見出し画像

【短編小説】ベルスワースの貴婦人

「久しぶりに来てやったんだ。少しは愛想よくしろよ」
 リアンはガンガンと痛む頭を揺らさぬように視線だけを面倒な客へと向けた。
「愛想よくできるように頭痛薬買いに行っても良いか?」
 客は吐き捨てるように笑った。
「あんたの頭はヤバくなると都合よく痛みだす」
「いや、レヴィン。頭痛持ちにしかわかんねえんだ、この痛みは」
 客―レヴィンは事務所のデスクを思い切り叩いた。手伝いの女の子が小さく悲鳴を上げる。
「ヤツは顔を出したか?」
「ヤツって?」
「とぼけんな!2年前に裏切ってとんずらしたクライヴだよ」
 クライヴはリアンの巡回衛兵時代の相棒だ。
 密輸摘発の捜査中に隠れて張り込んでいた巡回衛兵の存在をばらし、混乱に乗じ取引の金品を奪って逃げた。現場は祝日の市場だったため民衆を巻き込み多数の犠牲者を生むことになった。
 あの日、事件の直前まで市場に漂っていた穏やかな日常の匂いはリアンにとって逆の意味で忘れられない臭い―裏切りの臭いとなった。
 そしてその時のチームの一人、現役巡回衛兵のレヴィンはクライブの追跡をまだ諦めてはいない。
「あいつが戻ってくると思う?」
「裏切者と半獣人ハーフ。何か裏があったとしても誰も驚かねえ」
 リアンは再び頭を揺らさぬよう慎重に視線を動かしてレヴィンを見つめた。
「やっぱだめだわ。頭痛すぎてなんも上手い事言えねえ。ごめんな」
「だれも上手いこと言えなんて言ってねえ、なめてんのか?」レヴィンは舌打ちし、薄暗い室内をしみじみと眺め言った。「港湾都市シストヴィクが誇る一条の雷光ストリーク・ライトニングがこんな汚ねえ場所で探し屋とはよ」
「陰で早引き野郎アーリー・リービングって言ってたろうが」
 レヴィンは嘆息した。
「ヤクザもんてのは関わり合うと損しちまうから誰も相手にしたくねえ。向こうは失うもんがねえからだ。だが俺はそんなやつらとも対等にやれる。両親は魔獣に襲われおっちんだ。家族もいねえ。こっちにも失うもんがねえからだ。それなのにお前と話すと俺が損してる気分になっちまう。お前はもう完全にヒトじゃねえんだと思うよ」
 レヴィンはリアンを苦々しい目でしばらく見据え、それから何も言わず踵を返すとドアを叩きつけ出て行った。


 巡回衛兵時代、リアンの剣の腕は評判だった。彼の使う剣のつか―稲妻をデフォルメしたヒルトのレプリカが作られるくらいに。だが、それ以上に偏頭痛持ちのせいで早退が多く、衛兵仲間の間ではいいとこ取りのお調子者と言われてもいた。
 無論、それはリアンの耳にも入ってはいたが痛いものは痛い。
「あの人嫌いです!たまにしか来ない割にいつも怒ってるんですもん!しかも部屋が汚いとかなんなの!?」
 黙って事務所の掃除をしてくれていたフィービィがレヴィンが出て行った途端、堰を切ったように不満をこぼし続けていた。
 可愛いらしい高めの声なのだが、矢継ぎ早のそれがまたリアンの頭に障る。
「フィービィ、少しだけ声のボリュームを下げてくれ」
「あら、ごめんなさい!」
 フィービィは事務所の大家の娘で時間がある時だけ小遣い稼ぎに来てくれることになっていた。
 年頃で感情の起伏が大きいが、仕事となれば空気を読むのが上手く。客の素性を見抜いて邪魔にならないように立ちまわってくれる。
「今日はいつもより酷そうですね」
 椅子にもたれかかって目を閉じ唸り続けているリアンを心配そうにのぞき込むフィービィ。
「薬は朝飲んだんだが、使用期限が過ぎてたせいか効かん」
