考察厨が大嫌いなあなたへ
記事一覧をざっと見ていただければ分かるとおり、私はいわゆる「考察厨」でございます。
どうも皆さんお初にお目にかかります。ぬしも。と申します。
どうぞよろしくお願いいたします。
さて、本記事で言いたいのはただひとつ。
うるせぇ。
(ここで「黙れ」と言葉を続ける気はありません。)
「考察厨」への批判として散見される、
「本当かどうか誰にも分からないのになんで
さも正解を語っているような顔ができるの?」
という意見がありますよね。
「さも正解を語っているような顔ができるの?」という表現は「なぜ断言口調(断定形)なの?」という意味だと私は思います。「~~という意味だ」「~~という意味である」などが断言口調ですね。
私が書いた記事をいくつか読んでいただければ分かるとおり、いつも私はまさしく「さも正解を語っているような顔」をしています。
考察厨である私はなぜ断言口調で文章を書くのか。
それは自信が無いからです。
読書感想文を書いた経験を思い出してみてください。
私は昔っから、そういう類いの作文がめちゃめちゃ苦手でした。
頭の中に思い浮かぶ文章の最後に引っ付いて来るのはいつも「~~という意味かもしれない」「~~なのかも」「~~かな?」という感じの自分の意見をぼやかす言葉たち。作文を提出するのは最後の最後で、締め切りを過ぎてからのこともありました。
そうやってずっと鉛筆を止めていたのは、
「これで良いのかな?」
という文章への、自分への不信感でした。
でも宿題だから、作文は何とかして書かなきゃいけなかった。
皆さんも経験があるのではないですか?
どうしても書かなきゃいけない時に私たちは、
「うるせぇ!知るか!
これで良いんだよ!!」
という具合の独善的な考えに浸りますよね?
そして文章を何が何でも書き終えるための筆圧を書き手に与えてくれる独善を保つには「断言口調」で文章を書くのがものすごく効果的なテクニックなんです。
私が文章を書くときはいつもわざと「断言口調」で書いて、自分を鼓舞しています。「これで良いんだ!」「間違ってない!」と。
確かに、このテクニックが裏目に出ることもあります。
筆圧だけ強い下手くそな文章の時だってあります。
でもね!
書きたいんですよ!
書きたいことを思いついたの!
書きたいと思ったの!
作品の解釈は自由なんでしょう?
だったらその解釈を書くためのテクニックとしての
「独善」「断言口調」くらい許してくれませんか!?
逆にずっと「~~という意味かもしれない」「~~なのかも」「~~かな?」という感じの文章だと、それはそれで「はっきり言えよ」とか思いませんか?
しかもね!
解釈が自由って言うんだったら、考察記事自体の解釈だって皆様方の自由なわけですよ!
「考察」嫌いなのに考察記事を覗いてる人も、「考察厨」嫌いなのに考察記事覗きに来る人も、たかが1個の解釈を信奉している人も、
「~~という意味だ」
「~~という意味である」
って言葉の字面を鵜呑みにしてないで
ちょっとは自由な解釈を推進する柔らかーい
その自分の頭で変換しやがれください!
俺の文章はYogiboじゃねぇんだよ!
熱くなってしまいました。
お詫び申し上げます。
はいはい、藤本タツキ。私が悪ぅございました。
『ルックバック』を読んでこりゃ天才だ!!とかもてはやしたのは間違いでした。『ルックバック』で目が眩んじまった私が悪ぅございました。
誰も大成功した作家の愚痴なんか聞きたかないんですよ。
知らねぇんですよ。
藤本タツキはそんなことも分からねぇ
大して中身の無い漫画を描く
大バカ野郎な漫画家だったわけだな!
私は藤本タツキの楽しい漫画を他の漫画読みながら待ってます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
藤本タツキ『ルックバック』について考察しているので、もしよろしければどうぞ。
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