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ルイボスティーなんてどこで覚えたんだろう

ルイボスティーを飲みながら、ふと、そう思った。

同時に、知らない間に大人になって、知らない間に都会の暮らしにもすっかり慣れてしまったな、とも思った。

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高校卒業後、九州の田舎から首都圏に出てきて、もう15年になる。もうすぐ田舎で暮らした時間とこちらで過ごした時間が同じになる。

私の初めての首都圏での生活は横浜で、横浜に出てきたとき、私は浪人生だった。だから、横浜に出てきた理由は進学ではなく、両親の仕事の都合だった。
横浜に行くことが決まったとき、知らない土地での生活に不安を抱える両親をよそに、私はワクワクが止まらなかった。横浜に行くと言っても、浪人生だから、やらなきゃいけないことはもちろん勉強で、遊んでる暇なんてなかったけれど、それでも、九州で感じていた閉塞感を打開できるようで嬉しかった。

知らない土地で、知らない人しかいない生活は、私にとってはとても快適なものだった。私は田舎のしがらみが嫌でたまらなかったから。

そして、首都圏に来て、世界はこんなにも広かったのか、と驚きもした。
私のいた田舎では、勉強ができる子のほとんどが医学部志望だった。田舎で「立派な職業」といえば医師くらいしかなかったから。
私も子どもの頃から勉強ばっかりしてきたので、例に漏れず、私も医学部志望だった。よく考えもせず、周りの大人たちにそう誘導された結果だったように、今になってみれば思う。

しかし、首都圏には様々な職業が溢れている。

19歳の私は、なぜか、大桟橋からみなとみらいを見ながら、「あー、世界はこんなにも広かったのか」と実感したし、ランドマークタワーを見上げながら、私もこの世界で上り詰めてやる、と決意を新たにもした。

それから、結局、私は、ふと思いつきで見学に行ったところで、私はこの仕事がしたい!と猛烈に思って、あっさりと医学部受験を辞め、文系の全く異なる分野に進んだ。

そうして進んだ大学時代は、「あれ?どこから来たの?」とよく言われた。標準語を話しているつもりでも、やはり訛りが残っていた。

私は子どもの頃からジュースやスポーツドリンクなどの甘い飲み物しか飲めなかった。水もお茶も飲めなかった。だから、大学の頃も甘い飲み物ばかり飲んでいた。

この頃だってルイボスティーなんて飲めなかった。

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それから就職しても、やっぱり甘い飲み物ばかり飲んでいたから、上司に「若いからまだいいけど、そんなものばっかり飲んでいると糖尿病になるよ(笑)」と言われるほどだった。

就職してからは、仕事終わりに、銀座や有楽町、神楽坂なんかで飲み歩くようにもなった。大学までは飲めないと思い込んでいたお酒も、飲んでみれば実はものすごく強かった。

休みの日もよく東京で遊んだし、美味しいお店にも詳しくなったし、九州ではほとんど乗ったことすらなかった電車での移動は当たり前になったし、田舎より東京の方が運転しやすいとすら思うようにもなった。

同じ頃、「私、九州出身なんですよ」と言うと驚かれるようになった。知らない間にすっかり訛りは抜けていた。

就職して数年後に、九州の親戚が東京に来て、久しぶりに親戚が大勢集まったことがあった。
そこで、九州から来た従姉妹に「九州に戻りたいと思わん?」と聞かれた私は「絶対、帰りたくない」と即答した。
あとから、父に、「従姉妹、悲しい顔してたよ。あんな言い方しなくても。」と言われた。
でも、私は、田舎には絶対に帰りたくなかったし、こちらの生活に慣れていて、もはや田舎で生活することなんて想像すらできなかった。

この頃だろうか。

ルイボスティーを飲めるようになったのは。

たぶん、ルイボスティーを覚えたのは、東京のカフェだと思う。

たぶん、ルイボスティーが何なのかよく分からなかったけれど、すっかり大人になって、都会にも慣れたような気がして頼んだんだろう。

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息子が寝てから、1人でホッと一息ついて、ルイボスティーを飲みながら、なぜかそういうことを一気に思い出した。

私は、大人になって、都会にも慣れたことで、なにか失ったものもあったのだろうか、とも思った。

大人になって、都会にも慣れたことで、失ったことすら忘れているようななにかが、もしかしたら、あったのだろうか。

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去年、九州にいる従兄妹と電話で仕事の話をしていたときに、「あぁ、私は世間擦れしたなあ」と思うようなことがあった。

従兄妹は同い年なのに、ものすごく純粋で、心から人を信用しているといった感じだ。少年のまま、大人になっている。

一方の私は、仕事柄もあって、人生や世間の影を知りすぎたように思う。そうして、良くも悪くもすっかり大人になってしまったように思う。

私がルイボスティーを覚えたのと引き換えに忘れてしまったものは、童心かもしれない。

はっきりそうとは言いきれないけれど、もう思い出すこともできないような私の中にあったなにかを失ってしまったような感覚だけは感じられるのだ。

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