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「タカ VS ヘビ」の話を分析する

はじめに

『古今著聞集』というマイナーな日本の古典に、「タカ(熊鷹)がヘビ(大蛇)を退治する」というだけの話がある。それ以外、特に何も語っていない。日本の古典のなかにはこうした、「タカのヘビ退治」というパターンがしばしば見られるという。インターネットには、これが何かを表す記号ではないかとの意見もある。筆者はこの対立の構図が、あるストーリーの反復ではないかと考えて本稿を示す次第である。

第1の連想

まず連想したのは、『日本書紀』における神武東征のワンシーンである。神武天皇は長髄彦(ナガスネヒコ)と対峙して苦戦するが、金鵄(黄金色のトビ)が飛来して光を放ち長髄彦の目を眩ませる。それを契機に形勢逆転し、神武サイドが勝利するのだ。(ちなみに敗れた長髄彦とは映画「もののけ姫」において、ヒーローであるアシタカの祖先という設定になっている人物。)

第2の連想

またひとつ連想したのは、故・水木しげる作「ゲゲゲの鬼太郎」における牛鬼(うしおに、ぎゅうき)の話である。鬼太郎は牛鬼という妖怪を退治しようとするも果たせず、目玉親父が呼んだ「迦楼羅(カルラ)様」(仏教における守護神)の力で何とか封印するというもの。

これら二つからは、

金のトビ  ⇨  長髄彦
カルラ   ⇨  牛鬼

という構図が読み取れる。面白いのは、金のトビとカルラ、長髄彦と牛鬼にそれぞれ共通点が見いだせることである。

「⇨」の左側の共通点ー①

金のトビとカルラとの共通点から見ていこう。すなわちトビとはタカの一種であり、金のトビとは「金のタカ」とも言えること。またカルラの方はもともとヒンドゥー教の神格ガル(ー)ダであり、すなわち金色のワシ、別名を金翅鳥(きんしちょう)とも呼ばれる鳥(ヘビを退治するとされる)なのである。さらにワシとタカの区別は現在でもしばしば恣意的であり、大きめのタカがワシと呼ばれていることから、古代において両者は同一視されていたと考えられる。

「⇨」の右側の共通点ー②

次に牛鬼と長髄彦だが、牛鬼とは牛の頭と蜘蛛の身体を持つ怪物で、別名を「土蜘蛛(ツチグモ)」という。そもそもツチグモとは、天皇に逆らった人々の呼称でもある。長髄彦はまさに初代(とされる)神武天皇に逆らったのであるから、彼はツチグモだと言えなくもない。ここでさらに興味深いのは、ツチグモに比定される長髄彦がクモだけでなく、やはりヘビにも例えられることである。ツチグモもヘビも「地面を這う下位の者」ということかもしれないが、生物学的に猛禽類であるタカやワシも、そしてタカの一種であるトビも、獲物としてヘビを狙う性質が知られている。

①と②を総合すると……

①と②を合わせて考えてみよう。つまり神武天皇側の金鵄(金のトビ≒タカ)が長髄彦(≒ツチグモ≒ヘビ)をひるませたのと、カルラ(金のワシ)が牛鬼(=ツチグモ≒ヘビ)を封印したのとは両者とも、「タカ(≒ワシ≒トビ)が獲物を狙った」ことになるわけだ。つまり日本の古典で「タカのヘビ退治」というパターンがしばしば見られるのは、両方の生物の習性になぞらえて、天皇などの上位の者が自分に逆らう下位の者(ツチグモやヘビなど)に勝利している(あるいは睨みを効かせている)という構図の反復だと考えられるのではないだろうか。庶民にこの構図を繰り返し示すことは何も天皇に限らず、日本という序列社会において支配に有効だったのかもしれない。だからこそ『古今著聞集』などに、そうした話が説話として採録されたと考えると辻褄が合うのではないだろうか。

構図の整理

<タカ(≒ワシ)側>  ⇨  <ヘビ側>
(生物界)猛禽類    ⇨   ヘビ類
(ヒンドゥー神話) 
   ガルダ(金のワシ)⇨  ヘビ族
(仏教)      
   迦楼羅(金翅鳥) ⇨  ヘビなど
(『日本書紀』)   
   金のトビ  ⇨   長髄彦(ツチグモやヘビ)
(『古今著聞集』) 
             クマタカ ⇨   大蛇(オロチ)
(「ゲゲゲの鬼太郎」)
     迦楼羅  ⇨   牛鬼(ツチグモ)

こうした構図に整理できるだろう。

時系列を考える

迦楼羅の伝来が仏教と同じく6世紀だとすれば、『日本書紀』成立が8世紀なので時系列上の矛盾はない。つまりもともとタカやワシの類は猛禽類としてヘビを狩る習性があることから、インドにおいてガルダによるヘビ退治の話が成立。それが迦楼羅として仏教とともに日本に伝わり、しばらくして『日本書紀』における神武東征のワンシーンにも「トビ(タカ)対ヘビ」というモチーフが加えられたと考えられる。『古今著聞集』などがこの構図を反復したと考えられるが、後年水木しげるは、この構図を見越して「ゲゲゲの鬼太郎」における牛鬼の話を描いたのであろう。

さいごに

ユング心理学においても、同じパターンの夢を繰り返し見る場合は要注目だとされる。無意識が何らかのメッセージを意識に伝えている場合があるというのだ。今回見られた反復が「上」からの意図的なものだったのか、それとも民衆の無意識によるものだったかは不明である。ただ心理療法において言われている言説をヒントにいろいろな話のパターン分析を試みた次第である。

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