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嫌っていたはずのふるさとばかりが浮かんでくる

私はふるさとが嫌いだ。

最近までははっきりとそう思っていた。

でも、今、ふるさとが本当に嫌いなのか、分からなくなってしまった。


私は九州の田舎で生まれ育った。田舎と言っても、私が住むまちは県庁所在地だったので、よくテレビで見るような秘境とは全然違って、よくネットで揶揄されるような休みの日にはとりあえずイオンに行くような街だった。

それでも、車で少し行けば、海も山もあって、何もないけど、自然豊かなところだった。

私は高校生までをこのまちで過ごし、高校卒業後に首都圏に出てきた。あと数年で、ふるさとで過ごした時間と首都圏で過ごした時間が同じになる。同じになると言っても、ふるさとで過ごしたのは子どもの頃だけなので、私は首都圏の方が土地勘があるし、ふるさとよりも関東の方が詳しい。

私は絶対に子ども時代には戻りたくない。
私はひとりっ子で、大人に囲まれて育ったせいか、幼稚園に入ったときに、「セーラームーンになりたい」と言っているクラスの子たちを見てびっくりした。大人になった今では、夢があって微笑ましいのだけど、当時の私は、幼稚園児にしては現実的で冷めていて、周りとの温度差が大きすぎて、同年代の子どもたちと遊ぶことが苦痛でしかなかった。だから、幼稚園で、お外で遊んで来なさい、と言われるのが嫌でたまらず、とにかく、幼稚園時代は、泣きまくっていた。
そして、小学生の頃に、自分は集団行動が苦手だと知り、将来は組織に所属しなくとも1人で生きていけるように資格を取ろう、そのために勉強をしよう、と考えるほどだった。
中学受験をして、地元の中学以外の中学へ進学し、さらに、その中学の大半の人が進学する県立高校へは行かずに、全寮制の私立高校に行った。
大学は首都圏だったので、私には、幼馴染というものがいない。進学の都度、人間関係をリセットしてきたのだ。

ひどいいじめに遭った、とかではなかったけれど、とにかく、学校における人間関係が苦手だった。仲の良い友だちもいたし、中学や高校では、友だちも多い方で、いつもグループ行動したりしていたが、それは、かなり無理をして周囲に合わせていたにすぎない。

また、田舎特有の周りの干渉も嫌だった。すぐに「〇〇さん家のお子さんは〜」と噂が広まる感じが嫌だった。

だから、高校卒業後、首都圏に出てきたときには、ものすごい解放感を覚えた。周りの人たちが自分に興味関心がない!なんと自由で素晴らしいことか!と。

そういうわけで、私は子ども時代には戻りたくないし、私の子ども時代は、イコールふるさとでの生活なので、私はやっぱりふるさとにも絶対に戻りたくない。

だから、私はふるさとが嫌い、いや、大嫌いなんだと思っていた。

そんな私も母になり、息子が1歳になるかならないかの頃から、寝かせつけのときには、抱っこではなく、ベッドに寝かせて、童謡を歌ってあげるようになった。

そして、ある日、気付いたのだ。

私は、童謡を歌うとき、必ず、ふるさとを思い出しているということに。
いや、私の脳は、思い出すという作業すらしていない。
勝手に浮かんでくるのだ。

あれほど嫌っていたふるさとが、まるで、子どもの頃の懐かしい思い出のように、良いイメージを伴って、浮かんでくるのだ。

それはきっと息子が生まれて、人生を俯瞰して見られるようになったからなのかもしれない、と思う。

私という視点からだけ見たふるさとは息が詰まるようなものだった。
でも、私のふるさとで過ごした日々、つまり、子ども時代を俯瞰して見れば、大好きな祖父母もいて、事あるごとに「お祝い」と称して親戚が大勢集まったり、海や川で釣りをしたり、山で昆虫採集をしたり、豊かな自然でたくさん遊んで、間違いなく、暖かく恵まれた子ども時代を過ごしているのだ。

そうか。

息子を思うとき、私が与えられた愛情もまた蘇ってくるのだろう。

可愛い息子に向ける視線は、きっと、私が昔向けられた視線なのだろう。

だから、あれほど嫌っていたふるさとが、童謡に乗って、暖かく愛に溢れた思い出として私の心に投影されるのだろう。

もしかすると、息子を連れて、私が生まれ育ったところを歩いてみれば、子ども時代を過ごした見慣れた景色も、また違う視点で見ることができるかもしれない。

もしかすると、違う視点で見たふるさとは、もっともっと良いものなのかもしれない。

今は遠きふるさとを息子を連れて歩きたいと思っている私は、もうすでにふるさとを嫌いではないのかもしれないなぁ、とも思う。


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