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オタクになるということ

私には姉がいる。少し歳が離れていて、よく似てると言われるけどまったく違う。

姉はどちらかというと活動的だ。仕事もバリバリ頑張るし、アフター5も楽しむし、休みの日はヨガやジムで汗を流したり、有休を使って海外旅行に行ったりもする。

一方私は、家でジッとしている方が多い。時々友達と遊びに行ったり、ショッピングに行ったりはするけど、相当のモチベーションが生まれるまでは何もしない。

この前、「5連休で4泊5日の旅行に行くなんて疲れる、最低でも2日は家でゴロゴロしたい」と言ってドン引きされたことがあるくらいだ。


そんな私の姉は、オタク趣味というものにあまり興味がなかった。

私も私の母も、いわゆるオタクだ。好きなアーティストがいて、「推し」なる存在がいる。

姉は私たちを温かい目で見てくれる。「今度のライブのチケット当たったんだ!楽しんできてね」とか、「私も一緒に行こうかな」とか、「近くで見れてよかったね!」とか。とても理解してくれている。

でも、姉はオタクではない。人の喜びを知ることはできても、「推し」への愛を語ることはできない。


そんなある日、姉は友人に勧められてとある番組を観た。


アイドル志望の男性が集まり、厳しいレッスンを耐え抜き、時には脱落者も出て、最後に勝ち残ったメンバーがデビューする、という趣旨だった。

私はちゃんと見たわけではないが、これはかなり危険な番組だった。

期待と不安入り混じる表情の青年たち。何時間にも渡るレッスンに苦戦しながらもひたむきに頑張る姿。次第に見えてくる成長。切磋琢磨し芽生えた友情。子供のようにはしゃいだかと思えば、本物のアイドルさながらのパフォーマンスで魅了する。


推しがいる人にはこの恐ろしさがわかるでしょう。

姉はまんまと吸い寄せられ、そして堕ちた。

それからというもの、姉はこの1シーズンしかない番組を3周し、出演するメディアをチェックし、オタ活用のSNSアカウントを作り、ついにはオフィシャルファンクラブにまで入会した。

姉は自他ともに認めるオタクになった。


姉はとても活き活きしている。今までも楽しそうに人生を謳歌していたが、何かが違う。

そしてついに言った。

「推しのこと考えてると元気になる、仕事頑張ろうって思える」

なぜオタクはこの思考回路になってしまうのか。誰か論文書いてくれ。


私は姉と話すのが苦手だった。自分と対極の生き方をする姉に聞かせる話なんて一つも持ってなかったから。  

だからこそオタクになった姉を見て、私は少し嬉しくなった。好きな対象は違えど、この気持ちを共有できるうちの一人に姉がいること。愛が深すぎて周りに引かれる時もあるけど、そんなのお構いなしで、好きなものを遠慮なく好きと言えるようになったこと。簡単なことではなかった。


私たちはきっと今日もおやすみと言って電気を消した後、それぞれのベッドの上でこっそりスマホを開く。そしてこう思うのだ。


「今日も推しが尊い」


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