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正味の言葉を伝える

    昔、朝から晩まで、念仏ばかり唱えている老婆がいた。人は彼女のことを念仏婆さんと呼んだ。ある日、生縁が尽きて亡くなる。お通夜に供養に来た人々は口々に、あの婆さんは必ず極楽に行くに違いないといった。ところが亡くなった婆さんは、死出の旅路をとぼとぼ歩いていると、一番恐ろしい閻魔大王の前に立たされた。大王は婆さんを一目見るなり、「この婆あめ、お前は地獄行きじゃ」と大声で怒鳴りつけたのだった。青鬼や赤鬼が現れて、この婆さんを地獄の門に引き連れていこうとした。ばあさんは、必死になって抵抗し、抗議した。「私は念仏婆さんと世間の人から言われてきた者です。ここに荷車で運んできた沙婆で、私が唱えてきた念仏の粒を積んで持ってきました。確かめて下さい。」と。閻魔大王は、「そうかな。私の目に狂いはない。まあ証拠の品物をわざわざ持参してきたならば、今一度再点検してやろう。」と言った。鬼たちは命じられて婆さんが持ってきた念仏の粒を片っ端から、唐箕でふるいにかけて調べた。念仏はカスばかりであった。唐箕から落ちる粒から、色んな声が聞こえてくる。「隣の婆さんは憎たらしい。南無阿弥陀仏」「嫁が可愛くない。南無阿弥陀仏」「長生きして悪いところばかりじゃ。南無阿弥陀仏」「ちっとも願いがかなわない。南無阿弥陀仏」「嫌な事ばかりじゃ。南無阿弥陀仏」などと言った声が。閻魔大王はますます怒り出す。「お前の念仏はみなひも付きじゃな。ろくなもんじゃない。やっぱりお前は地獄に行け。」しかし、そのとき鬼が閻魔大王に申し上げた。「閻魔様、一粒だけ残りました」「なに、一粒残っただと。その一粒を点検せよ」調べた結果、判明したのである。ある夏のこと、ばあさんがお寺にお参りに行った。その途中、ー天にわかにかき曇り、雷が鳴り出した。婆さんは大の雷嫌い。お参りもやめて帰ろうとしたら、雷がドドドーとー大音響とともに落ちた。その時、婆さんは「南無阿弥陀仏」と叫ぶと気を失った。そのときの念仏は、正味の念仏であった。立った一粒でも真実ならいくら閻魔様でも地獄に行かせるわけにはいかない。粋な計らいで、「婆さんを極楽に案内せよ」と鬼達に申し伝えた。聴衆はシーンと聞き入ったという。
    この婆さんの一粒の念仏を私たちは一笑に付していられるだろうか。もう過去のことを言うまい。でもこれから一日、明日はもう会えないつもりで、正味の言葉を人に伝えたい。まず心から、「おはよう」「ありがとう」と正味の言葉を伝えよう。
    苦しさを加速させるのは早く帰って休みたい、と気が焦るからである。いくら焦っても、目前の一歩の積み重ねが目的地に着く不可欠な一歩ではないのか。もう先を考えず、「一歩一歩」と念仏のごとく唱えて登ろう。先の一歩より、今の一歩が大事である。人と比べて焦りを感じるのが私たちである。問題は他人がどうこうよりいかに自分のペースを守るかである。


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