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ボヘミアンラプソディー

ボヘミアンラプソディーの人気はうなぎ登りであった。アカデミー賞を賑わせた主演のラミ・マレックのパフォーマンスは真に迫るものがあったし、ククイーンの楽曲はどれをとっても素晴らしい。

私もリピートするまでではないけれど、劇場に足を運び鑑賞した。曲に馴染みもあるので高揚した。

圧倒的な歌唱力とパフォーマンスで天才と謳われるフレディ。華やかなステージの裏で抱えていた葛藤や挫折を私達は映画を通して知った。

私がこの作品で最も惹かれたのはフレディのマイナスである。マイナスと言っても一般的に世間でマイナスとみなされる点である。

人種的・性的にマイノリティーである事や過剰歯であるという事。とてもシャイで内気であった事。時にストイックで思い込みが激しく人と折り合わない性分。

こういった要素のひとひとつが全てフレディを輝かせていた。

人種的な要素でいうとインド人の父親から言われてきた、「善き思い 善き言葉 善き行い」という言葉は彼を最後ライブエイドでの復活の道へ押し上げるきっかけになった。又コンプレックスからくる葛藤は世間を見返す原動力にもなった。ゲイであるというアイデンティティーは、あの高い美意識とパフォーマンスを生んだと言える。過剰歯は唯一無二の声の奥行と存在感を生み、シャイである事はフレディを創作へ導き、ストイックで激しい面はレーベルとの対立で一役も二役も買った。

フレディ自身の葛藤と痛みは多かったと思う。

でもその痛みと葛藤の全てがあの素晴らしい楽曲に載せて語られる時、私達はその全てが肯定されると感じる。

これは我々にとっても賛歌ではないか。

まさにここに展開される肯定は私達自身をも揺さぶる。生身のフレディの人生と同じく私達ひとりひとりにも生々しい人生があり、それは肯定されるべきものでる。どんな人生であっても。

フレディは病を知りマネージャーに騙されていると知った後、自分自身、親や恋人や友人とも和解をする。フレディのライブエイドでのステージが最高なのは、痛みを消化しただけではなく自分を含め傷つけた人としっかりと和解したあとの姿が礎にあるからかもしれない。

そしてクイーンは我々を後に置かない。

We will rock you.

We are the chanpions.

We であって、Iではない。

最後にWe are the chanpionsに乗せてやってくる一体感は我々を勇気づける。私達がWe are the chanpionsを一緒に歌う事をクイーンは望んでいる。音楽は私達をひとつにすることができるという点で偉大だ。

私達はこの歌を今日も歌うことができる。そしてその時私は少し自分を肯定していたい。We are the champions. 




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