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セリフの重みとリアリティが違う「アンメット〜ある脳外科医の日記〜」

 もうすぐ最終回を迎えるドラマ「アンメット〜ある脳外科医の日記〜」の魅力をどうしても語りたい。
 不慮の事故で脳を損傷した脳外科医の川内ミヤビ。事故前の2年間の記憶がなく、また事故後は記憶は1日しかもたなくなってしまった。寝て起きたら前日の記憶はリセットされる日々。毎朝5時に起きて日記を読み、事故で記憶障害を負ったことを含め、前日までの失った記憶を覚え直す。元々研修先だった病院で、理解ある同僚の助けを借りながら、医療行為は行わない看護助手として働いている。少々複雑なストーリーだ。

セリフの重みが違う

 ある日、アメリカ帰りの脳外科医・三瓶が新たに着任する。ミヤビの記憶障害の事情を知った三瓶だったが、医者であればできる範囲で手術を行うべきだと主張し、患者に何かあったらと恐れるミヤビに次のように伝える。

「僕はできないことはやれとは言ってません。川内先生の知識や技術でできることを提案しています。足りない部分は周りがフォローすればいい。当然のことです。川内先生、あなたは障害のある人はただ生きていればいいと思っているんですか。絶望してしまうのは仕方ないと思います。でも患者を救えないことより、ご自分の絶望が怖いなら…まあ仕方ないですね」

 脳の手術は成功したとしても、後遺症が残ることが多い。
「足りない部分は周りがフォローすればいい」「障害のある人はただ生きていればいいと思っているんですか」
 この部分が特に響いた。きっと、三瓶は今まで、手術後に障害が残った多くの患者と接してきたのだろう。三瓶だからこそ言える、重みのある一言だった。

脳神経疾患の症状がリアル

 ミヤビと三瓶を中心に進んでいくストーリーだが、2人が出合う患者たちの症状や苦悩がリアルに描かれているのも、このドラマの魅力の1つとなっている。
 言語を理解したり発したりするのが難しくなる「失語症」、片側の空間を認識できなくなる「半側空間無視」など、当事者であってもわかりづらい状況を、ミヤビが患者に丁寧に説明していく。そして、今まで当たり前のようにできていたことができなくなる患者の受け入れ難い気持ちに、ミヤビは心から共感していた。
 自分の意思とは関係なく全身がこわばって身体が激しく震えたりする「てんかん発作」は、かなりリアルに描かれていると感じた。というのも、私も家族のてんかん発作に遭遇したことがあるからだ。特に6話で登場した山本健太郎役の鈴之助さんのてんかん発作は、私の家族の発作とかなり似たもので、既視感を覚えるくらいリアルだった。

はじめて見た手術の練習

 これまで私が見てきた医療ドラマでは、医師は何も練習しなくも(そんなはずないのだが)手術ができる「天才」という位置付けが多くて、手術の練習シーンが描かれている印象はなかった。
 アンメットでは、ミヤビが市販の鳥の手羽先を使って何度も何度も縫合を繰り返し練習したり、手順を細かくまとめたノートを見ながら、1人で手術をシミュレーションする場面がある。これを見て、医学部に入り国試に受かる頭脳や生まれ持った手先の器用さはあるとしても、医師も泥臭く努力する1人の人間なんだと思った。

恋愛の描き方が違う

 ストーリーが進むにつれて、ミヤビと三瓶は元々距離が近い関係であったことがわかっていく。ただ2人の関係は、ミヤビが記憶を失った2年間に築かれているので、普通の恋愛のようにはいかない。
 ミヤビが混乱しないように何回でも初対面のように挨拶したり、ミヤビが作り過ぎたと言って分けてくれた前日と同じロールキャベツを、嫌な顔1つせず受け取ったりする三瓶の姿は微笑ましい。ミヤビが患者と接するときに黙って見守っている三瓶の表情だけでも、ミヤビを医師としてもリスペクトしていることがわかる。
 一般的な恋愛ドラマだったらハグやキスするところを、それ以外のさまざまなエピソードで表現している。三瓶のミヤビへの思い遣りが伝わるシーンに、私は何度ニヤついたことだろう。

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 来週、アンメットは最終回を迎えてしまう。
 記憶障害が治っても治らなくても、ミヤビがミヤビらしく生きられる結末であってほしい。三瓶とともに、お互いを支え合いながら。

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