40歳素粒子・原子核実験物理屋の転職(1) 研究者時代振り返り


はじめに

初めまして。内容は表題の通りです。2022年初頭まで某国立大学の任期付き助教として素粒子原子核物理学の実験的研究を行っていましたが、最近話題の10年ルールに引っかかることをきっかけに、民間企業に転職しました。先日無事に転職先の試用期間を終えて無事本採用となったのと、お酒の勢いで過去を振り返ってみようかと思い筆(REALFORCE)を取りました。40歳まで続けちゃった人は比較的レアかなとも思いますので、この記事が誰かの参考になれば幸甚です。note執筆初めてなので色々と不作法があるかもしれませんが、ご容赦下さい。知っている人が読めば誰か丸わかりな記事になるかと思います。もし気づいたら、コメント欄(ってあるの?)にでもなんでも何か残してもらえれば幸いです。

経歴

某国立大学で原子核実験で博士号取得(D6までかかりました)後、違う某国立大学に特任研究員(=ポスドク)として就職。5年後くらいに任期付き助教に昇格し、やめるまで同じ身分。10年間同じ2つの実験を続けていました。他の分野の人には伝わりづらいかもしれませんが、素粒子・原子核実験では数10人から数1000人の人が1つの実験の建設からデータ解析まで何年も力を合わせて行うというのが結構普通に起こります。私は日本でも最大級に大きい実験の一つに参加しておりました。

研究者時代の業績等まとめ

以下、いわゆる公募に出す時の業績一覧のようなものです。

  • 主著者の論文3本 (引用数93, 48, 34@2022年8月5日22:15 JST)。

  • 第三著者の論文2本

  • レビュー論文1本

  • 国際会議発表: 15回くらい

  • 国内学会・研究会: ちょっと数えきれないが大抵招待講演

  • 受賞歴: 某若手奨励賞と某国際会議ポスター賞

  • 科研費: 2回. どちらも数100万円

  • 実験での役割: 物理解析のConvenerと副何とかcoordinator

  • その他: 某スクールの講師とか、某将来レポート執筆とか

主著者論文3本って他分野研究者の人から見るとめっちゃ少なく見えるのではと推察しますが、この分野ではたぶん平均より多い方だと思います(もし違ったら、同じ分野の人、コメント欄に残してください)。同じ業界の人が見れば、この人はそこそこ真面目にやっていた人なんだなというのは分かってもらえる..はず(こんな業績はゴミだという方、コメント残してください 笑)

アカデミック就活記録

10年間もあったのでボチボチ出していましたが、残念ながら全敗です。圧倒的全敗です。面接まで行ったのが4回くらいで、その中でも自分のいた実験と関係ない公募だった某私立大学と、某卓越なんとかで出した某研究所は通ってもおかしくなかったかなと思いますが、残念ながらお祈りされました。教養科目を教えるような公募も結構出しましたが、この辺りは全て書類で落ちました。

なぜ就職先が見つからなかったのか

ということでヘビーな話題に踏み込みますが(笑)、自分としては以下3つほど理由があるのかなと思います。

単純に実力が足りなかった

身も蓋もありませんが、一言で言ってしまえばこれに尽きると思います。素粒子・原子核実験の世界では字面上の業績はそこまで重要視されていなくて、結局それぞれの実験でどれだけ力を発揮して、重要な役割を担っているか?そこで実力が図られているように思います(そんなことはないという採用側の方、コメント残してください)。私なりに一生懸命やっていましたが、私がやっていたことは結局「誰でもできること」でそこまで評価されていなかったのかなと思います。

やっている内容が特殊だった

自分で自分の10年間を全否定して悲しくなったので(笑)、もう少し分析してみましょう。私の主戦場の研究領域は日本では結構特殊でした(素粒子物理の実験って一つの実験データから数100本とかの論文が出ることもあります。一つの実験で様々なテーマがあるわけです)。昨今注目を浴びている研究領域ではありましたが、それを主目的としている研究室というのは残念ながら日本には一つもありません。違う研究テーマを次の職でやるつもりはなかったので(それが良くないよね、うん、知ってる)、定職を得るためには新たな研究室を立ち上げて下さいというような公募が第一候補になります。しかし、そういう公募は結構稀ですし、競争率も高くなります。ちなみに、先ほど挙げた面接まで残った某私立大学の公募は”新しい研究室立ち上げて、原子核物理学実験やって下さい”というものでした。どう考えてもたくさん応募来るやつですね。。また、私は検出器が専門ではなくてソフトウェアとか計算機の方が得意でした。これも日本ではあまり評価されないように思います。物理も特殊なら、実験技術も少数派、ということで割と厳しい戦いを強いられた感はあります。ただ、私が例えば論文10本とか出していれば誰か拾ってくれたかなとも思うので、実力不足が根本原因だという思いは変わりません。この言い訳のような節が一番長くなってしまった(笑

運がなかった

うん。私の主戦場の分野がもっと盛り上がっていたら、職を得ていた未来もあったでしょうが、そういう諸々の事情を突き抜ける実力があれば(以下略

何故10年間も続けてしまったのか

とっとと見切りをつけて就職した方が良かったのではと思わないこともないのですが、幸い特に後悔はしていません。何故かと言えば、研究が楽しかったからです。データ解析で結果が出た瞬間は他の何物にも代えがたい魔力があります。その瞬間、自分だけが知る世界の真実が存在する訳ですから。PDGにも10個以上名前載ってます(笑)。実験の立ち上げ時であーだこーだと四苦八苦したり海外コラボレータと戦ったり、国際会議で海外でスキー三昧したことも良い思い出です。私のボスを初めとする同じ研究室の方々や、共同研究者にも恵まれ、本当に10年間楽しく研究者をやらせていただきました。誰一人恨んでいるような人はいません。字面上(40歳まで任期付き助教で民間企業に転職)は研究者として落伍者に見えますが、研究者生活を満喫したと自信を持って言えます。

同じ分野にいる若い人へ

特にないですが(笑)、楽しいと思える間は続けてても特に問題はないと思います(少なくとも40歳までは)。年を取ると多少転職が大変にはなりますが、見つからないということはないです。次の記事に書きますが、40歳の訳分かんないことしていたおっさんを雇ってくれる変わった企業は幸い世の中にはそれなりにあるようです。

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