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平成私生児Part4(家族とは、他人にはなれない、最悪の敵である)



母に言われたことがある
「あんたは自分が全くない」と。

当時、私は母に合わせることで精一杯だった
母を通しても、いつ何が起きても
自分の本心があやふやで
母にとってベストな答えが自分の本心だと思っていた

そんな中、母がこう言う
「お父さんがあんたを殺したいって。
態度、気をつけな」

その一言で
自分なんてものは完璧に消え失せた
何が悪いのかさえ分からなくて
「はい」と言い続けていこうと決めた

だけど、そんな親子関係じゃ周りから怪しまれる
だから機嫌が悪くならない程度の
ワガママや反抗を探り探りみつけ
一緒にテレビを見ればちゃんと笑い
仲のいい家族の演出に参加した。
はたから見たら、仲のいい家族である事に
義父も母もこだわっていたから
私の同級生などど遭遇しそうな場所では
優しく良い親を演じていた
それも不思議なことに、本人たちから演じているという意思は感じられず、なんというか…
とても不気味なものであった。

義父は以前も言った通り、私の事が大嫌いであり、気持ち悪い存在だと思っている。
それに気づいていても、父の日には母が言う通りにプレゼントをしたし、誕生日も祝った。

義父と母は小学生の時に離婚したのだが
その際、母はずっと義父の悪口を言い続けていた。だから母が正しくて、義父は悪者だと思っていた。
それが気に入らなかったのか、そもそもずっとそう思っていたのか義父は、私を殺したいと言ったのだと母から言われた。

私の自尊心は少しも残らず
小4の時からずっと早く死ねますようにと
満月の夜に願うようになった

(:満月の夜に願い事をすると叶うと
同級生に教えてもらったから。)

だけどその気持ちさえも否定するように
母は、「もう死にたい」「私が死んだらあんた達はどうなるだろうね」「自殺方法って調べてた」と言う。
母を支えたい、癒したい、生きたいと思って欲しい、その為にはどうしたらいいのか、私には何ができるのか、私が母の生きる理由になりたい。
自分が死にたい、悲しいと
思うよりも先に母の幸せだけを思っていた

それでも
私を置いて弟だけを連れ家族旅行へいく
その時に
"みんなまとめて事故にあって死ねばいい"と
"頼むから死んでくれ"と思うようになったのは
母に「お父さん、私のこと殺したいって言ったんでしょ、その時なんて返したの?」
と聞いたら
「あの人は優しい人、そんなこと言うわけないでしょ。」と言われたからだ。

数年ぶりに母の前で泣き
「え、お母さん言ったじゃん、態度に気をつけろって言うから頑張ってたのに。
もうなんにも、誰も…お母さんも信じれない」
と泣き叫んだ
「あんただって私の事信用してないでしょ」
と冷たい表情と声で言う母に
母性の欠片も見つけられなかった

その時、家族というものは私の中から消えた
「絶対に他人にはなれない、最悪の敵」
という存在に変わった。

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