見出し画像

彼女はニューヨークへ。


彼女の旅、NY編です!

***

早朝から 空港へ向かいました。

最初 娘が
マチュピチュ行けへん?て
言った事実は
今となっては
跡形もなく消えて
いつのまにかNYにいくことになっとる!
へへへ。

不思議やけど
12年ぶりやし、大好きな美術館にも
行けるから まーいーか。

リサコと一緒にいると
予定=未定

まーいーかと思えないと
多分 自分を破壊してしまいます笑

メキシコシティ空港のカウンターで 
チェックインをします。
2人分の手続きしていて
わたしの手続きが終わると
係員が
わたしは もう仕事が終わったから
あなたの分は
次の係の人に 手続きを頼んで。
と 娘につげて
さっていきました。

あり得ない!!?

リサコは キレまくり
となりのカウンター(同じ航空会社)のひとに
事情を話しにいきました。

その人は一言
それはしらんわ。
わたしに関係ない。
後ろに も一度並んで。

え?

また、リサコは ガーっ😡

あり得ない!が連続して襲ってきてるーーー!

そして
後ろは長蛇の列😢

とりあえず 保険として🤣
私は後ろに並ぶことにして
娘が粘り強く交渉しました。

20分くらいして
ようやく
優しそうな別の係の人が現れ
手続きをしてくれることに。

私たちの常識は
メキシコでは通用しません。
怒りながらも その感情に振り回されず
打開策を考える
それがこの国で生き延びる
唯一の方法なんでしょうね。

こうして、ようやく
ぎゅうぎゅう詰めの
LCCに乗り込みました。

ビジネスクラスとは まさに異空間!
人間臭さがすごい!

あり得ない!がまたまたパレードです。
😞

このまま5時間かよ。😭

しかし
前日の疲れが十分残ってたから寝倒した。
旅の直前に習った
足のマッサージを娘の足で練習した。
(隣のメキシカンは 私たちの様子をジーッと見てた!笑)

その結果
それほどは 長くは感じなかったの。

神は我々をお見捨てではなかった!🤣

意外に元気に
私たちは
NYに降り立ち 
パスポートコントロールに
着いたら
そこにはずらーっと列ができていました。

メキシコ便は チェックが入念です。
強面の審査官が メキシカンに厳しい質問をしています。

待ってる間に
娘がわたしに
ママ、取れてると思ってたエアビー
取れてないわ。
と おっしゃいました。

え?😢
あー。予定=未定 またやね。😞

それから今日泊まる場所を探していると
時間は過ぎ去り
私たちの番になりました。
(ホテルは なんとか見つかりました。
ホッ😅)

パスポートをみせて、指示通りマスクを外して
簡単な質問に答えたら、

なんと!

はい、オッケー👌

係官は娘に興味を持ったらしく
スペイン語で話しかけ、
自分もコロンビアの移民であること
NYの恐るべき物価について
知ってるか?と
心配してくれたりしました。

やはり、日本のパスポートは強いです。
good job 日の丸!

後日、メキシカンに聞いたら
メキシコ人に対する入国審査は
VISAが必要なうえに
さらに厳しいチェックがあるらしいです。
彼らにとって
隣の国でも、近くて遠い国
それが アメリカなんですね。

そこから
広いJFケネディ空港をバスで移動し
電車とメトロⓂ️を乗り継ぎ
マンハッタンへやってきました。

わたしも娘も大好きな街です。

2020.3月
救急車で埋まったタイムズスクエアを
テレビでみて悲しくて
涙がポロポロでたことを思い出しました。

しかし
目の前の街は全く以前と変わらず、
多様な人種が
ほぼみんなノーマスクで
タイムズスクエアや
5番街を足早に歩いています。

やっぱり マンハッタンは
世界のトップを走る顔を
していました。
さすがでございます アメリカさま。

テンション上がりまくり
気分は すっかり
セックスandザシティの
キャリー・ブラッドショーです!
テーマソングがエンドレスで
脳内に再生されてます。

おばちゃん、全身ユニクロやけどな笑

娘は終始
先進国の香りがする!
わたしも いつかマンハッタンに住みたい!
と 絶叫していました。笑

噂のインフレ調査に
スーパーに行ってみました。
たかっ!たかっ!たかっ!
だいたい日本の2倍はします。

いつもなら 
旅の時財布の紐はゆるゆるですが
何を見ても
メキシコ戻ってから買おう
です笑

物価高凄まじく、アメリカの庶民はどうしてるんでしょう?
そういえば、メトロⓂ️は
12年前に比べて 客層が変わったように
思いました。
ヒスパニック系が目立ちます。
肩から下げたポシェットをさらに
ギュッと握りしめていました。

夕食は 
ベトナム料理
昨日登場した Yさんと。

フォーと バインミーを
むしゃむしゃ食べながら
Yさんのこれまでの人生の話を
聞いていました。

かれは下関出身で
東京外大のスペイン語学科を出た
頭脳明晰エリートです。

卒業後 音楽を勉強したくなり
また、大学に入り直すため
メキシコに渡り4年
そのあとカルガリーで10年
学問を続けてこられました。

自分がゲイであることを初対面のわたしに
話してくれ
これまで受けた差別
恋愛遍歴
両親にカミングアウトしたときのこと
どれも 心を揺さぶられました。

とくに
お父さんにカミングアウトしたとき
父が
黙ってきいてくれ、一言

なにも心配せんでいいけん。
とだけ言ったんです。

の件で
わたしの涙腺崩壊😭

娘は わたしを睨んでましたけど
親のきもち あんたにわかってたまるか!
と 泣きながら睨み返しました🤣

いままで  
わたしにとって LGBT🏳️‍🌈は
知ってるけど 知らない
そういうテーマでした。
差別するもなにもなく、実感がありませんでした。

ところが 
そのことが急に自分ゴトになり
自分がスタンダードだと思い込むことが
いかに 無知で 愚かなことか
という気持ちになったのです。

彼が話してくれたことで
私に新しい風を吹が吹き

そして
わたしの新しい風が
すがこさんや
すがこさんの友達にも
広がっていくとしたら

世界は いずれ
今よりもっと シンプルで
風通しの良いものになると思いませんか?

Yさんや LGBT🏳️‍🌈の人々に
優しい社会は
きっとそれ以外のひとにも
優しい社会であるはずですよね、すがこさん。

食事の後
彼はNYゲイMENSコーラスという
200人ほどの大きなグループの練習に参加すると 嬉々として出かけていきました。

彼らの歌声が
ちょうど♉️満月🌕の日だった
マンハッタンに
こだまするのを 妄想しながら

わたしと娘は
超極少 二段ベッド方式
もちろんバスタブ🛀あるわけないホテルへ
帰っていきました。

めでたしめでたし。


サポートいただけると、とっても嬉しいです!いただいたサポートは、良きエネルギーとして循環するよう、素敵なことに使わせていただきます。