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ハタチ以降の「持続可能な」ものづくり

にゃにゃんです。

OpenEsysアドベントカレンダーの最終日を担当します。OpenEsysは筑波大学のものづくり団体で、現役メンバー15人程度で活動しています。ワチャワチャと楽しみながらものを作っています。

私は物心ついたときからものづくりが大好きで仕方がなかった人間なのですが、そんな人間でも、大学生になって体の成長が完全に止まると、ものづくりに対して色々と「これまで通りにはいかない」と思うことが増えてきます。

そんなわけで、私の人生の根幹であったし、これからも根幹でありつづけるであろう「ものづくり」をこれからも無理なく続けるために必要なことを、最近色々と考えて実践してみていました。その結果、2023年の年末という本当に最近、ようやく「これならずっと続けられそうだ」と思えるものづくりとの向き合い方を見つけました。

この記事ではその成果をまとめて、「20歳(くらい)を超えてなおものづくりを継続するためのコツ」を書いてみようと思います。

私は今でもまだ22歳と、おそらく多くの人から見れば若い身です。所詮22歳が考えたことではあるのですが、同じ悩みを抱える人の参考になれば幸いです。

この記事では17歳と21歳と22歳の私が登場します。それぞれ「ものづくりの持続性など考えずに済んでいた時期」「ものづくりに不調を感じた時期」「不調を工夫で乗り越えつつある時期」です。わかりにくくてごめんなさい。


21歳から感じていた不調

去年、21歳くらいのときから、私はものづくりに関して不調を感じていました。端的に言えば、ものづくりへの情熱が以前よりも冷めてしまいました。さらに、体力が減ったのか、手を動かす持続時間も減ってしまいました。その結果、なんだかんだ作品は作り続けていたものの、以前よりもものづくりに対してしんどさを強く感じるようになっていました。

しかし、私はものづくりが大好きです。こんな状況は嫌でした。

20歳くらいまでは、1日に12時間くらいほぼ休みなしで手を動かすことができていました(これがそもそもおかしかった気はします)。それが21歳には1時間作業して2時間休憩かお昼寝をする、みたいな状態になっていました。

20歳くらいまでは、1ヶ月もあれば簡単なロボットを作り上げることができました(これもまたおかしかった気がします)。それが21歳には、そもそもロボットを作ろうという気持ちさえ、薄れつつありました。

体の成長が止まったことに関連するのか、体力の限界と意欲の減退を感じました。

まずい状況でした。まずいというか、とにかくこの状況を早く脱したかったのです。


17歳と21歳の私

さて、21歳頃から何が変わってしまったのでしょうか。ものづくりに関連する私の状況がどう変わったのかを分析することが、何かのヒントになるような気がしました。

とりあえず、私の中で一番元気に活動していた17歳頃と比べてみます。

情熱があった

17歳の私は、情熱がありました。情熱駆動開発とでも言いましょうか。とにかく、「作りたい」という純粋な気持ちに突き動かされてものづくりをしていました。その情熱の力で、1日に10時間以上でもものを作れたのです。

17歳の頃、中高の同期と組でIPAの未踏IT人材発掘・育成事業に採択していただきました。

未踏時代にお世話になった先生には、当時「君たちは情熱がすごい」と言っていただいた記憶があります。そのときはその言葉がよく理解できなかったのですが、今となっては、これがよく理解できてしまうのです。17歳の頃は、あの情熱が当たり前だったのでピンときていなかっただけなのです。そう気づいた瞬間、悲しくてたまらなくなりました。

17歳の頃は、メインの大きなプロジェクト以外にも、たまに突発で全く関係ないプロジェクトを思いついて、手を動かして、ある程度成果をまとめる、みたいなことをしていました。それも、1日や2日でやっていました。これも結局情熱(というかもはや衝動)の力でゴリ押していたわけです。それが21歳になると、思いついたとしてもその情熱や衝動が持続するのはせいぜい1時間でした。これではさすがに突発のプロジェクトで成果を出すことは難しいです。

体力があった

単純に、17歳の私は(今よりも)体力がありました。振り返ってみると、あの体力と、そしてあの回復能力は、さすが17歳だ、としか言えません。

私は中高ずっと物理研究会でロボットや物理をしていたので、運動部とは無縁でした。それでも、毎日の登校(コロナ禍前でした)でそれなりに歩き、休み時間には委員会の仕事などで校舎の階段を1段飛ばしで走り、さらに週何回かの体育の授業(男子高校生向けなので結構キツい)を受け…、案外ハードな生活を送っていました。

