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光さすほうへ 2


私がうつ病と共に生きていることを
ここに残したいと思います。

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仕事を休んだり、遅刻早退を繰り返し1ヶ月が経とうとした時

先生から、心療内科を探すようにすすめられた。


「自律神経失調症だけではないと思う」
「専門の先生に看てもらった方がいい」

そこから私は、いくつもの病院に電話をし、予約を取ろうとした。

しかし、どこの病院からも返ってくるのは同じ 

「予約が1ヶ月後まで入っていて、すぐに看ることは出来ない」

もしくは「2ヶ月後の○日からなら…」 予約をとっても看てもらえるのは早くて1ヶ月後…そこまで私はこの苦しみと生活していかなければいけないのか…  

私は看てもらうのに時間がかかることを先生に伝え、どうにかすぐに看てもらえる方法はないか相談した。

そこで出てきたのは、症状の1つでもある「動悸」を精神科もある大きな病院の循環器内科で調べてもらう事だった。
心臓の検査をしてもらい、異常がないと分かれば、「動悸・胸の違和感・めまい・手足の震え」といった今でている症状は精神的なものでは?と思い、院内紹介で精神科にまわしてもらえるかもしれないと。

すぐに病院に連絡をしてもらい、予約を取ってもらうことが出来た。 紹介状を翌日取りにいき、そのまま市民病院へ行く流れとなった。

翌日、私は紹介状を持ち市民病院へ行き、検査を受けた。
結果は「異常なし」
そして、先生から「心療内科を探した方がいいと思います」と言われた。
私は、予約がなかなか取れないことを話した。
先生はパソコンで心療内科を調べている様子だった。

やっぱり1ヶ月、2ヶ月は我慢しなければダメなのか…と思ったとき、看護師さんが「先生、院内紹介が出来ますよ」と言ってくれた。
看てもらえるか確認するために診察室の前で待つことになった。

「鈴村さーん」と名前を呼ばれた。
院内紹介が出来ますよと言ってくれた看護師さんだった。
「明日の9時に予約が取れますが来れますか?」と聞かれた。
私はすぐに「大丈夫です」と答えた。
正直、今の体の状態で朝の9時に病院に行くことはしんどいと思ったが、これを逃したら今度いつ看てもらえるか分からない。             

「とにかく早く楽になりたい」それが今、私が一番に望むものだった。

会社にすぐ連絡をいれ、翌日休みをもらい、無事に精神科で看てもらうことが出来た。

診断の結果は「パニック障害」
薬を処方され、1週間後にまた診察をしてもらうことになった。

私は薬を飲みながら、 こんな状態でもまだ、見えない責任感で仕事をしていた。

1週間後、薬での副作用や症状、どのような状態で過ごしていたかなどを聞かれた。 そして、先生から「仕事を休むことを考えた方がいいかもしれません」と言われた。

会社の上司と相談し、とりあえず1ヶ月、有給を使い休むことにした。

1ヶ月、休むだけのはずだった…
しかし、1ヶ月で私が仕事に復帰できる状態には戻れず、さらに1ヶ月休むことになった。

その間、薬が変わったり量が増えたりと、症状が治まる薬や量はどれくらいなのか試す期間になった。
なかなか症状は改善されず、家にひきこもり、食欲も減り、体重がどんどん落ちていき、そんな自分がどんどんイヤになり、気分が落ちていく日が増えていった。

そして私は、さらにもう1ヶ月休むことになった。

気分は落ちていくばかり、何もやる気が起きず、分からない恐怖に怯え、もう生きている意味なんてあるのか…楽になりたい… 

死にたい…死んで楽になりたい…

そう思うようになった。

そこから、自傷行為が始まった… 
死にたいと思っているのに、死ねないと分かっているのに手首を何度も切り、血を見て、その度に安心した。

矛盾している自分にさらに苦しめられる。

気づけば体重は10キロ以上落ちていた。

そんな状態の私をみて先生は
「うつ病」と診断した。

有給も残り僅かとなった時、上司が会って話がしたいと連絡が来た。
上司は休みの日に、わざわざ家まで来てくれ、家族のことも気にかけてくれ、外で話をすることにした。
お茶を飲みながら、体調のことや治療のことを話し、会社は大丈夫だから心配せず、安心して自分のことだけ考えて良いと言ってくれた。
そして上司は私に「退職」ではなく「休職」について話をしてきた。
先生からも休職のことは言われていた。
それを上司も知って、話がしたいと言ってきたのだろうと思っていた。
私は「退職」をすすめられると思っていた。 
いつ戻れるかも分からない人間を会社に残しておくことはないだろうと。
しかも「うつ病」の私を…
でも、上司は「休職」をすすめてきた。

休職中、会社から毎月、補助金が出ること。
1年半は補助金が入るから、お金の心配をせず治療が出来るだろう。
そして何よりも、鈴村が会社に戻ってくることを待っている。
俺だけじゃない。
鈴村が教育した部下たちも待っている。
鈴村が「いつ自分が異動になっていなくなっても困らないように」と必死で教育した部下たちは、鈴村が帰ってくるのを待ちながら、きちんと仕事をこなしている。
どこの部署よりもレベルの高い仕事をしている。

「待っている」

その言葉に私は救われた。
1人だと思っていた。 待っていてくれる人なんて誰もいないだろう…
むしろ、早くやめて新しい人が来てくれた方が部下たちにとっても、会社にとっても良いだろうと思っていた。

「鈴村が帰ってくる場所は残しておく」

上司はそういって、病院の先生とも相談して連絡をくれと帰っていった。

私は、先生と相談をして「休職」することにした。
電車で具合が悪くなってから、半年が経とうとしていた。


つづく…

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