「買って来ましょうか?頭痛薬」
 フィービィの問いかけと同時にノックがした。
「休むから断ってくれ」とリアンが言いかけた時には既に遅くフィービィはドアを開けていた。
「ごきげんよう」
 あまりにも美しい声と雪崩れ込んできた香水の香りでリアンは思わず顔を上げた。
 そのせいでズキズキと脈拍に合わせて頭蓋を内側から強烈に叩く様な痛みがリアンを襲い、再び俯く。
 客の女は戸口で値踏みするように事務所内の様子を確かめた。
 もっともほとんどの人間がその顔に浮かんだ優しげで可憐な笑顔に吸い寄せられ、そんな下品な視線は記憶にも残るまい。
 既に惚けた表情のフィービィ。
 その目の前に日傘が突き出された。
 フィービィの視線はその優雅な女のいでたちに固定されてしまっている。
 もう一度日傘がぐいと突き出されようやく我に返る。
「あ、も、申し訳ございません」
 慌ててフィービィがそれを受け取りどちら様かと尋ねる。
 だが女は柔和な笑顔を浮かべたままフィービィには一瞥もくれることなく黙って彼女を押しのけた。
「えと、あ、あの…お客様?」
 女はリアンが頭痛に悶えるデスクの前に立ち、そして天使を侍らせる女神もさもあらんというような慈愛に満ちた笑顔を浮かべた。
「うちの受け付けが名を聞いてるんだが」
 リアンはうつむいたまま唸るように言った。
 ここでようやく女はその表情を少しだけ固くした。
「失礼、私、ロージーと申します。半獣人ハーフと聞いていたけれど、全然見えないのね、素敵だわ」
 リアンは正確に言えばハーフではない。何代か前の見知らぬ先祖にアウルミル人―海の向こうから来た獣の民がいた。
 よく見れば少し毛深いが体毛が濃いヒトとほとんど変わらない程度だし、耳が短毛で覆われているが髪の毛で隠れているので初見で気づく者はまずいない。
「早速だけど依頼の件、お話してもよろしいかしら」
「ロージーさん」
「依頼料の事ならご心配なさらず。相場の倍出しましょう」
「お断りだ」
「…はい?」
「お引き取りを。大切な日傘は忘れないでくれ」
「あ、あのロージー様、リアンは本日体調が優れなくてですね…」
「お黙りなさい」
 ロージーはフィービィのフォローを一喝して退けた。
「出て行ってくれ」
「は?」
「フィービィはあんたの小間使いじゃないんだ」
「何をおっしゃっているの?」
「それと香水が臭すぎる」
「な、なんですって?し、失礼にもほどがあるわ!」
 ロージーはフィービィから日傘をむしり取る。
「このクソ獣人!」
 ロージーは勢いよくドアを叩きつけ出て行った。
「ドアも厄日かよ」
「かばってくれたのは嬉しかったですけど、だめですよ。お客様にあんな言い方しちゃ」
「いいの。ああいうのはそのうち私の大好きなフルーツを齧ったネズミを捕まえてちょうだい!とか言いだすのさ。俺は猫じゃねえんだよ。ちなみにこれ実話な」
「でもお金たくさん払ってくれそうでしたよ…」
「ごめんな。お給料少しで」
「もう」
 フィービィは苦笑しながら、デスクに伏したリアンに毛布をかけた。


 気づけば昼を大分過ぎていた。
 事務所のソファで横になっていたら、薬の効き目があったのか頭痛がわずかに和らいでいる。
 流石に走ると頭に響きそうだが歩くくらいならなんとかなりそうな痛みだった。
「切れる前に買いに行くか」
 フィービィはもう帰らせていた。
 リアンを心配はしていたが彼女が忙しい事は知っていた。とにかく働き者で一日中仕事をハシゴしている。
 リアンは立ち上がり、帯剣し、コートを羽織り身支度を整え外に出る。
