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無気力、からの

昨日何したっけ?が、なかなか思い出せない。子育てはじめて、以来よくあることなのだけど、このところ、よりひどい。

無気力。

ちなみに昨日は…
午前中、畳の部屋を掃除して、シーツを洗濯した。私は畳部屋で子どもたちと寝ているんだが、絵本もたくさん置かれたその部屋の隅は、埃やら髪の毛やら、すごく汚くなっていて、ずっと、ここ数週間、やんなきゃと思って、でも手をつけれなかったのだ。
午後は、子どもを歯医者の定期検診に連れて行った。分かっちゃいるが、そこまで手が回らず、フロスをしてあげましょうねと、毎回担当医に言われている。

気力が、家族の生命維持活動(炊事、洗濯、子の世話などなど)を終えるとゼロになってしまう。

なんだか、末期的。

気力とは、物事を成し遂げようとする精神の力、だそうだが、物事という物事、全部やりたくない。成し遂げようどころか、関わりたくない。

なんで、こんなことに。

思いつく理由は、いくつもある。
子の素行をご近所に注意されたこと(詳しくは前記事に書いた)、引っ越しによる繋がりの断絶などなど。
私の日常、今、逃げ出したいことしかない。

引越し前は、コミュニティ食堂の運営に関わるなど、地域との繋がりを大事に思ってきたし、楽しんできた。間違いなく積極的サイドだった。
何年もそうして暮らしてきたのに、この数ヶ月で、そういう場がすっかり怖くなってしまった。
家族とか、本当の友だちとか、自分のことを安心して話せる距離感の人以外と関わるのが怖い。

地域社会との繋がり作りにおいて、成功体験が多かったから、自分とは違う価値観の人がいて、思いがけず攻撃され、かなりの痛手だったのだと思う。
上手くいっているときは、コミュニケーションがある程度取れていれば、問題が起こっても理解してもらえると思っていた。

世の中、そんなに甘くない。

が、人生は続く。なんとか生きていかねば。

書き出してみれば、今起こっている問題なんぞ、些細な事だと思う。

家族は、親も姉妹も、親類もみんな仲が良いし、夫も子どももお互いを大事に思っている。そばに本当に信頼できる友だちもいる。
私が抱えている問題が、どうでもいい他人との間で起こったことなのは、幸運だったと思おう。というか、思う。

痛手だったが、おかげで人の痛みに寄り添えるようにはなったと思う。

理解されにくいマイノリティーの人たちが、堂々としてればいいじゃん、などと、それができりゃ苦労しないわ、なことを、マジョリティーの強者に言われるとか、そういう苦しさに寄り添えるようになったと思う。
人の苦しさに寄り添おうと思ったら、まずは耳を傾けなければ。

無気力、からの、寄り添い。
私はいつも弱い誰かの味方でいようと思う。
弱さを認めることが、本当の強さだと思う。

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