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米澤穂信「黒牢城」読書感想

初版 2021年 6月 KADOKAWA

 

あらすじ 

本能寺の変より四年前、天正六年の冬。織田信長に叛旗を翻して有岡城に立て籠った荒木村重は、城内で起きる難事件に翻弄される。動揺する人心を落ち着かせるため、村重は、土牢の囚人にして織田方の智将・黒田官兵衛に謎を解くよう求めた。事件の裏には何が潜むのか。戦と推理の果てに村重は、官兵衛は何を企む。デビュー20周年の集大成。『満願』『王とサーカス』の著者が辿り着いた、ミステリの精髄と歴史小説の王道。

(KADOKAWAウェブサイトより) 

荒木村重をググると「道糞」という言葉がたびたび出てきます。
もともと池田勝正の家臣だった村重は下剋上して池田家を乗っ取り、三好家から織田家に主君を鞍替え、信長に気に入られて摂津国を一任されるも、突如謀反を企て有岡城に籠城。
しかし、織田家の計略で家臣が次々と切り崩され、あてにしていた毛利の援軍も来ず、敗色濃厚になると、一人こっそりと茶器だけ背負って城を去ります。
尼崎城に移った村重に、信長は、「尼崎城と花隈城を明け渡せば妻子を助ける」と提案しますが、村重はこれを拒否。有岡城に残った村重の一族、重臣とその家族は、見せしめに市中引き回しにされ、処刑されました。
なおも信長は村重追撃の手を緩めず、村重をかくまったと思われる人間を次々に惨殺していきます。しかし、当の村重は逃げ続け、信長が本能寺で死ぬと、秀吉の元で茶人として復帰。
村重はそんな流転の人生を自虐して自ら「道糞」と名乗っていたそうですが、秀吉不在の時に、秀吉の悪口を言うと、処刑を恐れ出家し「道薫」と名を改めたということです。

ようするに糞ヤローだと・・・。

これは諸説ある史実の一つだけど、おおかたそのようなものが多いようです。
特に、信長にそこそこ気に入られていた村重がなぜ謀反したのか?
重臣や妻子を捨てて、なぜ一人だけ逃げたのか?
ここが村重の史実、最大の歴史ミステリーとなっているようです。 

いつの時代も糞と呼ばれる指導者はいるものです。
しかし、指導者となって人の上に立つにはそれなりの知力と人望があってこそであり、そういう人間が突如、気でも狂ったかのような奇行、陳行、愚行するには、なにかとてつもない裏があるのではないか・・。
単純に糞と切り捨てて非難する前に、そこを考えられる人間でいたいと思うのです。

さて、本作「黒牢城」はそんな荒木村重を主人公に据え、有岡籠城戦を舞台に、使者としてやってきた黒田官兵衛を投獄した史実をそのままに、
城内で起きる密室殺人や怪現象といった架空の設定を差し込み、その謎を獄中の官兵衛に解かせるという、エンタメミステリー風に仕立ています。
長引く籠城の中で、城内の人心の移ろい、一つの殺人事件によって思わぬ方向に流れていく風聞。毎日行われる軍議に居並ぶ家臣たちの気運の微妙な変化。
人の心に小さく巣食う猜疑心が、やがて大きなほころびの要因となっていく様子が、緊迫感をもって見事に描かれていきます。
いかなる独裁者も、その言葉を忠実に聞く人間がいてこそ成り立つものだなぁ~と、つくづくと感じさせられます。
なにか抗いようもない因果が幾重にももつれて、外敵と戦うまえに内側から崩れていく様・・・現代における中間管理職の人事マネジメントにも通じるものがあるな~なんて、かつての自分を思い出しつつ・・そんな伏魔殿でもがく村重を応援してしまうのでした。
推理ミステリー部分についてはあえて触れませんが、それら4つの架空の事件の謎解きから、村重の史実にまつわる「なぜ?」につながってきます。
推理ミステリーも歴史ミステリーも結構ハッキリ著者流の解釈を提示してくれて、読後感も爽快でした。

ここからは、そんな著者の歴史解釈を私の1見解として読み解きます。
本作の核心を読み解くにはまず、戦国時代の死生観を考える必要があります。以前読んだ和田竜さんの戦国時代小説にこんな一節がありました。
「この時代、人の命は紙切れよりも軽かった」
それは何も戦乱の時代だからという事だけではないでしょう。
現代、たびたび医療崩壊が騒がれていますが、戦国時代にそもそも医療体制はありません。
あるのは針灸と薬草と祈祷ぐらいのもので・・。
盲腸になっても死ぬ世の中で、今日生き延びたとしても明日の命の補償などありません。
そんな時代背景があって、戦国武将は人の命よりも、家名やら、武功やらを残すことを大事にしたのでしょう。
そのために妻子をー道具にして他人に売り渡すことも、
戦国武将なら誰しもが当然のこととしてやっていたことです。
それを糞というのは現代の命の保証された世の中の価値基準があってこそで。
しかしまた、そんな時代でも死に対する恐怖はあったはずです。
死に対する恐怖を和らげるために、宗教の始祖たちは様々な方法で極楽・天国の存在を説いていったのでしょう。しかし、そんな始祖たちの思いとは離れたところで、その解釈は捻じ曲げられ、「死は怖くない=死を恐れない」狂戦士の育成に利用されるのも、またいつの時代も同じです。
 荒木村重もそんな戦国時代における一般的な武将とたがわず、がむしゃらに家名を上げようと生きていました。お家のために家族も売り、何度も主君を裏切り・・。しかし織田を裏切り籠城してから、急に人を殺さなくなります。それもまた家名を上げるための戦略だったのでしょう。
後世から俯瞰で観れば、なんとも脈絡のない不可思議な行動に思われた村重の「なぜ?」の裏にあったのは・・
あの時代を懸命に生きようともがいた末の、失敗だったのではないか・・。
妻子を見捨てた糞ヤローと思われがちですが、そもそも村重の妻子を処刑したのは信長です。
にもかかわらず、今なお、信長を神格化して崇める大人たちが多いのはなぜでしょうか?
そこにあるのは、現代にも脈々とはびこる勝者の理論ではないでしょうか。米澤さんは、そんな勝者の理論に「待った!」をかけているのではないか・・と。
私は思ったのでした。
そして、戦国の世にも命を尊ぶ心はすくなからずあったはずだ、と結ぶラスト。
米澤さんの温かみある戦国時代死生観。いいじゃないですか!

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