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謙虚さとは何か?

「能力と知識において賢くある秘訣は、
 謙虚でいることである。」
                  アーネスト・ヘミングウェイ

外銀でバリバリと働くすごい先輩から頂いたハーバードビジネススクールのビジネスレビュー”How Will You Measure Your Life?”という本の中に、「謙虚であることを忘れてはならない。」という一文があった。

謙虚とはどう言う意味だろう。

以下のwebサイトには、「心を空っぽにすること」にすること、と書いてあった。

心を空にする、というのは瞑想することと同じで、孔子の論語と対をなす「老荘思想」から来ている。これは東洋の哲学の根元につながっている。

つまり自我を中心に据えるのではなく—己ばかりのことで頭をいっぱいにせず—-心を空っぽにして、他者を感じることができるようになる状態を言うのだと思う。

これは非常に東洋的な価値観であるが、一方の西洋における「謙虚」の価値観とは一体どのようなものなのだろう。


Humilityという言葉の語源は、とある和文webサイトでは「腐葉土」とある。※注

更に元の語源を辿ると、印欧祖語の「地球」(*dʰéǵʰōm ("earth"))という言葉が出てきた。

https://www.wordsense.eu/humilis/

謙虚であることは、地球の一部になること、地球に還ることなんじゃないかと思う。

己を愛し、己をよく知ることで、ようやく人は自分を中心に置かず他者のことを考えることができる。
他者を思うことができれば、この地球の一部になることが出来る。

その境地に辿り着くことは非常に難しいが、人は生きていくうちに必ずどこかでその重要性に気づくと思う。

自分を見てほしい、自分を愛してほしい、誰かに存在を認められたい、と強く思うほど、謙虚であることと乖離していき、欲の塊になっていく。千と千尋のカオナシのようになってしまう。

資本主義社会は欲と羨望を刺激するシステムであり、その価値観だけに囚われて生きているといずれ人は心に限界を迎える。

本当の意味で心を空にするということは、己の価値観軸で生きる境地、他者に振り回されず、自分が大切にすべきことを見つけたときに初めて達成されるものである。

本当の自分の軸で生きたとき、きっと初めて人は他者に対して謙虚な姿勢で心から他者のことを慮って接する事が出来る。

自分のことがわからなければ、相手のことなんてもっとわからないに決まっている。

それはへりくだって他者のいうことを何でも聞きます、ということではなく、私自身も、あなたのことも全部尊重し、あなたから学ばせていただきますという姿勢なんじゃないだろうか。

謙虚でいることができれば、すべての人から学びを得て、それを自分の大切な人や社会へ良いものとして還元する事が出来る。

謙虚でいることができれば、人へ恩返しするために何が出来るのだろう、と一歩引いて物事を考えることができる。

お金持ちであるとか、勉強ができるとか、綺麗でいることが資本主義社会では重要視されているが、本当に人生で大切なのはきっとこういうことだろう。

だから謙虚であることは、東洋でも西洋でも、時代を超えて大切と言われる価値観なのだと感じた。

自分は果たして謙虚な姿勢でいることが出来ていただろうか、いや全然出来てないな。

自戒を込めてこれを書き残す。



※注(引用とか注釈のルール忘れたから適当で申し訳ない)
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http://jk4kea.sakura.ne.jp/yssk/afpy-data/kenkyosatoiu-kouhuku.htm

以下、一部引用:
謙虚な人は幸福である。
「謙虚=humility」という言葉の語源は、ラテン語の「humilis」から来ている。それは「腐葉土」という意味だ。謙虚さを失わなければ、私たちは豊かな土壌からいくらでもお恵みを得ることができる。


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