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お母さんせめて名前で呼んで


「◯◯ちゃん」「◯◯」

親から名前で呼ばれている子どもがとても羨ましい
もっと言えば、"ちゃん付け"呼ばれているとなお羨ましい
なぜなら、大切に大切に育てられた異父弟が
"くん付け"で呼ばれているから
(中学生になった今も"君付け"で呼ばれている)

ちゃん付け、君付け=大切にされている
という認識になってしまった。
(これは私の歪んだ憧れなので、気分を害されたら申し訳ないです。)

付き合いたい男性の条件では
「自然にちゃん付けで呼んでくれる」がこっそりNo.1だった
もちろん、TPOに合わせて呼び捨てや、さん付けの方が正しいなら全然それでいい
だけどデートの時や二人だけの時は"ちゃん付け"で呼んで欲しいという願望が今も消えずにある

母からは「あんた」養父からは「こいつ」
異父弟からは「おまえ」

私にだって名前があるのに
読んで欲しいのに
異父弟は◯◯くんと呼ぶのに

夜中に泣いてしまうほど悩んでいた

だから、3歳の頃には
家の近くのコンビニの店員さんに「◯◯だよ」と
突拍子もなく自己紹介をしていた
何回も通うものだから、コンビニの店員さんは「◯◯ちゃん」と呼んでくれるようになった
すごくすごく嬉しかった
そのコンビニは家族経営をしてたから、お姉さんからお姉さんのお父さんまで「◯◯ちゃん」と呼んでくれるようになり、この人たちが家族だったらいいのになぁと思ったりした

名前のエピソードでいうと
小学生の頃の難題、「私の成長記録」を発表する授業。
・妊娠した時どう思ったか
・名前の由来
・どんな子に育って欲しいか
・親子で似ているなと思うところ
など、色々と母に聞かなくてはいけなかった

ショックを受ける予感がしていたので
この中から、1番気になった「名前の由来」を聞いてみた

母の答えは「簡単だから」だった

確かに私の名前は平仮名でとても覚えやすい
けど可愛いねって言ってもらえる事もあったから
唯一自慢できる所だった

もう仕方ないな  と思った記憶がある
心なんて臓器ないのに
なぜかヒンヤリとしてツンとする痛みを感じた

「確かに簡単だもんね、みんなにすぐ覚えてもらえる」と言って自室に戻り、静かに泣いた

学校のプリントには「いくつか候補があってすごく迷ったけど、とっても可愛くて私に似合うと思ったから」
なんて素敵な言葉を書いて発表した

私の理想に埋め尽くされたそのプリントは
私の暗さと比例していた


いつしかキラキラネームが流行った時も
「こんな名前付けられて可哀想」や
「親のエゴ」などといった態度をとっていた
けど内心 羨ましくて仕方なかった
もちろん、キラキラネームにも上限があるけれど
「一生懸命 親が考えてつけてくれた名前」
ということに価値を感じていた

このあたりで、私は人を見下さないと自分を保てないんだなと気づいて鬱になってしまった。

(話が逸れてしまうのでまた今度 中学生の時に鬱になった話をしたいと思います)

少し遡り6歳の時の話
私も異父弟みたいに◯◯ちゃんって呼んで欲しいと
母に伝えたくて、でも拒否られるのが怖くて
一人称を「わたし」から「◯◯ちゃん」に変えてみよう作戦を決行した
すると母は心底嫌な顔をして
「キモイから自分の事を名前で呼ぶのも、それにちゃん付けするのもやめろ」と言った

分かってはいたけど、かなしかった
異父弟の一人称は◯◯くんでもなんにも言わないのに

そんな歪んた私の「◯◯ちゃん」と呼んで願望は
結婚するまで続いて
もちろん主人は「◯◯ちゃん」と呼んでくれるを選んだ


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