見出し画像

読書レビュー「風神雷神」上・下 柳広司

初版 2021年3月 講談社文庫

上巻あらすじ
扇屋「俵屋」の養子となった伊年は、醍醐の花見や、出雲阿国の舞台、南蛮貿易の輸入品から意匠を貪り、絵付けした扇は評判を増す。すると平家納経の修理を依頼される栄誉に。さらに本阿弥光悦が版下文字を書く嵯峨本、鶴下絵三十六歌仙和歌巻の下絵での共同作業を経ると、伊年の筆はますます冴えわたる。

下巻あらすじ
俵屋を継ぎ妻を娶った宗達は、名門公卿の烏丸光広に依頼され、養源院に唐獅子図・白象図を、相国寺に蔦の細道図屏風を完成させる。法橋の位を与えられ禁中の名品を模写する機会を得ると、古今東西の技法を学ぶ。関屋澪標図屏風、舞楽図屏風、そして風神雷神図屏風
謎の絵師が遺した傑作の舞台裏を描く。(講談社文庫特設サイトより)

「風神雷神」は原田マハと柳広司によって、
ほとんど同じ時期に同じタイトルの本が出版されたようで、
どちらか読んだら必ずもう一方も読んでみようと思っていました。
前回、先に原田バージョンを読みました。
その感想を読んでくれた人もいるかと思いますが。読んでいない人もいるでしょうから、二人の作品の違いについては最後にまとめます。
今回は柳バージョンについての感想です。

ほとんど資料が残されていないという俵屋宗達。
本作は、そんな宗達の作品(絵)に対しての著者による真摯な検証と考察によって物語中の人物像や時代背景が描かれていきます。
宗達の絵の持つ肩の力の抜けたおおらかさ、ある種のひょうきんさがそのまま宗達の人物像になっています。
また、残されている文献は少ないようですが、数々残されている(絵)と書のコラボ作品によって、本阿弥光悦や鳥丸光広と交流があったことは史実として間違いはなさそうで、
二人の書(字)の違いから、光悦はきっちりした万能の天才、光広はのらりくらりとした皮肉屋“ぬえ”と呼ばれた男として描かれています。
光悦と光広。
二人の優れた文化人との交流によって、一町の扇屋の「絵屋」が「絵師」へと導かれていく様子がストーリーの核となっていて、そこが最大の読みどころでもあります。
幼馴染の友人として描かれる、堺の貿易商角倉与一や紙師宗二との交流では、当時の町人文化の視点から、秀吉末期から徳川江戸幕府への時代の変革を活写していき、その時代考証力にも唸らされます。
特に秀吉末期の迷走に対する考察がなかなか面白いです。
僕自身も昔から不思議に思っていた秀吉末期の愚行に対する謎。
なるほどそういうことか!それならあり得るかも!と唸らされました。
また「出雲巫女神楽」の女優おくに、妻のみつ、本阿弥光悦の娘冴ら女たちとのロマンスも、決して物語の表舞台にはしゃしゃり出てこないながら、水面下でうごめく不気味な情念が要所要所で控えめに描かれていき、地味ながらスリリングなスパイスとなって効いてます。

そしてラストにはあの「風神雷神図屏風」が描かれた舞台裏に著者なりの考察をもって迫真に迫ります。
いやはや・・・
フィクションでありながらも、少ない文献と確固として残された作品群を真摯に見つめ、
生きた人間「俵屋宗達」がそこに躍動していました。
ただもう一歩心に迫る何かが足りない気がする・・・。
それは、どうしても初めから絵のセンスは持っていて、大した苦難もなく成功者として描かれている故だろうか・・。
しかしそんな杞憂もラストのラストでさらりと吹き飛ばしてくれました。

さて原田マハ作の「風神雷神」との違いについてですが。
どっちがいいとか悪いとかはなかなか難しいですね。
双方一長一短というのが僕の率直な意見です。
俵屋宗達の人物考証、時代考証にリアリティーを求めるなら柳版。
大胆な展開、一見荒唐無稽な時代考証ながらロマンと青春の熱情を感じたいなら原田版。
両方読むなら
幼少期の若き青春譚を描いた原田版を前編として、
大人になってから、実在する数々の作品と共に円熟期を描いた柳版を後編として、読むのも面白いでしょう。
ま、世間的人気度合としては原田版が圧勝という感がありますから、
僕はあえて柳版をお勧めしたいです。

柳さん、実は初読みでしたが、代表作が「ジョーカーゲーム」シリーズということで、ラノベ作家?と若干軽視していたのですが、時代考証のリアルさでは原田さんのほうがむしろファンタジックで柳さんのほうに分があり、それはある意味衝撃的でした。

この記事が参加している募集

読書感想文