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趣味とものづくり

筑波大学が、私の知らない様子であった。

2020年には「あまりにも人がいないので、石の広場に雑草がたくさん生えている」と言われていたほどだった。それが今や溢れる自転車のために、道が通れないほどである。

2023年度は、復学したと同時に全面的な対面授業の再開であって、この文章を書いているときにはすでに、授業が始まって1週間ほどが経過した。率直に言えば、この大学生活は非常に面白そうである。


振り返ってみると、2022年は若干の脅迫的な意識をもって、ものを作っていた気がする。それはそれで、色々な成果が出たので良いことだとも言える。しかし、一度立ち止まってみると、楽しさを忘れてしまっているようだった。なにかの理由や締め切りを設定して、そのために作るという行為ばかりをしていた。感情のままにものづくりを楽しむことが、めっきりなくなってしまった。

春の大学で、ちょうど上の写真のような、少し傾斜のある草原の上で寝るのは、とても気持ちが良い。

ものづくりというものが、あまりにも私の生きる道と強く結びついてしまっている。これ自体は特段悪いことでもないのだが、こうなると、自分のものづくりに対する愛情が、よくわからなくなってくる。

少し湿った草を背中で感じつつ、顔に上着をかけて日差しを避けていると、だんだんと体が温まってくる。

5年間毎週欠かさず出ていたスピードキューブのオンラインコンテストを、ふと忘れてしまったのは2022年の9月末だった。それ以来、スピードキューブからは若干遠ざかっている。キューブを触ることも少なくなってしまった。

4月の夏日は、気温よりも格段に暑く感じる。上着の隙間から覗く光は、これはほとんど夏のものであろう。じんわりと背中に汗をかいてくる。

復学に際して、一時的に色々な作業を止めて自分のタスク処理能力を見極めながら、大学とその他の活動のバランスを決める作業をしている。そのため、2年間ほぼずっと欠かさず書いてきたオセロAIは、この1ヶ月で突如開発が止まっている。

さすがに暑く、顔にかけた上着によって息苦しくなってきた。我慢ならずに起き上がり、顔を上げ、息を吸うと、初夏であった。

スピードキューブは、感情によってのみ、たまに遊ぶようになった。さらに、5年間離れていた合唱も、あまりに気分が乗ったために、大学のサークルに入ることで再開した。人力によるオセロも、なぜだか以前よりも楽しい感情が増えた気がする。冷静になって考えると、ものづくりだけが私の全てではなかったらしい。ただ、ものづくりが比較的に能力として得意なだけであった。

鞄からぬるいお茶を取り出して一口飲むと、ペットボトルは空になってしまった。こうも暑ければ仕方がない。

私には今、趣味しかない。ものづくりは趣味だし、それ以外の好きなことは、言うまでもなく趣味である。

ふと時計を見れば、まもなく次の授業の始まる時間だという。学問も、結局は趣味である。趣味であることに変わりないものが、たまに自分や社会の役に立つことがある。その程度で良い気がしてきた。


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