自分の変なところと向き合う

2023年度の中頃から、徐々に自分の興味が自分自身へと向き始めた。


ものづくりが好きで仕方がなくて、自分が目指すものづくりの理想についてあれこれと考えていたのが2021年度頭から2022年度いっぱいくらいであったのだが、いつの間にかその興味にはある程度満足し、興味の先が、驚くべきことに、自分の内面に向かっていた。

この興味の変遷は自分の過去の展示を見ると明らかで、少しおもしろくもある。

2022年10月には、コンピュータと人間の付き合い方についてじっくり考えて、ロボットや動画と文章で展示した。

コンピュータと人間 (2022)
Kuma experiment vol.1 二回ひねって一度たつ

文章は3本立てで少し長いのだが、雑に要約すれば、人間が打つオセロとコンピュータが打つオセロの違いを切り口に、人間とコンピュータの関わり、そして人間らしさというものについてよく考えていた。

当時考えたことはいくつか文章にも書いてある。

それが、ちょうど1年後の2023年10月の展示では、「人間が協働する様子と、自分自身のこれからの生き方」というものを考え、展示するに至った。

協働する技術 (2023)
KUMA experiment 2023-24 vol.1 めくる、くぐる

2023年の展示は、興味の変遷のちょうど過渡期であったらしい。作品の右に、キャプションと言うには抽象的な文章をつけた。それをここに貼っておく。

技術というものは、良くも悪くも、大いに役に立ちます。私は今、そんな技術を自分自身がどう扱うべきか、わかっていません。そもそも、私にとってものづくりは単なる遊びでした。今もそうです。しかし、その遊びは気づかぬ間に、わかりやすく「役に立つ」ものとなっていました。こうなってくると、単なる遊びとは言え、だんだんと自分のものづくりが他人や自分に与える影響について考えるようになります。
社会において、人は一つの仕事を複数の人に分担して行います。大きな仕事を、多くの人で行う。一人の人間では、あまり大きな仕事を完遂できない。実は、計算機においてもこの考えは同じです。年々計算機の性能は向上していますが、それにも限界があります。ですから、計算機を複数使って、うまく仕事を分割することで高速化するのです。
さて、私は協働する技術をうまく身に着けて生きていくのか。それで私自身が納得するのか。技術、ものづくりに対して、もっと違う向き合い方をしていくのか。協働する技術を見て、改めて今、考えています。

協働する技術(2023)

引き続き技術と人間の関わり方を考えると同時に、自分自身がものづくりに対して今後どう向き合っていくか、そして、どう自分が生きていくのか、ということに興味が向いていた。

それからまた半年ほど経った今、興味はほぼ完全に自分の内面に向いている。

ことの発端

端的に言えば、大学に行けなくなったことである。その関係で今は2回目の休学をしているが、休学中も自分で色々と活動しているとは言え、休学の出発点は非常に大きな負の感情から始まった。簡単に概要を話せば、私が今所属している筑波大学の工学システム学類は、私にはどうも合わなかったということである。分野として興味があることは当然なのだが、それ以前に学類の雰囲気、そして一部の先生が、私には合わなかった。

何がだめだったのか、というか、なぜこれまでは大丈夫だった(?)のか、ということを考えるうちに、興味は内面に向いていった。

大学に関連する私の状況の移り変わりは以下の記事の通りである。1回の留年と2回の休学、そしてその間の考えについて書いてある。

具体例から自分の変わったところを自覚する

具体的に大学で何があったのか、わかりやすい例を一つ書いてみる。必修で実験の授業があるが、体調と精神の不調により、途中(というか終盤)から参加することとなった(事前に先生に連絡はした)。ところが、いざ行ってみると先生から「実験データを貰いに来ただけだろう」と決めつけられ、授業を受けることさえできなかった。

この一件を振り返ってみると、私自身が対処できた問題は「人がすべて理想的な行動を取ることを無意識に期待し、それを前提として動いていた」ということであったと思う。

私は(授業に限らず)実験というものが非常に好きであって、思い入れもあるためか、そもそも実験データを貰うという発想がなかった。そして、逆に、先生にはそういう発想を持たない学生を前提としていたらしい。おそらく根底にあるのはこの食い違いで、そのために前述の事態となった。

2回目の休学に至った直接的な原因はこの出来事であるが、ふと考えてみると、もう一つ私の特徴が浮かんできた。そもそも私が"繊細"すぎる可能性である。

たまに、出会って間もない少し年齢が上の方に「君は繊細である」と言われることがあった。言われた当時は全く意味がわからなかったのだが、例えば、"文字に起こしてみればこの程度"の出来事でまた大学に行けなくなったのだから、確かに繊細なのかもしれないと思った。

大多数と比べて、自分が少し変わった人間であることはずっと自覚していたが、よく個別事例を吟味してみると、自分の思っていた以上に私は変わった人間である可能性が出てきた。これを読んでくださっている方々は「え、まさか自覚なかったの?」と思われるかもしれないが、本当に自覚がなかったのである。