 陽射しは流れていく雲に時折遮られるが概ね晴れだ。
 潮の香りと海鳥の鳴き声を風が運んでくる。
 シストヴィクのカモメは鳴き声が鋭い。
 いつもなら何事もない港町の象徴のようなもので悪いイメージはなかったが常人より感度の良いリアンの耳には少し耳障りでもある。頭痛の最中ならなおさらだ。
 メインストリートを薬屋に向かって歩くと中央広場に出る。
 泉を中心に整備され、月に一度、盛大な市場が開かれる。
 子供達の元気にはしゃぐ声。
 常設の屋台から香る様々な食べ物の匂い―裏切りの臭いが甦る。
 明るい表情を浮かべ往来する人々の中を、一人顔色を失くしたまま歩く。
「うせろ!ガキ!」
 突然、チンピラのただならぬ声が聞こえてきた。
 広場の東、ここから大分離れたその端の方―。
「だめだ。私は見たぞ」
 口調は大人びているが子供の声だ。女の子。10歳くらいとリアンは見当をつけた。
「あのなあ嬢ちゃん。鳥なんてどこにでもいるよな?そう目くじら立てんなよ」
 今話したのは最初の男とは別人。成人の呼吸音が近くにもう1つあるから3人組か。
「あんな鳥どこにでもいるものか。レキリスはタムアット河上流のベルスワースにしかいない鳥だぞ?私を子供だと思ってバカにしない方がいいな」
「やかましいガキだ。これ以上ついてきて騒ぎやがると痛い目にあうぜ?」
 男の声は本気だ。
「私は忠告してやっているのだ。国が捕獲を禁じている鳥など売れないぞ。取引相手に怒鳴り込まれないうちに返してもらうのだ」
「心配すんな。もう向こうの買い手は決まってんだよ」
「おい。余計な事しゃべんな」
「こんなガキに何ができる。それに誰も信じやしねえだろ。レキリスがこんなところで取引されるなんてよ」
「ほら、やっぱりレキリスではないか」
「口の減らないクソガキだ」
 男は手を振り上げた。
 それまで泰然自若と構えていた女の子もここにきてようやく身構えた。
「やあ、ちょっとすまん」
「ああ?誰だてめえ。こいつの親か?」
 リアンは途端しゃしゃり出てしまった事を後悔していた。頭痛以外に厄介事を自ら背負い込むとは。
「知り合いなんだ。迷惑かけたみたいで申し訳ない」
 男のうち2人は短刀だが1人は肩にクロスボウをかけている。
 リアンは少女だけでなく広場で遊ぶ子供も背負う位置取りだった。クロスボウ使いの射程に入ってしまう。
 2年前の惨劇が脳裏をよぎった。
 鼻腔に存在しない血臭を感じる。
「じゃ、そういうことで」リアンは強引に話を打ち切った。
「待て、こら」
「なんすか?」
「誠意が感じられねえんだよ。膝をついて、きっちり謝意を示せ。こっちは言いがかりつけられて迷惑したんだ」
「大げさだな」膝をつくのは高位の身分に対して用いる作法だ。城内でしか見た事がない。
「そのくらいの精神的な傷を負ったのよ、俺達」
 大人のリアンが介入したことで衆目の視線が集まり始めていた。
「ほらほら。皆さん見てるだろうが。早くしてくれよ」
 男達はわざと大声を張り上げ、面白がっている。
 リアンは肩をすくめ、あっさりと身を屈めた。
「そこまでにしておくんだ」
「今度はお前か。面倒くせえな」
 金髪で整った顔立ちの男が突然割り込んできた。
 その見た顔にリアンは頭を抱えた。頭痛が酷くなった気がする。
 アーネストだ。神官の息子で正義感にあふれ、トラブルには必ず顔をだす。
 街では人気者だった。
「お前達の言いがかりを通すわけにはいかないな」
「調子にのんじゃねえぞ、お坊ちゃん。痛い目に合ってからじゃ遅いんだぜ」
