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父親

今日は父の日ですが、情けない娘は物をプレゼントできないので、毎度のことですが額に手を当てて、握手をするだけ…
しかし、今はnoteに残すと言う手段があるので、良い機会だから父親との記憶を残しておこうと思う

私はファザコンである。(あった。)
幼少の頃は、休みの日に外に遊びに行けないのを不憫に思ってか、様々な物を見せたかったからか
車の助手席に乗せて
・父親の会社
・淀川の河川敷(父親の会社の作る移動設置トイレがあった)
等々
父親の会社の気が向いたり、用事があるときには連れ出してくれていた。
好奇心旺盛だった私は、助手席で車のギアやボタン等々質問責めだったが、父なりに色々教えてくれていた。
車に興味を持っているので、昔の私の仕事はエンジンをかけることだった。
オートマチックになってからは、ドライブへの切り替えも担当させてくれた。後に免許を取得した際に“法律違反やん…”と気づいたがそこは蓋をした(^_^;)

その他、私が興味を持つものは無理をしてでも与えてくれた
・ファミコン
・ワープロ
・ピアノ
…おかげで今でも機械や車操作に拒否感がないのは父親のおかげだろう。

その反面、超短気で頑固なところは苦手だった。

すぐ怒る(*正義感が強すぎる)
。私の友人をけなす。
自分の物差しに合わない人のことを否定する。
…あっ(゜O゜; まさに今のパートナーだ(笑)
*だけ違うかな(笑)

それでも、母親より父親の方が友人関係以外のことは話すと納得の出来る解答が帰ってくるので課題などを見てもらうのは父親だった。
父親の運転は上手いとも思っていた。
…何度か物損事故もあったが(^_^;)
今思えば、父親も不注意なところがあったのだと分析してしまう。

孫が出来たとき、私が早婚だったので60代でまだ元気があり、子供たちと遊ぶことが出来たのがせめてもの親孝行だったのかもしれない。

70代になっても子供たちの部活の送迎や応援。コート外に転がるボールを追いかけて渡す等
父親がいない我が子たちのおじいちゃんでありながら精一杯父親に近いことをしてくれた。

【父親の認知症を通して】

初めは耳が聞こえなくなり、その後認知症発症。

・左耳⇒右耳と徐々に低下。
早い時期に簡単な手話を教えようと試みたが無理だった。
その後は補聴器と筆談となった。

【運転免許証返納への道のり】
・運転操作のあり得ないミス
(車庫入れで気づいた)
・ブレーキタイミングのズレ
(急加速、急ブレーキ、ハンドルのブレが増えた)
・更新時の認知症検査にひかかるも再検査で通過
・伯父の介護があり運転をやめるタイミングがなかった。
・私と次男の送り迎え(最寄り駅)を自分の仕事と思っていたので取り上げることに罪悪感があった。

⬇️⬇️⬇️しかし、伯父の逝去を機会に
・車庫に車がない状況を作った。
(私の体調が悪く車で通勤してることにした)
・時期を見て、次男におじいちゃんの車の鍵を渡してもらった。
(これで、車があっても動かせない)
しばらく運転していない間に
たまに思い出すことも合ったが運転できない状況を作り出した。
父親の中では運転=自分の仕事
があったので、とても心が痛かったが
事故等が合ってからでは我が家だけの問題ではなくなる。と姉と相談して進めた。
次第に更新に行く教習所まで1人で行くことがままならなくなり、
予約が取れないと言うことを伝え、姉が警察署へ同行してくれて無事に返納することが出来た。
その後は、運転証明証?(運転免許証を持っていた証明書)免許証と同サイズのものが手元に有るのでたまに昔の車の鍵で車を開けようとすることはあるものの免許証が無い!と言うことはない。

【デイサービスへの道のり】
これまた自尊心も強く、頑固な父親だったので難しかった。

・認定調査は母親も巻き込んだ。
・介護認定後、私の働いている会社のケアマネとデイサービスを手配してもらえるようにお願いした。
・父親へは
①『お日さまの仕事に役立つので、スパイを任命する』
②『母親から離れるための避難所』
③『デイサービスに行くことが今のお父さんの仕事』
とそのときの状況で言葉を変えて伝えていった。
母親へは今でも相当愚痴を言っているようだか
『娘たちのせいにしてください』
と言っている。

【父親の認知症の進みかた】
初め、脳検査(萎縮を見てもらうため)を主治医にお願いしたときは『早すぎる』と注意も受けたが、少しずつ物忘れの頻度が増えていた。(伯父健在中)
その後、半年程で伯父がなくなり
運転が無くなったことで急速に進んでいった。
・日課の早朝散歩をしなくなった。
・おつかいが出来なくなった。
・担当のゴミ捨てに行くとごみ袋を持ち帰るようになった。(収集癖)
・財布の中に小銭が異常に増えた。
…等々

今では
ごみ捨て⇒出来ない。
買い物⇒自分の新聞を買いに決まったコンビニへ行くのみ。
ただ、コンビニから決まって他人の傘を持ち帰ってしまう。

端から見て昔の父を知っていると
悲しくなるときもある。
今幸せなのかなと不安になるときもある。

しかし、ケアマネの面談で決まって『今幸せです』
と答えている父もいる。

確かにデイに行かない日は、テレビを見て、新聞を読んで、寝る。

母の性格上口うるさい時もあるが、夫婦お互いに好きなように過ごしている。

また、我が家の場合は姉がすごいと思っている。
多少介護知識の有る私以上に父親への対応が適切である。
・否定せず同じ会話を上手に話している。
・父親のペースに合わせつつも自分のこともちゃんと伝えて父親に歩くペースを合わせてもらっている。

当たり前だけど難しい
『ふつう』に父親に接しているのだ。
昔と変わらず、前の父親に話しているのと同じように…ひとつ違うのは同じ会話がループしていることだけ。
しかし、聞いている側はループするとイライラしたり、分かっていても『さっき言ったよ』と言ってしまいがちなのだが、姉にはそれが全く無い。

私はどこかで気を遣ってしまっている。…これは私の育った関係性上仕方ないのかも…(..)

昔の姉は父親に似てとても短気なイメージがあった。
その姉がループに対しイライラしていないことがすごいと思う。
ある時聞いた
『だって、お父さんの中では初めてなんでしょ』
…当たり前なんだけどそれが分かっていても出来ないひとも多いんだよ。
と姉には伝えた。

脱線したが、
父の日にこうやって父親のことを思い返し文章に残すことが出来て良かった。



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