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同じ桜を見ていても

「花は毎年忘れずに咲いてくれるねぇ」

祖母が言った言葉だ。

私が小学校に入るか入らないかの頃、当時、80歳くらいの祖母が桜を見ながらそうつぶやいた。

私はその頃は桜が綺麗だなんて思ったことはなかった。
ただ、祖父母やいとこたち、親族が大勢集まってする花見が楽しみだったから、桜の季節は大好きだった。
でも、花見をしていても、子どもたちは遊ぶことに忙しく、肝心の桜は全く目に入っていなかったように思う。

小学2年生の頃、詩を書くという授業があった。小学校の周りを散策して、そのあと、詩を書くという授業だった。
私は、「花が忘れず咲いて いい気持ち」と、花を題材に、祖母が言っていた言葉を詩に書いた。
今となっては全文は思い出せないのだが、とりあえず、これまでの人生における詩の最高傑作はこの詩だ。担任の先生が絶賛して、学級だよりに載せてくれて、そのあと、何かのコンクールに出されて入賞した。

だから、桜に何の感慨もなかった子どもの頃の私にとっても、冒頭の祖母の言葉は、詩にするほど印象的だったのだろう。

それから私が小学4年生の春にも祖母と一緒に桜を見た。
でも、そのときは、祖母は外で花見ができないほどに弱っていて、車の中から桜を見ただけだった。
そのときにも祖母は「花は毎年忘れずに咲いてくれるねぇ」と言った。
私は、後部座席に祖母と2人で並んで座っていたが、窓越しに桜を見ながらそうつぶやく祖母の後ろ姿が今でも目に焼き付いている。

それが祖母が見た最後の桜だった。

私が小学5年生の春、桜が咲く頃に祖母は旅立って行った。
祖母が亡くなった日は、年によっては桜が満開の年もあるのに、その年はまだ桜が咲いていなくて、春なのに、寒く冷たい雨が降っていた。祖母がいない初めての春はよく雨の降る春だった。
その年に桜を見た記憶はない。

それから月日が流れ、「花は毎年忘れずに咲いてくれるねぇ」と言った祖母のいない10代を過ごした。

憧れの学校に入学したり、憧れの先輩から第2ボタンをもらったり、卒業式では歌が歌えなくなるほど泣いたり、嬉しいことも悲しいこともたくさんあった10代の春なのに、そのときどきに、桜は咲いていたはずなのに、私の思い出の中に桜はまったくない。

私は高校生の頃に、80歳にもなって「花は毎年忘れずに咲いてくれるねぇ」と言った祖母を思い、花が毎年咲くことは当たり前で、80回もそれを経験しているのに、花が咲くことに感動できる祖母はすごいなあと思ったことを覚えている。祖母はピュアな人だったから、祖母らしいなあとも思った。

そうして、桜の記憶のない10代を終え、私も20歳になった。

20歳になって初めて桜を見たときに、ふと、「満開の桜、あと何回見られるんだろう?」と思った。
最大でもあと80回くらい。なんだか、それがものすごく少ない回数に思えた。80年ではなく、80回。春は最大でも80回しかやってこない。

そのとき、目の前の桜が、突然、ものすごく美しいものに変化した。
いや、変化したのは桜ではない。私の方だ。
そのとき、私は「桜を美しいと思える人間」に変化したのだ。

そして、知った。

祖母が「花は毎年忘れずに咲いてくれるねぇ」と言った意味を。

初めて祖母からこの言葉を聞いたのは、祖父が亡くなった頃だ。当時、祖母も肺が悪く、入退院を繰り返していた。酸素ボンベもしていた。年々弱っているのが子どもの私にも分かるくらいだった。

だから、祖母は、あのとき、ただただ、桜が咲いていることに感動していたのではなく、あと何回この桜を見られるのだろうか、という気持ちがあったのではないだろうか。

花は毎年忘れずに咲いてくれるけど、私はこの花をあと何回見られるのだろうか、と。

そして、2回目に祖母が「花は毎年忘れずに咲いてくれるねぇ」と言ったとき、それが祖母にとっての最後の桜だった。あのとき、祖母はもう車から降りて桜を見ることもできないほどに弱っていたから、祖母も、来年の桜が見られないことは分かっていたはずだ。

このことに気付いたとき、私は泣いた。

あのときの祖母の後ろ姿が目に焼き付いている理由も、そのときに初めて分かった。私も、祖母と見る桜がこれが最後ではないかとどこかで薄々気付いていたのだろう。
でも、それを認めたくなかった。
だから、祖母は桜が毎年咲くことに感動できるピュアな人だということ以上に、祖母の言った言葉の意味を考えないようにしていたのかもしれない。

それから、夢破れた春も、努力が報われた春も、着慣れないスーツを着て押し潰されそうな満員電車に揺られた春も、恋心とともにあった淡い春も、病気を乗り越えて生きていて良かったと涙した春も、名字が変わった春も、お腹の中の新たな命とともに迎えた春もあった。20歳からのどの春の思い出にも桜の思い出がともに刻まれている。

桜が咲くと、私は「ばあちゃん、今年も忘れずに桜が咲いたよ。ありがとう。」と心の中で祖母に語りかける。

桜が咲くと、あの優しい祖母の眼差しや声が蘇ってきて、祖母が今でも近くで見守ってくれていることを実感する。

桜が咲くと、こんなにも美しい光景が見られるなんて、生まれてきて良かったなあ、と思うと同時に、今年もまたこの美しい光景が見られて良かったなあ、と生きていることに感謝する。

2021年、私は母になって初めて桜を見た。大切な大切な息子を抱いて。

私もいつか「花は毎年忘れずに咲いてくれるねぇ」と言えるおばあちゃんになりたいなあと思った。

そのとき、私もいつの日か、あのときの祖母と同じように、これが最後の桜かもしれないと思いながら桜を見る日がくるということに気付いて、まだ桜も分からない生まれて半年の息子の顔を見て、泣きそうになった。

それから、すぐに、今は抱っこされている可愛い可愛い息子がおじいちゃんになって、子どもたちや孫たちに囲まれて花見をしているところが思い浮かんだ。泣きそうになってギュッとつむっていた私の口元はいつの間にか緩んでいた。

もしかしたら、祖母も、これが最後の桜かもしれないと思う一方で、隣にいた私はこれからも桜を見るだろうということに思いを馳せていたのかもしれない。
もしかしたら、大人になった私が桜を見ている姿を想像していたのかもしれない。
だからこそ、あのとき、祖母はこれが最後の桜かも、なんてことは一言も言わなかったのだろう。
祖母にとっては最後の桜でも、子や孫たちにとっては、これからも毎年忘れずに咲いてくれる桜なのだ。

今年もまたあと2ヶ月もすれば桜が咲く。

いや、たぶん、咲いてくれるだろう。忘れていなければ。

もし、今年も桜が忘れずに咲いてくれたなら。

ばあちゃん、今年も忘れずに桜が咲いたよ。
ばあちゃんのひ孫は、去年は抱っこされていたけど、今年は元気に桜の下を駆け回っているよ。
命を紡いでくれて、そして、いつも見守っていてくれてありがとう。

私はきっとそう心の中で祖母に語りかけるだろう。

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