 男達が武器に手を伸ばす。
「バカ共が」
 リアンは呟き、素早く少女を抱え、そしてその場から急いで離れようとした。
 その時野次馬から歓声と拍手が起こった。
 振り返ると勝負は既についていた。
 アーネストは自慢の大剣を抜く事もなく、拳で3人の男を地面に這いつくばらせていた。
「さすがアーネストさんだ」
「かっこいいわ」
「頼りになるねえ」
 街の人々がアーネストを口々に讃える。
 アーネストがつかつかとこちらに歩み寄り「君の勇気は買うよ。でも無茶はいけない」と言いながらリアンの肩を叩いた。
 それが頭に響き、リアンは呻く。
 アーネストはリアンの背後に立つ少女に手を振ると満足気な顔で去って行った。
「私はあなたの判断の方が正しかったと思っている。おちこむな」
 そこにはリアンを見上げる少女の赤茶色に澄んだ瞳があった。
「私達の背後には群衆も子供もいた。あいつらを刺激しないよう自分一人が屈辱をのむ事で争いをおさめようとしたのだろう?」
「頭痛が酷くてな。座らせてもらうぜ」
 リアンと少女の目線が同じ高さになった。
「そうか。そのような状態で助けに入ってくれて礼を言う。私の名はエルシィ。あなたは?」
「リアン。お嬢ちゃん、何者だい?」
「私が子供に見えないか?どこにでもいる可愛らしいガキだろう?」
「あそことあそこと…それからあそこ。君の背後の方向にも」リアンは小さく指差した。「エルシィ。あの男達は君を監視してる。君がチンピラ相手に食い下がったのもいざとなればあいつらが何とかするとわかっていたからだ。そしてそう仕向けていた。可愛らしいガキのする事じゃない」
 エルシィは目を丸くする。
「目が利くのだな。あなたこそ何者なのだ?」
「しがない探し屋さ」
「本当に!?」
 エルシィは気のせいか少し嬉しそうだった。
「何故そんな危ない真似をした?」
「レキシスというベルスワースの貴婦人と呼ばれる鳥の名を聞いたことはあるか?」
「さっきあの男が売り払ったと言っていた鳥が?」
「言っていた?その話をしていた時はあなたは近くにいなかったはずだ」
 またエルシィは目を丸くする。クルクルと表情を変える様は歳相応に見える。
「アウルミル人の血が混じってるんだ。聴覚と嗅覚には少し自信があってね」
「いいな!すごくいい!」
「で?その鳥が?」
「うん。あの男達が取引する瞬間を見てしまったのだ。故郷の復興に必要な貴重な観光資源だというのに乱獲が原因で数が減っている。ヒトは美しく飛ぶ姿を見るより、あの羽で自らを着飾りたいらしい。だからあの場所で私が騒ぐことで男達が手を出せば私の監視役が巡回衛兵に突き出すだろう?そうすれば悪事が公になる」
「ふーん」
 素っ気ない返事はリアンが反射的に距離をおいてしまったからだ。とても10歳かそこらの子供が考えるような策略ではない。面倒事の予感がした。
「監視が4人もついてる子供は不気味だろう?だがなんてことはない。実はただの人質なのだ」
「人質?」
 思わず食いついたリアンにエルシィはニヤリと笑い、リアンはしまったと思った。
「ベルスワースのような田舎の領主が金を借りる時は信用が足りないのだと父は言っていた」
 シストヴィクの領主が地方領主に多額の金を融資したという話しはリアンの耳にも入っていた。
「ここの領主はケチで用心深いからな。金を借りられただけでも君の父君は優秀な方なのだろう」
「うむ。驚かれたり同情されたりするより数段良い返しだ」
 エルシィは満足気に何度か頷いて、それからこう言った。