成長が完全に止まった21歳。コロナ禍で2、3年の間外出がめっきり減ったこともあり、少し外に出るだけで疲れて、帰って2時間お昼寝をするような状況でした。

体力がなければ、ものづくりはできません。正確には、できないわけではないのですが、しんどくなります。

時間がなかった

17歳の私は時間がありませんでしたが、21歳の私は(大学を休学していたので)時間がありました。意外なことかもしれませんが、実は、やたらめったら時間があるのは、ものづくりには良くないような気がします。

17歳の私は、平日毎日高校に通い、放課後の2、3時間だけ物理室でロボットを作り、帰って少し追加で作業をするような生活でした。主な作業場所を学校の物理室にしていたので、休日はそんなにものづくりをしていなかった気がします(ハードウェアを作るには機材が必要な関係で、メインの作業場所以外だとやりにくいです)。

21歳の私は、つくばに一人暮らしでした(22歳の今も)。コロナ禍でしばらく大学に入構禁止だったので、必然的にものづくりの作業場所は自宅になりました。家にCNCフライスや3Dプリンタ、その他色々な機材を置いて、ベッドの横で作業していました。休学して時間があり、かつ家でいつでもものづくりができるという夢のような環境でした。ですが、その環境をフルに活かすのは結構難しいことでした。

中高生時代、テスト前になるとロボットのアイデアがひらめき、勉強机の上で裏紙に設計図を描いたりしていました。こういう現象は、ロボットのアイデアかどうかはともかく、経験している人が多いのではないでしょうか。

時間がない、または何か他にやることがあってものづくりに時間を割けない状態というのは、辛いのですが、その代わり、その間に(頭の片隅で)じっくりとアイデアを練ることができます。しかし、そのおかげで実際に手を動かすとき、限られた時間で着実に成果を生むことができていました。

家、つまり生活する空間にものづくりをする環境を持ち込むと、いつでも手を動かしてものを作れるようになります。しかし、その状況が、じっくり考える時間を減らし、ダラダラと手を動かす時間を増やしていました。

時間があるというのも、それだけだと有意義に活用できないもののようです。


自分をハックせよ

17歳と21歳で変わったことをまとめて考察したら、次は自分をハックして不調を改善します。ここでは、実際に特に最近私がやって、効果がありそうだと感じたことを書いておきます。

よく寝る

体力と情熱の衰えは、実際には「すぐに眠くなってしまう」という形で現れていました。元々私はロングスリーパー側の人間っぽいと自覚していましたので、多少生活リズムが普通とズレようと、とにかく夜の睡眠時間を確保することに努めることにしました。

自分の睡眠についてよく観察すると、6時間の睡眠で済む時期と12時間くらい寝ないと眠い時期とが1ヶ月くらいの周期で回っていることに気づきました。そこで、特に12時間睡眠の時期は、意識して夜に12時間寝るようにしました。さらに、睡眠を削って無理に作業するのをやめました。何かの締め切りが近い時期に12時間睡眠の時期が被るとしんどいので、そういう場合は逆算して早めにタスクを片付けておくようにしました(後述)。

実際には、短時間睡眠で済む時期には2時就寝で8-10時起き、みたいな感じです(朝早いのは苦手なので遅めではあります)。長時間睡眠の時期は0時就寝で正午起きみたいなことをしています。

まあ、休学していて授業がないので生活リズムについて無頓着で済むのですが…(ロングスリーパー辛い)(というかこれって社会に合わせられないという点で持続可能ではないのでは…?)

適度に運動する

体力をつけるためには、運動するしかないでしょう。

私は、実は運動がそれなりに好きです。運動部経験はないし、運動が得意というわけでもないのですが、運動自体は好きです。そこで、高校の体育の授業くらいの時間(週2、3時間)を目安に、運動をすることにしました。

運動は特に脚を使うものが好きで、具体的には早歩きで散歩したり、山に登ったり、ママチャリで走ったりをすることが特に好きです(速そうな自転車は持っていません)。しかし、早歩きはしっかり運動する(10-20km歩く)と結構時間がかかってしまいます。登山は、時間がかかる上に体力を使いすぎてしまう気がします。あと、つくば周辺の山である筑波山や宝篋山でも、大学近辺からだとそこそこ遠いです。

そこで、最近はママチャリで25km程度漕ぐという取り組みを週1、2回行うようにしています。ママチャリ(しかも変速なし)なので、結構疲れます。それでもスピードは結構出せるので、休憩とご飯を含めても1.5時間くらいで家に帰ってこられます。しかも、ほどよく疲れます。ひどい筋肉痛にはなりません。素晴らしいです。ちなみにこの記事のアイキャッチ画像は自転車で行った筑波山です。

運動すると疲れて夜に眠くなりやすくなる気がします。これも良いところですね。あとは、運動したらお腹が空くので、いっぱいご飯を食べるようにしています。

ちなみに、運動の大切さに関しては大学の友人と深夜に話し込んだ経験が大いに役立っています。ありがとう…!

