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「冬のひまわり」五木寛之 読書感想

初版 1988年8月 新潮文庫

あらすじ
山科の旧家の娘遠野麻子は短大をでたあと、24歳で平凡な小学校教師と結婚した。
それから6年目の夏、彼女は鈴鹿サーキットで、イタリアから帰国したばかりの昔の恋人森谷透と劇的な再開をした。以後、麻子と透は年に1度、二人が初めて出会った鈴鹿で、オートバイの耐久レースを見るだけの逢瀬を重ね、7年の歳月が経ったのだが・・・
(新潮文庫表紙裏より)

実は麻子は16歳で20歳の透と鈴鹿で出会い、以来、37歳まで
毎年1回8月に鈴鹿8耐を観に行き続ける話。
あまり細かいことは描かれない。
結構短い短編に近いものの中で、20年に及ぶ歳月がざっくり端的に描かれていく。
どうやら出会った翌年にはそれなりに「お付き合いしている」関係だったようだが
麻子20歳、透24歳の時、透がデザインの勉強のためイタリア留学をすることになり
破局。それでも麻子は毎年8月には鈴鹿に行き続ける。
24歳で別の男と結婚しても、毎年1回、8月には鈴鹿に通い続ける。
いつも同じ場所で、レースというより海を見ている・・・。
そして麻子30歳の時、8月の鈴鹿で34歳になった透と再会する。
別に不倫するわけではない。
ただ鈴鹿でレースを観て、少し言葉を交わすだけさよなら。
翌年もお互い約束するでもなく8月の鈴鹿にやってくる、ただそれだけ。
翌年も翌年も約束もなく8月の鈴鹿のメインスタンドの最上階の同じ場所で会うだけの関係をつづけ・・・
41歳の透はふたたびイタリアに行くことになり…さてどうなる。
という話。

携帯電話のない時代にしか成立しない情緒がある。
あまり心情描写もないから、この情緒が分からない人には
なんのこっちゃ、古めかしい時代劇のように思え理解不能かもしれない。
麻子の旦那も、麻子が毎年8月に鈴鹿に出かけていく背景に男の影があることは
感じているわけだけれど、特に止めさせようとはせず、自由に行かせるわけ。
実はこの旦那の境地にこそ本作の核心があると思うのだけど・・・
今となってはこういう感じを描いた作品なかなか無いから、
希少価値もあるし
私はこういう、恋愛ものといえるかギリギリの、やもすると独りよがりなセンチメンタリズムとも言われかねないところ、心情表現極力排して情景描写でサラッと描いたもの、大好きなんです。

「人を愛することと、人と生活するということは違うことのような気がするんだよ。純粋に愛し合っている人間同士が、長くいっしょに生活していくなんてことが、果たしてできるだろうか。私はできないと思う。だから私は麻子とのあいだに、それと違った別のものを、長い時間をかけてつくっていきたい」
麻子の夫、良介の言葉より

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