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アラサーひとり、鼻の穴を負傷した夜に

三方ヶ原の戦いを知っていますか

貯金がないだの、QOLだのと話していたくせに、突然何かとお思いでしょうが、実はわたし、日本史が大好きで、大学時代は近世、近現代史専攻。
たぶん失効したが、教員免許と学芸員も取得した。

それでは気を取り直して。
三方ヶ原の戦いを知っていますか。

1572(元亀3)年12月,遠江三方原で行われた武田信玄と徳川家康との戦い。信玄は2万5000の兵を率いて信濃から遠江に侵入,家康の本拠浜松城攻撃をさけ,三方原に家康軍を誘いだした。家康軍8000は織田信長の援軍佐久間信盛軍3000とともに戦ったが、大敗を喫し浜松城に敗走した。

『新版日本史辞典』角川学芸出版 1997年初版発行

このとき家康は、恐怖のあまりお漏らし(大)をしてしまった。
その情けない姿を絵に残し、生涯に渡り慢心の戒めにしたとされているのが『徳川家康三方ヶ原戦役画像』、通称『しかみ像』だ。

最近、この絵は三方ヶ原の戦いとは無関係であるという新説も話題になったし、わたしは小学6年生の授業でこのエピソードを聞き、結構衝撃を受けたことを記憶している。
同時に、日本史の面白さを知って、のちに大学で近世史を専攻するきっかけになったとか、ならないとか。

そして、450年という悠久の時を経て、本日わたしも『しかみ像』を残したのだ。

鼻の穴を火傷した令和の武将

久しぶりにやった、鼻毛ワックス。(また鼻毛の話)
まんまと、火傷した。
レンジでチンして使うワックス、チンしすぎた。
チンしすぎの予感はあったが、戦闘モードの武将はひるまず突撃した。
衝撃的な熱さだった。
(※説明書通りにきちんとやれば安全な商品です)

人生で初めて、鼻の穴に感じる灼熱感。
思わず飲んでいた水割りのコップから氷をかき出し、鼻の穴に突っ込まずにはいられなかった。

こんなみっともない姿、人生であるか―。
すっぴんで、独り、パジャマで、水割りを飲み、鼻の穴に氷を入れている。
反対の鼻には、ワックスが刺さったまま―。

「何やってんだ。」
そう思ったとき、三方ヶ原の戦いの家康のことを思い出した。
「俺は命がけの恐怖だったんだ、お前と一緒にすんな」と家康は怒るかもしれない。
それでもわたしは、今宵の自分と家康を重ねずにはいられず、
「この姿を残さねば。近い将来再び鼻毛の戦いに臨む自分への戒めに」と家康とおんなじ決意をした。
絵師は呼べなかったが、令和の武将には便利な懐中カメラがある。
指先ひとつで、その姿を『しかみ像』として残したのだった。


鼻にも心にも傷は負ったが
いつの日かわたしも、家康のように天下をとる。
それくらい思わないと、やってられない。
久しぶりに、大学時代の日本史辞典まで引っ張り出しちゃったんだから。





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