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映画レビュー『パリの恋人』

製作 1957年 米
監督 スタンリー・ドーネン
出演 オードリー・ヘプバーン
   フレッド・アステア
   ケイ・トンプソン

今回のオードリーはミュージカルに挑戦。

ストーリーはかなり強引で、いろいろツッコミどころも満載です。
もはやそういうことはどうでもいいと思わされます。
単純にミュージカルとして踊りと歌とファッションを
楽しもう、というスタンスでいいのでしょう。
僕はミュージカル不得意で・・
クオリティーの良し悪しはよくわかりませんが。
なんだかすごく不思議で斬新な感じがしました。
最近のミュージカルとはかなり雰囲気が違いますね~。
最近のミュージカルのような大人数での一体感みたいな感じが無い。
だいたいいつも主人公2・3人、もしくは一人で踊る。
街中のシーンでも基本エキストラは踊らず黙って観てる。
ちょっとドタドタした足の音とかそのまま入ってたりして
ある意味本当に急に踊りだしているようなリアルがあるんですね。
オードリーのダンスはバレエをやっていたというだけあって、体幹がまっすぐで綺麗ですね。前衛的なシュールダンス風な振り付けも彼女のフェミニンな雰囲気にピッタリでした。
ただ他の二人、フレッドアステア、ケイトンプソンは
いわいるミュージカル専門の俳優さんらしく
さすがの貫禄で、今回ばかりはオードリーも技術的には胸を借りているといった様相でした。
そんな二人の大御所?の間でオードリーの存在は初々しくキュートに見え、
なんだか運動会の娘を応援する親みたいな気持ちにさせられてしまいました。

オードリー~!頑張って~!
っと。

ところでこの作品中では「共感主義」という哲学があり、それに傾倒するオードリー扮するジョーがその権威であるフロストル教授に会いたいがためにモデルになってパリに行ったのですが、結局、フロストル教授はとんでもない奴で、ビンタを食らわせておさらばという話なのですが・・・。
実際には「共感主義」という主義も哲学もないようです。
この映画の「共感主義」とフロストル教授はいかがわしいアヘン窟のようなカフェに屯する「変形共産主義者」とその詐欺師的指導者のような描かれ方をしています。この時代のアメリカ映画としては「共感」=「同調」=「共産」=「アカ」ということを暗示し批判的に描いているようにも感じます。
 近年では「共感資本主義」という言葉が現実でも注目され始めているようです。
「共感」=「同調」ではなく、他者との違いを認める、それぞれの個性を尊重する、という意味での「共感」が資本となりお金を生みだすという考え方らしいですが・・・。
さてさて、一見、確かに現代的でいい話っぽいですが、
何か煙に巻かれているような・・
要するにSNSやネットコンテンツでフォロワー集めて収益を得ることなどを示唆しているのでしょう。
「フォロワー集め」「共感資本主義」「同調主義(圧力)」は紙一重な気もします。そんなことに奔走する現代日本人って・・・
けっきょく戦前からなにも変わってはいないのでは・・・
そんなことを考えた夜でした。

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