「あの鳥を探し出してくれと言ったら受けてくれるか?」
 リアンはしげしげとエルシィを見つめた。どう見ても幼い女の子だ。
「…観光資源ね」
「そうだ。とても価値がある。依頼料をケチるつもりはないから安心してくれ」
「綺麗な鳥なのか?」
「ああ。陽の光を受けて飛ぶと色が青、緑、黄色に輝いて見える。羽根に色がついているからではないのだぞ。角度によって色が変わる。羽根自体がそういう構造に…」
「好きなんだな」
「晴れた日にタムアット河の煌めく水面みなもを滑るように飛ぶと虹がかかったように見えるんだ」
 少女は頬を紅潮させ遠い目をした。
 その眼差しは驚くほど大人びていた。哀しみが人を大人にするならば少女はいくつそれを越えたのだろう。
「探してどうする?」
「私の手で逃がしたい」
「もう死んでいたら?」
「弔いたい」
 エルシィの目は真剣だった。決して会話の流れにまかせ思いつきで話しているわけではなかった。
「報酬の話をしようか」
「受けてくれるのだな!」
 エルシィの顔が笑み崩れる。
「前金か?お金を用意するのでここでしばし待て」
「それじゃ、手掛かりが消えちまう」
 リアンは慎重に腰を上げた。
 だいぶ痛みは治まっていたが薬の効果が切れるのは時間の問題だろう。それまでの勝負だ。
「門限は何時までだい?」
「夕刻までだな」
「あまり時間はないな。じゃあ、その頃落ち合おう。ここの泉で」
「構わないがそんなにすぐ見つかるのか?何かあてがあるのか?」
 リアンは答える代わりに自らの鼻を2度指先で叩いた―嗅覚が全てだった。
「頭痛薬を買っておいてくれないか。クリアフ製のアンプル10本セット」
「病気なのか?」
「頭痛持ちなんだ」
「大変だな」
「報酬はそれでいい」
「え?海中種族クリアフ人の作る薬は確かに品質はいいし高価だが、依頼料としては安いのではないか?本当にいいのか?」
「ああ、毎日痛いわけじゃないからな。買いすぎると使用期限が切れちまう」
「いや、そういうことではなくてだな」
「じゃあ、お使い頼んだぜ」
「…うん。わかった」
 幼さを捨てざるを得なかったのであろう少女の素直な返事。
 リアンは自分に少しだけ微笑む余裕が出てきたことを知った。


 雑踏―そこに潜む情報を視覚化できるならヒトは目が眩んでしまうはずだ。
 様々な色に加えて、様々な匂い。
 様々な音。
 温かさ冷たさ、硬さ軟らかさ。
 リアンは目を閉じ、耳を塞ぐ。
 視覚と聴覚に別れを告げ、ひたすら嗅覚に意識を集中するためだ。
 アーネストにのされた3人のならず者達がいた現場。人通りが少ないため臭いがまだあまり拡散していない。
 そこに漂う取引相手の臭いを探す。
 3人の臭いに混じり絡み合う、薄く広がり始めたその痕跡。
 1つだけヒトではない匂いがある。小さくて微かなそれがレキシスのものかもしれない。
 リアンはその臭いを追い始めた。
 その場所からそれはもう1つ―ある特定のヒトの臭いと共に平行に移動している。
 鳥ならばありえない動きだ。
 だが、鳥籠の中だとしたらつじつまが合う。
 数歩歩いては目を閉じ、臭跡を追い、再び目を開けて進む。
 そういった地味な作業を積み重ね、リアンはさらに人気の少ない裏通りへと入っていく。
 ふと覚えのある臭いが混じった。
 濃度も高いから間違いようがない。
「こいつは…アーネストか」
 正義漢がなんの用だ。リアンは側頭部の髪をかき上げ、耳を露出し、聴覚に意識を集める。
「さあ、その鳥を渡せ。さもなくば斬る」
 飛び交う日常会話や生活音に混じりアーネストの声で物騒なセリフが聞こえてリアンはうんざりした。
