精神科で聞いた、コロナ禍での「わからない」話
前回の”「正しさ」に右往左往する人たちにうんざり”という記事の続きですが。
精神科でさっきカウンセリングを受けてきた。で、やっぱり医者の目から他の患者やその話を診てもコロナ疲れでストレスが増えて攻撃的になっている人や、攻撃的なテレビやマスコミやSNSの風潮を感じるとのこと。
そういう攻撃的な人たち、批判的な人たちはどちらの陣営でも「相手の知識や見識は間違っている」「自分はわかっている」という態度が多いらしい。問題を解決することよりも問題を解決できない人を叩いて自分が気持ちよくなるための正しさのマウンティングが主な目的になっている。
期せずして、なんかはてなブログの精神科医のシロクマ先生も「わかる、わからないの話」をツイートしてらっしゃる。
https://twitter.com/twit_shirokuma/status/1358682915056414720
「このお話を読んで、恩師のことを思い出した。師は、私が書いたレジュメを読んで「なにがわからないか、わからない様子ですね」と教えてくれた。そして出口戦略として「わからなくても、とりあえず見立てを作ってみましょう」と。師は一台目の掃除機をまず勧めてくれたわけだ」
「わかるかわからないかの話」だが、僕の主治医の精神科の先生も「自分はこれがわからない」と発言できるまでに実務経験10年を要したというのが印象に残った。
僕はコロナウィルスやワクチンの生化学的なことはきちんと勉強していないので「わからない」という態度です。わからないけど、まあとりあえずマスクをしたり手洗いうがいをしたりたくさん寝たり、ということはしている。
でも、政策の是非とかウィルス陰謀論とか裏社会の話になると、それはもっと「わからない」。
僕はもう、勉強するのがめんどいので、一応ワクチンについてRNA型とか弱毒性ウィルス型とかタンパク質型とかのざっくりした基本的な種類の説明についてはネットで調べたけど。生化学的な反応機構とか生体反応も大学でちょっぴり勉強したけど、最新の研究とか臨床についてはわからない。なので、もうわからないことで感染したりしても、そこはもう、運がいいか悪いかだと開き直っている。
GoToとかアベノマスクの功罪なんてわからないっすよ。マクロ経済学は全く勉強してないので、「あれをしないと経済が死ぬ」とかそういう意見は全くわからん。その程度で死ぬ経済なら整理したほうがいいとも思うが…。
しかし、SNSやワイドショーで発言力の大きい人は「私はわかっている。相手はわかっていない、もしくは騙しているので悪い」という感じでマウント合戦をしている。
もちろん、「わかっている」という意見の中にはきちんとした専門家や職業的当事者などの経験や実務を踏まえての具体的な情報もあるので、全く無視することもないのだが。でもやっぱり本質的な物理的な因果関係とかは自分で勉強してないので、わからないし、参考にする程度です。あと、職業的当事者などの問題はその人達で解決して欲しい。僕は無職なので。
サービスイン当時の昔はオタクとギーグとメンヘラしか居なかったツイッターも、いつの間にか政治家も愛用する政治的な場になってしまった。
そして、政治というのは正しいことだけではなく、正しさ(っぽい主張)を武器にした政権やポジションや議席の取り合いなのだ。就職活動と同じなのだ。なのでマウント合戦は加速する。生存競争だからね。
というわけで、「自分はわかっている」という人が多い。そうしないで「わからない」と言うと、自分が劣位であることを認めてしまうことになるので、相手の方が間違っていると主張することが多い。政治的
本当に知識がなくてわかってないことでも、「相手が騙している」とか「隠蔽している」とか、そういう態度になる。
で、精神科の主治医の先生も、やっぱり医者として「わからない」と患者や同僚に言えるまでに10年の修行時代が必要だったらしい。研修医時代や経験が浅い時は「わからない」と言うとなめられるとか不信感を持たれるんじゃないかとかいう恐怖感が強かったそうな。
どうしたら「わからない」と言えるようになるのかというのは、まあ、わかる人にはもうおわかりでしょうが、僕はお金が欲しいので有料記事にします。
文末にちょっと、おまけコメントも。
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