日々を編む/カフェにい〼

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    しにたいとかいいつつ、けっこうずぶとくしぶとくいきているわたしのはなし

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学生時代の意味

人生で引越しをするのは何回目だろうか たぶん7回目くらい 死ぬまでに10回は余裕でいきそうだ 毎回引越しする度に思う 引越し準備ってなにしてたかしら? 何度やっても効率的に進められないしギリギリまでやらない ガス、水道、電気はもちろんのこと 転出届や転送届 やらなきゃいけないことが山ほどあるのに どれから手をつけたらいいか分からない 何回もやっているのに… 引越し当日までを逆算して家での食事を調節したり生活必需品を整理したり… 頭がおかしくなる 私は逆算をするのがめちゃくちゃ

    • 出会えてよかった

      夏休みの宿題をギリギリにやらないと出来ないタイプだった あと一週間で終わるなーやばいなーで少し手をつけて あと3日しかなくない!?やばくない!?でやっと本気出す…みたいな感じで生きてきた あと一週間くらいしかここにいられない ここは自分の地元でもなんでもないから 今後の人生で訪れることはないかもしれない だから今会えている人ともう二度と会えなくなるかもしれない そう思ったら最後くらい会いたいな、ご飯行きたいなってなる 今までたくさん時間があったのに今更だよななんて思うけど

      • 私以上に悲しまないで

        私と離れることを私以上に悲しまないで そんなふうに悲しまれたら、私がちっとも恩知らずみたいじゃないか 私だって悲しいけれどあえて表に出したくないのだ 要は強がりってこと 正直なところ、少しでも気が緩んだら泣いてしまいそうだ 働いているお店を離れるということは共に仕事をする仲間と、常連さんとのお別れになる もう二度と同じ瞬間は来ない もしも、本当にもしもだけど、私が帰ってきたとして 私の後に誰か違う人が去っていたら 同じ瞬間はもう二度と来ない 「どうせまた会えますよ」「すぐ遊び

        • さようならの仕方

          さようならをするときに次また会えるよという希望を含んでさようならをしたい そうしないと、もう会えないという現実を受け止めるのは中々しんどいものがあって 学生の頃、毎日「また明日!」と放課後に手を振りあったように、そんな感じで、いたい もう二度と会えないことがわかっていたとしても その人達との別れが近づかないと、その人をもっとよく知ろうという気持ちになれない いつまでも私は傲慢だ また明日も会えるし、とか、いつかさよならするのにそこまで深く繋がらなくてもいいんじゃないか、とか、

        学生時代の意味

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          過去の私を肯定するために

          生きていく上での目的を聞かれたら私はこう応えると思います 過去の私を肯定するために 過去の私、とは色んな私です 人の目を気にして臆病な私、不登校だった私、枕を濡らしてばかりだった私、自傷行為がやめられなかった私、死にたくて家を飛び出した私、愛されたくて愚かだった私 目を背けたくなるような私を、私は沢山見てきました 本当にこれは自分だったのか?と疑いたくなる気持ちもありますが、私の記憶の中にあるということはそういうことなのでしょう ですが決して自己憐憫をしているわけではありませ

          過去の私を肯定するために

          少し大人になった私たち

          パートナーも私も暇でとてもやることがなくて散歩に行った 平日の昼間に暇だと嘆くなんて大学生くらいなもんだと思う 昨日よりも気温が高く、外にいても全然寒くなくて散歩するにはもってこいな天気だった ただ当てもなく散歩するのも…ということで近くのコンビニまでいってお菓子を買って帰ろうということでセブンイレブンを目指して歩いた 景色を眺めながら誰かと歩くのはとても心地がいい 歩みを止めないでいると話題も止まることがなくて、話題が色んな方向に飛んでいくけれどとにかくどうでもいい事を話し

          少し大人になった私たち

          平日の昼間の幸せ

          平日、昼間のチェーン寿司屋の空気感がとても良かった 突然お寿司が食べたくなってはま寿司に行った 平日だったしお昼の時間からも少しズレていたから店内の人はまばらだった 土日の夜と比べると圧倒的に静かで居心地がよく注文した品がすぐ届く 予約しなくても待合室的なところで待たされることがないし、ボックス席に座れる 向かい合って座った人の声がちゃんと聞こえる 当たり前だけど当たり前じゃなくて少し驚いた 学生の頃、私は不登校がちで気まぐれだったので 普通だったら学校にいる時間に街の中を

          平日の昼間の幸せ

          さよならがいえない

          私は今の店舗で3度目のラストランを迎えようとしている ラストランとは、最終出勤日のことだ これは何度経験しても(といってもまだ3回目だけれど)慣れないし悲しい まず常連さんに言えない 会えただけでも嬉しいし話したいこともあるのにそれを遮ってまで「私ここのお店もう辞めるんです」なんてわざわざ暗い話をしたくないのだ そして「えっ、寂しい」と言われると返す言葉が見つからない 「すぐ会えますよ」とも言えないし、正直もう二度と会えない確率の方が高いのだから口が裂けても言えない 「私も寂