「ふざけんな。俺達はもうこいつに大枚はたいてんだよ」
 反響からしてそれほど大きくない部屋の中。総勢5人。4対1か。
「そっちがその気ならこっちも容赦しねえぞ?」
 距離はここから3ブロック。その辺りには空いている貸家が何件かあった。
「無駄な争いはしたくない。そもそもそれは盗品だ。持ち主に返すべきだろ」
「そうか。てめえ、ロージー・フロックハートの手先だな?」
「ほう。計画的犯行ってわけか。港の顔役から盗みを働こうするとはお前達思ったより命知らずだな」
 アーネストが言い終わるのを待たず2人の男が不意打ちを仕掛けた。
 そのうちの1人が刺されて倒れる。
 アーネストの振るった大剣はそのまま2人目を斬り払おうとしたようだが壁と天井に阻まれ、鈍い音だけが響いた。
 しかし、間髪入れず拳で殴打する音が響き、2人目の男の床に倒れる音がした。
 2人が倒れる時に金属が落ちる小さな音も2つあがったので恐らくやられたのはナイフ使いだ。
「そんなバカでかい剣、この小さい部屋だと扱いが大変だろ」
 残りの2人が動いた。ナイフ使いよりも大きく動く腕の衣擦れの音。だが剣を抜く動作より音のした時間は短い。ダガー使いか。
 リアンは走った。
 頭痛を構わずと言えば格好は良かったろうが、痛みの引き具合を確かめながら恐る恐る加速していた。
 音源は近い。
 臭いの濃くなる方向に一見してそれとわかる廃れた空き家があった。
 塗装の剥がれかけた窓枠の向こうでカーテンが激しく揺れていた。
 同時に何度も大剣が柱や天井にぶつかる音が響いた。
 そして剣戟の音。
 アーネストは防戦一方。
 ダガー使いはその辺のチンピラとは一味違うようだった。
 その時空き家の玄関のドアが吹き飛び、中からアーネストが躍り出てきた。
「出てこい!卑怯者!」
 アーネストが大声を張り上げたので、数は少なかったが通行人や近所の住人が驚いて顔を出す。
「バカか。外で勝負してやるほどお人好しじゃねえわ」
「勝負しろ!」
 ダガー使いは玄関口で踵を返す。
「…なあ」
 リアンはアーネストに声をかけた。
「なんだ?危ないからこっちに来てはダメだ!」
「あいつらがロージーさんから盗った鳥ってレキシスか?」
「レキシス?」
「あの…羽の色が青とか黄色とかに輝いて見える」
「ああ!そうだ!何故知っている?」
「じゃあ、こっちは任せろ。あんたは裏からやつらが逃げないように回り込んでくれ」
「加勢?親切はありがたいが、君のような一般人が出る幕はないし、信用もできない」
 自分を棚に上げて一般人とはよく言ったものだった。アーネストもまだ正規兵になるには年齢的にあと1年ほど待たなければならないはずだ。つまり立派な一般人だ。
「いや、早くしないとあいつら裏から逃げるぞ?」
 アーネストは懸命に何かを考えているようだったが、どのみち彼にとっては一か八かの判断になる。
「では、君に託す。ただ私が裏から回り込むまで絶対に無茶はするなよ!」
「しないよ」
 でかい声で作戦をがなり立ててくれたお陰でダガー使いは裏から逃げるのは諦めてくれるだろう。むしろ玄関からの突破を狙うはずだ。
 裏口に向かって全速力で走るアーネストを見送りもせずリアンは壊れた玄関から空き家へ足を踏み入れる。
「お邪魔します」
「誰か知らねえが逃げやすくしてくれてありがとよ!」
 その声が上がるのとほぼ同時にリアンは問答無用で剣を抜いた。
 抜いたというよりもその細い刀身はダガー使いの利き腕に既に収まって・・・・いた。