もう少し一般化してみる

具体例から考えたことをもう少し一般化してみると、結局私は「大多数と比べて変なところへのこだわりが強い」という点に帰着できる気がする。

例えば、実験へはこだわりが強いと思う。実験の計画から器具の使い方、考察の仕方まで、全体をよく考えながら手を動かすのが好きだし、逆にそうでない実験は苦手である。そのこだわりのおかげか、高校生時代には物理チャレンジの実験で対外的に認められる成果を出せた(無論、今振り返れば穴だらけなのだが)し、今でも自分自身で研究する上で大いに役立っている。ただ、このこだわりが、先生の認識とは合わない場合があったようである。

念のため書いておくと、実験の授業(色々なテーマで実験する)では、こういった(私にとってはこれが目指すべきであると思う)実験の仕方を許容してくれる授業もあった。そういった授業は非常に楽しくレポートを書けた。そのおかげで、前述の件でその回の実験レポートは書けなかったが、他の回での成績が良かったらしく、実験の単位を落とすことはなかった。ただ、たまに前述のような問題も起きるわけである。

もう少し抽象的な話をすれば、前述の「人がすべて理想的な行動を取ることを無意識に期待し、それを前提として動いていた」という点も、理想的な状態に対するこだわりと言える。そう言いつつ、非常に恥ずかしい気もするのだが、当然ながら私自身も毎回理想的な行動を取ることは全くできていない。ここには私の認識と行動に改善すべき点が多くあると思う。

ここまで言語化してみるとなんとなく想像ができてくるのだが、私はASD傾向があるように感じてくる。今のところ診断をつける状況には至っていないが、自分をASDだとして考えると前述の実験関連を含めたいくつかの問題や、すでに自覚している自分の他の変わったところを説明できる。さらに、ある程度カテゴリを設けておくことで、自分を観察するだけでなく、他人によって提供される情報を考慮できるようになるため、対策も練りやすくなる。

特に高校時代までは、おそらく環境と周囲の方々の尽力のおかげで、あまり問題にならなかったと思われるのだが、そろそろ自分の特性をよく自覚して、その上で自分や環境をハックする術を身につける時期だと思っている。あまりにも今更感のある話だが、今更であれど、今やらねばもっと大きな問題に繋がるわけなので、なるべく早く対処しておきたい。

ところで、改めて言語化してみて思ったのだが、他人から指摘された繊細さについては、ASDとはまた少し別の話であるかもしれない…これについては引き続き調査することにする。

ハックする

自分をASDであるとすると、真っ先に考えるべき問題は二次障害をいかに回避するかである。若干すでに雲行きが怪しい気がしつつも、自覚したのであれば、これ以上の悪化を起こさないようなハックをできると考えている。

環境を変える

まず真っ先にできる効果のある対策は、身も蓋もない話だが、合わない環境から離れることである。幸いにも休学できたため、これは達成された。前回の休学では、休学後も一部大学関連の環境に身をおいていたが、これもあまり良くないようだったので、最近は徐々に自分の身を置く環境を大学の外に増やしている。本心を言えば、筑波大学は面白い大学だと思うので、この環境を活用したかったのだが、状況を考えるとなかなか難しそうであった。これは個人的に非常に残念であった。

休学できる状況にあること、さらに学外に色々な居場所を探せる状況にあることにとても感謝している。

他人をよく見る

前述の通り、私には私が変わった人間であることへの自覚が薄いという問題がある。この無自覚さはうまく活用することもできるのだが、それはそうと、ある程度の自覚がないことには様々な問題を引き起こしかねない。そのため、自分の特徴をなるべく自覚するようにしてみようかと思う。

これについては、自分だけを見ていても、自分が"普通"であると思っているので意味がなくて、他人をよく見なければいけない。他人をよく見て、他人の考え方をよく学ぶことで、自分の特徴に気づくことを心がけたい。いや、これが難しいのであるが…

ところで、この自覚の薄さが役に立つ場面もあると思い、自覚することの問題も考慮した。偶然にも、ものづくりする気力が一時期落ちてしまっていて、そのタイミングでものづくりに対する自分の特徴を自覚した。端的に言えば、高校時代などに「君には情熱を感じる」と言われたときにその言葉を理解できなかったのが、今は理解できるようになったという話である。これを自覚したタイミングで、「ではものづくりを持続的に行うにはどうしたら良いか」と考え、実践したところ、これがうまくいった。つまり、「役に立つ無自覚」がなくなったとしても、それはよく対策を練れば問題にはならないようだとわかったのだ。このものづくりに関する情熱自覚と対策は、以下の記事にまとめてある。

他人を頼る

よく聞く話だが、結局、どこまでいってもどうにもならないことはある。その場合には他人を頼るしかない。

最近は、大学で個人的に非常にお世話になっている先生がいらっしゃり、その先生を頼ったり、自分とは特性がまるで違う親しい友人を頼ったりしている。人に恵まれていることは、本当にありがたい限りである。逆に、他人に頼られたときには全力で応じる心構えである。

この記事はなんだったのか

我ながら、この記事の内容を考えるには遅すぎたという気がする。もう22歳である。

ただ、遅すぎようが、なるべく早く対策を講じておくことが重要であるから、恥を忍んで言語化し、自分を律する意思も込めて公開する。


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