          さよならがいえない

          人生に価値を見出そうとするのはおよしなさい

          くだらね〜って笑い合えるような人生でいいのに必死こいて真面目に生きようと常に脳みそを動かして 自分のいいところってなんだろう、他の人よりも優れているところってなにで、それを伸ばして自分にしか出来ないことをしようと血眼になる 自分と他人を比較してしんどくなって出口のない洞窟に迷い込んだみたいに生きて それの何が楽しいんだ? 全然楽しくなくないか? 息しにくくない?山頂で酸素が少なくてハァハァするみたいに 人生を高尚なものだと思い込んでいないか? 人生は暇つぶしって言い始めた人っ

          人生に価値を見出そうとするのはおよしなさい

          ○○パーティが好き

          誘われるのを待ってる人の方が多いんだなーと体感している ここにいるのもあと少しだから職場の人と出来るだけご飯に行ったりしたいなあとにかくゆっくりお話したいなと思い、 今まで全然誘っていなかったくせに最後だからという口実でじゃんじゃか人と会う予定を立てている 誘うと決まって「私も誘おうと思ってたの!」と言われる 社交辞令かもしれないけどそう言ってくれるのは素直に嬉しいしやはりみんな誘われるのは嬉しいことなのかなとおもっている 誘いたいけどなんて誘おうかなあと私も日頃頭を抱えてい

          ○○パーティが好き

          嘲笑より賞賛を

          人を蔑んで得られる快楽よりも 他人を褒めてお互いがハピネスな気分になる方を選びたい 人間なのでどうしても自分より下の存在に安心してしまうし、ネットの炎上記事が気になってしまうし、こんな人間になりたくないと思っていても本能が反応してしまう ネットの世界が広がりすぎている現代に生まれてしまったからには目を背けることが出来ない人間の性に嫌気がさしてしまい、ネットが発達しすぎて無い昔は良かった...なんて心の隅で思ったりもする 他人の粗探しをして指摘して気持ちよくなる人間ってどうして

          嘲笑より賞賛を

          現状維持

          現状維持が嫌いだ 変わらない毎日、変わらない仕事内容、変わらない風景、全部嫌い 何度引っ越しても、働く店舗が変わっても ある程度時間が経ってしまうとマンネリ化する 慣れてしまって、毎日がつまらなくなって現状維持のまま仕事をすることになる 仕方ないと言ってしまえばそれで終わりなのだけれどどうにかして抜け出したいと足掻いてしまう 現状維持が嫌いというのは、悪く言えば自分のモチベを保つのが下手 目標設定をするのが下手で自分の課題を見つけられないということ 向上心があるかどうかとかは

          現状維持

          心から好きと言えない

          好きなVTuberがいるんだけど 心から好き!といえなくて それはその人(VTuber)がとても面白くて 絶対私が持ってない語彙力の引き出しがハンパなくて 尊敬してしまうと同時に嫉妬してしまう この人はなんでこんなにも面白いのか 私には到底敵わない存在だからこそ 喉から手が出そうなほど羨ましくて仕方ない だから安易に好きと言えず、 何も努力していないフィールドで 相手に勝手に嫉妬して好きと言えないなんて 惨めすぎる 分かってる、そんなこと でも言えない、好きなんて 拗らせオタ

          心から好きと言えない

          前提として自分がいなくても世界は変わらないということ

          こう考えれば人生ってなんとなく軽い気持ちでいられるきがしてくる パートナーにあれこれと先回りしてやってしまうのをやめたい 朝も昼も夜もご飯を用意して掃除をして皿洗いして、良かれと思ってと言うよりか、私がやらなければいけないのでは、という焦燥感の方が大きい 私がやらないと、という得体の知れない義務感に囚われている 実際そんなことは全然ない パートナーは昨年まで一人暮らしをしているし20才過ぎているしもうとっくに大人と言われる存在だし 母親みたいにあれこれとやってあげなくても勝手

          前提として自分がいなくても世界は変わらないということ

          慢性的に「死にたい」

          慢性的に「死にたい」わけだけど、それでも死なない私をどうか許して欲しい 死にたいと思い始めたのは高校生の頃 うつ病になってからだ この病気になったからには私は一般的に健康な人よりも優しい気持ちとか人の悲しみが分かるとか、目に見えない尊いものを手に入れられていないと不平等な人生すぎるよって思うのだけれど、そもそもこの世に生まれ落ちた瞬間から平等なんてひとつも、これっぽっちもなかった 普通になれないことで得られるものがかけがえのないものであれば自分の辛かった経験も少しは役に立っ

          慢性的に「死にたい」

          愛されたかった

          幼い頃、自分の意思を示すことが極端に苦手だった 幼稚園でトカゲを観察して絵を描こうという時間があったけど私はトカゲを描くことが出来なかった クレヨンを握ったまま動けなくなってずっと白紙の画用紙と向き合って半泣きで固まった 歌を歌えなかった 人がいる空間で歌声を出すことが出来なくて喉に何かが引っかかったように苦しくて歌えなかった 人の前に立って意見を述べることも、大人に自分の意思を伝えることも出来ない子供だった 世界に常に怯えて周りの人達は全員敵だと感じていた 何をしてもバカに

          愛されたかった