 綺麗に貫通している。
 痛みにのたうつ男に正面から蹴りを食らわせると男は壁に頭部を打ち付けて気を失った。
「レイピアか。稲妻をデフォルメしたヒルト。ちょっと昔に流行ったやつだな。てめえも一条の雷光ストリーク・ライトニングに憧れてる口か。さっきのやつといい今日は正義の押し売りが多くて面倒くせえ。俺はそんなの欲しくねえんだ」
「ヒルトがオリジナルだとは思わないの?」
 ダガー使いは大声で笑った。
「今日イチ面白いネタだ。ヤツが引退したのを知らないとでも?だがもし本物だったら嬉しぎて女の子みたいに悲鳴を上げちまうところだぜ」
 男は双剣使い。
 逆手持ち。
 ダガーをひらひらと揺すように構える。間合いが測りづらい。こういうタイプは隙を見せた瞬間、一気に飛び込んでくる。
 相当の使い手だ。
 リアンがレイピアを構え直したその瞬間、ダガー使いは動いた。
 リアンの剣先は動かない。
 ダガー使いは楽々と必殺の間合いに入る。
 そこでようやくリアンのレイピアの剣先が動き出したのをダガー使いはしっかりと捉えていた。
 動かない事でリズムを崩す、それがリアンのフェイントだとダガー使いは見抜いていたのだ。
 そして左のダガーでリアンの突きを打ち落として右のダガーでその左わき腹を切り裂く―それがこの一瞬のうちにダガー使いが思い描いたフィニッシュだった。
 レイピアの剣先が突如大きく動いた。
 待っていたのはまさにリアンのこの仕掛けだったのだろう。ダガー使いの顔に笑みが浮かんだ。
 左のダガーが迎えうつべく閃く。
 だがリアンの剣先の伸びはダガー使いの想定を遥かに超えていた。
 カーテンの隙間から射し込む僅かな光にその刀身が煌めく。
 雷光―。
 そうとしか形容できない鋭い突きがダガー使いの右の肩腱板を断つと、途端、その右腕が鋭い痛みと共に上がらなくなる。何が起こったのか理解できないまま左のダガーを振り上げようとしたその前腕部にリアンの第二撃が突き刺さり、ダガー使いはたまらず大きな悲鳴を上げた。
「大歓声嬉しいね」
「大丈夫か!」
 アーネストが血相を変えて裏口から飛び込んできた。
「これは…君が?」
 リアンはダガー使いの止めをアーネストに任せ、まっすぐ鳥籠の確認に向かった。
 籠にかけられた薄布をめくるとレキシスの無事な姿があった。
 小さく輝く黒い瞳がリアンを覗きこんでいる。
 ダガー使いはアーネストに縛り上げられ、事態は収束に向かっていた。
「はい、終了。おつかれさま!」
 リアンはそそくさと空き家から出て行こうとした。
「待て!鳥はおいていけ。それは盗品だ。持ち主に返す」
「そいつはだめだ」
「ならば君とも決着をつけなければならないな」
「レキシスは国から捕獲禁止令が出ている鳥だぜ?」
「そうなのか?」
 だが今のアーネストにはそれを確認する手立てはない。彼のリアンを見る目はますます疑心に満ちている。
「君の依頼主も密猟者から買ったのさ」
 ロージーの人当たりにやられていればアーネストとは本当に決着をつけねばならないだろうとリアンは覚悟した。
「まさか。あの麗しいひとがそんな…?!君はそれをどうするつもりなんだ?」
「逃がす。それが俺の依頼主の希望だ」
「依頼?君は何者なんだ」
「リアン・ジンデル。探し屋だ」
 アーネストは顎に手を置いて考え込んでいた。外には少しずつ物音を聞いて野次馬が群がり始めていた。
「君の方が戦略も剣の技も一枚上手のようだ。そして私には判断材料が決定的に不足している。だが…」
