワイワイしてる方があの子も喜ぶわ。」

それから安武くんの、
「ありがとうございます」と言葉を聞いて

「待っててね、珈琲で大丈夫かしら?」と聞きながらパタパタ準備をしにいった。
冷えたアイス珈琲といただいたゴーフル達を並べて、また居間へと戻っていった。

ゆったりした空色のソファーに腰掛けてもらいながら、私たちはむかし話しに花を咲かせた。

「あの子が小さな頃はね、本当に身体が弱くて検査するたびに心臓の数値が良くないって入退院を繰り返してたのよ。」

いただいたお菓子を食べながら、わたしは安武くんと当時のことを振り返った。

「あの子にはきっと、やりたい事も遊びたいことも沢山あったと思うの。だけど当時は身体のことばかり気にして、わたしはあの子の気持ちは汲み取ってやれてなかったかもしれないと思うわ。だから、安武くんが色々なところに連れていってくれて本当に感謝してるのよ。ありがとうね」

「いえ…そんなこと…僕こそ、事情もよくわかってなかったのに、色々連れ回して本当に良かったのかなって考えてました」

「何言ってるの!確かにあの頃は心配が先に立ってしまって寄り道をしたことを怒ってしまったことがあったわ。でもね、あの子はいつも安武くんとこんな事話した、あんな事があったって嬉しそうに話してくれるのよ。そのときのあの子の顔は凄く輝いてたわ」

「そうだったんですか…それなら良かった。実は先日小学生の頃埋めたタイムカプセルを取り出してきたんです。本当はこれをお見せしようかどうか凄く迷ってたんです。だけど、もし良かったら…」

そうして、安武くんは1枚の手紙を見せてくれた。そこには見慣れた琢磨の丸っこい字で文章が綴られていた。

「この手紙を読む頃俺はもしかしたら、
この世にはいないかもしれない。
だからこそ、毎日後悔がないように生きていたい。思い切り笑っていたい。

きっと、人生最後の日を前に思うのだろう
全部、全部言い足りなくて惜しいけど
あぁ、いつか人生最後の日、
君がいないことを寂しく思うかもしれない。

安武、俺はお前と一緒に過ごせたこと感謝してるよ」

その手紙を読みながら、気づいたらわたしは涙を流していた。
「あの子ほんとに一生懸命生きていたのね…」
そうして、手で顔を覆って泣いてしまったわたしに向かって

「琢磨くん…あいつは、きっと自分を取り囲むすべてのことを受け入れて感謝していたと思うんです。どこか周りに反抗的だった僕は彼に心を救われました。僕は本当にあいつと出会えて心から感謝しています」と言った。

ねぇ、琢磨あなたは幸せだった?
健康的に産んであげられなかったお母さんを、許してほしいと思った日がいくつもあった。
ドナーと移植費用さえあれば、あなたに健康な身体を与えてあげられるとも。

学校に走っていく妹やお友達をみて、苦しかったよね。ごめんね。

だけどお母さん最近思うの。
あなたは本当に周りの人たちを大切にして、
素晴らしい人生を送っていたんだって。

安武くんが、家を出たあと
わたしは神様に感謝し焼香の燻る煙を前に手を合わせながら、そうひとりごちた。

外から風鈴がチリンチリンとなる音が、
微かに聞こえてきた。



この度はお立ち寄り下さり、ありがとうございます。ニュイの考えに共感いただけたら、サポートして下さると喜びます!!サポートいただいた分は、今後の執筆活動のための勉強資金として大切に使わせていただきます。