余談ですが、筑波大では体育が必修(しかも工学システム学類だと3年まで!)なんですよね。授業も良質で、個人的には好きです。ただ、休学していると当然受けられませんが。

大学に行く

大学に行くとは言っても、休学しているので授業に行くわけではありません。寝床と作業場以外の役割を、家の外に置いたのです。特に文字を読む行為やアイデアを考える行為、調べものなどは家だとダラダラやってしまうので、大学で行うことにしました。

筑波大学は幸いにも広く、自由に使える空間が多いです。私の場合はOpenEsysの活動部屋(実は工学システム学類の人は誰でも入れる)や図書館をよく使っています。

余談ですが、筑波大は休学しても図書館などの施設を変わらず使え、非常にありがたいです。最近だと、オセロAIのUI設計に関連して色彩関係の資料を漁ったり、あとはオセロAIの歴史を調べるべく過去の新聞や雑誌を漁ったりしました。

結局、作業場(私の場合は家ですが)に籠もっているだけではアイデアは浮かばないし、思考は整理されないようです。適度に外に出るのが大事だと思っています。

そういえば、小学生時代に好きだった本で、LEGOでロボットを作るときのアイデアが書いてある「LEGO MINDSTORMS NXTオレンジブック―アイデアノタマテバコ」(五十川 芳仁)という本のどこかに、似たようなことが書いてあることを思い出しました。「家に籠もっていないで、外に出よう。ロボットのアイデアは外を歩いているだけでも見つかる」みたいなことが書いてあった気がします。

無理をしない

昔は寝食を忘れて作業に何時間も集中できていましたが、21歳の私は情熱と体力の減退により、そんなことができなくなりました。しかし、これは昔が体力にものを言わせていただけです。現状はある意味で好都合かもしれません。長くても数時間で集中が切れるおかげで、適度に休憩を取るようになりました。休憩を取った上で、眠くなったり休みたくなったら大人しく寝ることにしました。

22歳の私は、ありがたいことにものづくりを通して色々な面で社会と関われています。その関係で、決まった締め切りまでに求められる成果を出さなくてはいけないことがあるのですが、その締め切りの数日前から1週間前に、とりあえず最低限のクオリティで成果を完成させるようにしました。あとは余った時間でブラッシュアップするのみです。こういう心がけをどうにか頑張ってやる(カレンダーに締め切り一週間前に自前の締め切りを作るなど)ことで、そもそも無理をしなければいけない状況を減らしました。

私は特に小学生時代、クオリティに全く執着せずにものづくりをしていました。作品の見栄えが非常に悪かったのです。そんなことができたのですから、私は「とりあえず出来栄えはともかく完成させる」ことに慣れています。その性質をうまく利用したというわけです。

ちなみに、こういった工夫は一週間ごとに課題が出される大学では通用しない気がしています。近い未来、また大学の授業を受けるとなったらどうしようかと気をもんでいます。まあそれはその時考えます。

また、不定期に現れる集中できる時間をうまく活用しつつ、その時間で疲れすぎないために、普段の生活はわりとのんびりさせるようにしました。気が向いたら大学や公園で芝に寝っ転がってお昼寝をしたりしていますが、これもこういった取り組みの一つです。


22歳。ものづくり欲が戻ってきた

そんなこんなで色々と工夫していると、自然とものづくりがしたくなってきました。これを待っていたのです。このために色々思い悩み、工夫してきたのです。

この数年間で学んだことは、私が人間である以上、人間として健康に生活して、無理をしないようにするのが大事だということです。


余談

なんだか偉そうに色々書いてしまいましたが、読み返してみると、全部当たり前のことを言っている気がしました。でも、これに気づいて実践するのに時間がかかってしまいました。もはや恥ずかしいです…。

あとは、私はものづくりが好きすぎるのかもしれませんね…。ものづくりのためであれば犠牲にできた健康(?)を、ものづくりのために取り戻そうとしているわけですから。

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