 リアンはさりげなく左手を鞘に添えた。答えによっては抜く。殺気を完全に断った所作なのでアーネストは気づけない。
「だが君は正義に見える。広場で女の子をかばっていた人だろう?」
 アーネストは握手の手を差し出した。
「僕の名は」
「アーネスト・フラムスティード。あんた人気者だからな」
 リアンがそう言うとアーネストは照れ臭そうに笑った。
 唐突にリアンは玄関口から外の野次馬に向けて大声で叫んだ。
「アーネストが密猟者の一味を捕まえた!誰か巡回衛兵を呼んできてくれ!」
「え?いや、やったのは君が…」
 リアンは後始末の全てをアーネストに丸投げした。
 探し屋の証言など誰も信じないだろうが、アーネストの言う事ならば通るはずだ。
 拍手の鳴り止まない野次馬を掻き分けリアンは鳥籠を持って広場へと向かった。
 こめかみがうずく。
 それが気になり始めると再びズキズキとした頭の痛みが甦ってくるように思えた。
 一仕事を終え、ほっと一息つく間もなくリアンは深いため息をついた。


 広場に戻る頃には日も傾き始めていた。
 中央の泉を囲う縁石にはすでにエルシィが腰かけていた。
「早かったな」とエルシィ。
「結構すごいだろ?」
 布を被せた籠を見て察した彼女はもはや笑顔を隠せない。
 エルシィは両腕に抱えていた革袋を掲げた。
「薬か?仕事が早いな」
「結構すごいだろ?」
 少女は得意満面にやり返す。
 リアンは籠を地面に置き、薄布を取り払う。
 時折小さく翼をはためかせ、羽繕いをするレキシスを見つめエルシィは満足そうに頷いた。
 リアンはエルシィから革袋を受け取ると、中からアンプルを1本取り出し飲み干した。
「まだ痛むのか?」
「ああ、またぶり返してきやがった」
「では、リアンが早く休めるように私も仕上げにとりかかろう」
 そろりとエルシィは鳥籠の窓を開けた。
 レキシスは少しの間警戒して様子を窺っていたが、思い立ったように動き出すと一気に外へと飛び立った。
 橙色に色づいた陽光に照らされてレキシスの羽は黄色を越えて赤味を帯びた輝きを散らした。
 上空で旋回するとそれが緑、そして青へと変わっていく。
「本当に虹みたいに見えるんだな」
「なんだ。信じてなかったのか」
「悪かったよ」
「大丈夫だ。この美しさは実際に見ないとわからん」
 レキシスは高く飛ぶ。
 広場の空を一気に超えて街を囲む防壁の外へと向かって羽ばたいていった。
 その光景は一時いっときリアンから頭の痛みを忘れさせた。
 辺りには既に遊んでいた子供達を迎えに来る親の声がちらほら上がり始めていた。
 夕飯の準備を始めた家からはおいしそうな食べ物の匂いが漂い始める。
 同時にそれはいつものようにあの時の市場の臭い―裏切りの臭いもまた、リアンに鮮明に甦らせる。
「優しさの匂いがするな」
 不意にエルシィが鼻をくんくんと動かしながら言った。
「優しさ…か」
「苦手な匂いなのか?」
「…少しな」
「私は好きだ。誰かのためにと思う気持ちが生んだものだからな」
 レキシスの影はもう小さくなって見えなくなっていた。
 リアンは立ち上がり、エルシィにそっと手を差し出した。
 別れの時間だった。
 少女は少し切なそうな顔でその手をとり立ち上がった。
「ありがとう」
 エルシィは普通なら誰にも届かないであろう微かな声で言った。
 悪戯っぽい笑みを浮かべた小さな貴婦人の髪をリアンはくしゃっと優しく撫でた。


〈了〉

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?